俺の恋人はなんかおかしい
「今回の飲み会って乗り気じゃなかった?」
会社の同僚に強引に参加させられた合コン。
席替えで俺の前に来た彼女は、軽く会釈して前の席に座るとそう言った。
俺に向かって、そう言ったのだ。
そのことが信じられなくて驚く俺に、彼女はなにを勘違いしたのかもう一度自己紹介した。
「あ、穂高千智です」
そうじゃない。そうじゃなくて……。
名前を忘れたから戸惑っているわけじゃない。
どうして……。
どうして彼女に俺のことが見えているんだ!?
▽ ▽ ▽
突然だが、俺は魔法使いだ。
なにを言ってるんだと驚くかもしれないが、本当の話なんだから信じてもらうしかない。
空も飛べるし、手を使わなくても物を動かすこともできるし、遠くにあるものを一瞬で呼び出すこともできるし、透明にだってなれる。
他の魔法使いと比べても俺の魔力は強い方だ。
最強クラスだと言われた。
しかし、その強い魔力のせいで俺は恋愛が苦手になってしまった。
キッカケは中学生の時。
ずっと好きだった女の子に告白された。
もちろんOKして、俺に初めて彼女が出来た頃だ。
親戚たちが集まる機会があった。ひいばあちゃんの三回忌だったと思う。
俺の両親は魔法使いの家系で、親戚も魔法使いが多い。その中に母さんのいとこがいた。滅多に会わないそのおじさんは結婚したらしく、奥さんを連れてきていた。
40代のおじさんの奥さんになったのは、魔法使いじゃないキレイな女の人だった。20代くらいだったと思う。
酒に酔ったおじさんに、俺は「彼女がいるのか」と絡まれた。そのときは「いない」と答えた。いるって言ったら、絶対にからかわれるし、両親にも知られたくなかったからだ。
するとおじさんはニヤニヤと笑って言った。
「そうか、まだか。でも好きな奴くらいいるだろう。もし好きな奴がいたら、その子に自分の魔力をマーキングしろよ」
「マーキング?」
「相手に自分の魔力をまとわせるんだよ。そうするとな、お前の魔力をまとった相手はお前のことを好きになる」
「え……」
「与えた魔力が大きいほど、その魔力の源である魔法使いが気になって仕方なくなるんだよ。……お前はうちの一族の中でも、いや、どの魔法使いよりも強い魔力を持ってるだろうから効果は抜群だろうな」
とっさになにも言えない俺に、おじさんは誰にも聞かれないようにか顔を寄せてくる。酒臭い息が嫌だった。
「俺はな、アイツをそれで手に入れたんだ」
おじさんが奥さんを見る。
「アイツは前に付き合ってる奴がいたんだよ。婚約もしてたんだけど、俺はどうしてもアイツが欲しくてな。ずっとマーキングし続けた。そしたらな、アイツから俺に付き合ってほしいって言ってきたんだ」
おじさんの視線に気付いたのか、奥さんがこっちを見た。おじさんに向けて、きれいで幸せそうな笑顔を見せる。
その笑顔が怖い。
沸き起こる嫌悪感に顔がゆがむ。
おじさんはそれを見て、ニヤリと笑った。
「そんな顔するなよ。アイツにとっても悪いことは無いんだぜ。魔力をまとった普通の人間は運が良くなるっていうんだ。アイツも俺にマーキングされてから宝くじが当たったり、なんかの抽選で当たったり、嫌な同僚が異動になったとか喜んでたからな。まあ、アイツはそれが俺のマーキングのおかげだって知らないけど」
結婚相手にも、自分が魔法使いかどうかを言うのは人ぞれぞれだ。おじさんは黙っているタイプらしい。
おじさんはニヤニヤと笑いながら俺の肩を叩くと、奥さんのところまで行った。
奥さんを見ると、確かにおじさんの魔力を強くまとっている。
奥さんはおじさんを幸せそうに見つめていて、おじさんはそれに満足そうに笑っている。
気持ち悪いと思った。
そして、怖くなった。
俺は絶対にそんなことはしないって思った。
でも、そのあと何週間かして、俺は学校で彼女の友人たちが話しているのをたまたま聞いてしまった。
「あの子、なんで佐東君と付き合ってるんだろ。小学校の頃から好きな人いたでしょ」
「佐東君が好きだなんて一回も聞いたことないよね」
どうやら彼女にはずっと好きな人がいたらしい。
ずっとずっと好きな人が……。
でも、だったらどうして俺に告白したんだろう。
俺は彼女のことが本当に好きでたまらなかった。
付き合えたらいいと思った。彼女も俺のことを好きになってくれたらいいと思った。
俺は地味だし、そんなに話したこともないけど、それでも……。
だからこそ告白されたときは嬉しかった。でも、どうしてだろうとも思っていたのだ。
もしかして俺は……無意識に彼女にマーキングしていたのだろうか。
そうして無理やり俺に惚れさせたのだろうか。おじさんみたいに……。
そう考えるとゾッとする。
考え始めると止まらなくて、自分が気持ち悪くて……。
そして、彼女の気持ちを疑うようになった。
俺の態度がおかしいことに彼女も気付いたようで、結局、別れることになった。
次に出来た彼女は、俺と同じ魔法使いだった。
そのときも告白されたけど、俺は彼女のことを特別に好きだったわけじゃなかったから、俺が魔法をかけたわけじゃないと分かってる。
可愛い子だったし、同じ魔法使いの彼女なら俺がもし魔法をかけても気付いてくれると思ったから付き合った。
付き合って分かったけど、彼女は俺が思った以上にめちゃくちゃ俺のことが好きだった。
俺に自分の魔力をマーキングしてくるくらいには。
魔力のマーキングは、魔法使い同士でも行われることがある。
魔法使い同士のそれは、相手が自分のものと他の魔法使いに分からせるためのものとしても使われる。
独占欲と執着心の表れ。
一般人に向けたマーキングも、結局その感情の表れだと気付いたのはそのときだ。
与えられた魔力は自分のものとして使えるから、マーキングを喜ぶ魔法使いもいるらしいけど……。だからこそ愛情表現の一つとも言われているんだろう。
でも、俺は彼女の魔力が苦手だった。
彼女の魔力は、キツイ香水の匂いのようで好きになれなかったのだ。
彼女は俺がマーキングを嫌がって、そして自分にもマーキングしてくれないことに不満だったり不安だったりしたらしい。
俺も彼女と一緒にいるのがだんだん辛くなった。
だから、別れた。
それから魔法使いや、そうじゃない人とも付き合ったけど、誰とも長続きしなかった。
最後に付き合った彼女は魔法使いだったけど、彼女にマーキングをしていたことに気付いて、そんな自分が怖くなって別れた。
俺は恋人との間に魔法が絡んでくるのが嫌だった。
マーキングで気持ちを操るようなことになるのが怖かった。
こうなってくると、もう自分には恋愛は向いてないと思った。
会社の同僚に――そいつも魔法使いだ――そんな話をしたときに、「諦めたらそこで試合終了だ!」と強引に合コンに連れ出されるハメになったのだ。
行っても乗り気になれないし、恋愛はしばらくしたくなかったし、もうそっとしておいてほしかった。
だから、俺は自分の存在を魔法で少し消した。
こうしていれば俺は誰からも認識されない。話しかけられないし、放っておいてもらえる。
そのはずなのに……
「今回の飲み会って乗り気じゃなかった?」
なんで、俺は話しかけられたんだ?
お酒のせいで気が抜けて、魔法が解けてたのか?
念のためにもう一度、魔法を使う。
「佐東さんは法律事務所で働いているんですよね?」
彼女が言った。俺に対して。
え、だからなんでだ!?
変わらず話しかけられる。
俺、調子悪いのか。
それとも、もしかして彼女も魔法使いなのか?
俺より強い魔力を持ってて、俺の魔法が効かないとか!?
でも、彼女から魔力を感じない。
戸惑う俺に、彼女は普通に話しかけてくる。
……俺の調子が悪いだけだよな。
合コンがお開きになるとき、彼女から連絡先を聞かれて交換した。
そして、数日後にご飯に誘われた。
そこでも俺は魔法を使ってみた。
姿を消してみたり、彼女が声を出せないようにしてみたり、行動をコントロールしようとしたり――念のために言っておくと、食べる順番を思い通りにするようなことだから――そのことごとくが効かなかった。
彼女は普通に話す。
魔法にもかからないで、普通に。
これはやっぱり……彼女も魔法使いなんじゃないのか。
しかも俺よりも魔力の強い魔法使い。だから俺の魔法なんかにかからない。俺より強い魔法使いなんて初めてだ。
でも、彼女は自分が魔法使いだということを微塵も感じさせない。
俺に何か魔法をかけてくるわけでもない。
彼女に誘われて会うことが増えてくると、なんだかだんだん悔しくなってきた。
好意をにじませてくるから余計にだ。
マーキングをしてこないのも、いつでもできるからだと言われているみたいで、その余裕が悔しい。
悔しいから、俺からは絶対にマーキングはしないと決めた。
もともとマーキングしようとしても効かないんだけど。――この頃はもう、魔力の力比べのつもりでマーキングをしていた、つもりだった。
彼女より魔力を上げるにはどうすればいいんだろう。
魔力のコントロールは、料理や家庭菜園がいい。魔法で料理も一瞬で出来るし、野菜の成長だって早められる。でも、自分で手間暇と時間をかけてすることが、魔力のコントロールにいいと言われていた。
だから俺は子供のことから家庭菜園をしていて、魔力のコントロールを鍛えていた。
コントロールはそれでいいとして、魔力を上げる方法は分からない。
持って生まれたものでもあるし、それこそ魔法使いからのマーキングで魔力を上げるくらいしか分からない。
なんとかして彼女に勝ちたい。
彼女より多くて強い魔力が欲しい。
でも、他の魔法使いに聞いても魔導書を調べても全然分からない。
どうすればいいのか分からなくて焦った俺はつい言ってしまった。
「俺を誘う理由ってなんですか? 本当はなにが目的なんですか?」
「……え?」
ご飯に誘ったり映画に誘ったり、俺といるときニコニコ笑って楽しそうに話してくれて、楽しそうに話を聞いてくれて。
それなのに絶対にマーキングはしてこない。
俺より強い魔法使いなのに。
そのときは本気でそう思っていた俺は、彼女がなにを考えているかさっぱり分からなかった。
だから言っちゃたんだけど……
「好きです、付き合ってください!」
「…………へ?」
好きです付き合ってください好きです付き合ってください好きです付き合ってください好きです付き合ってください…………
好きですって……
付き合ってくださいって……
「え、あ……そういう……えーっ……」
俺はただ魔法使いとしてっていうか、魔法使いとしてどういうつもりで俺といるのかっていうか。
今はまだそのつもりで……。
俺が混乱してる間に、彼女は泣き出しそうな顔で笑った。
「……なんか、ごめん。こんなこと言われても困るよね。うん、ごめんごめん! いや、全然気にしないで! じゃあ、そういうわけで! 解散!!」
背中を向けた彼女の腕を思わず掴む。
駄目だ、ここで逃がしたら駄目だ。
「ごめん!」と謝ってから、彼女の体が強張ったのが分かった。
あ、ヤバイ。今の言い方じゃフッたみたいになるのか!?
「違う、ごめん! いや、そうじゃなくて!! …………あの……よろしくお願いします」
彼女の腕をつかんだまま頭を下げる。
俺、必死だな。
「こちらこそ……」
彼女も頭を下げたのが分かった。
こうして、俺たちのお付き合いはスタートした。
▽ ▽ ▽
付き合ってみて、俺はだんだんと彼女のおかしさに気付いてきた。
俺は、千智が俺より強い魔法使いだと思っていた。
だけど、付き合っても千智は全然魔法を使わない。匂わせすらしない。
付き合ったんだし、マーキングをしても良さそうなのにそれもしない。
俺は今までのこともあって気を付けてはいたけど、やっぱり好きな相手には無意識にマーキングをしてしまう。
それは魔法使いの本能ともいえて、俺はそれがずっと嫌だったわけだけど、それでもやっぱりいつの間にかしていた。
あるとき千智にマーキングするため魔力を送っていることに気付いた。力比べじゃない、愛情表現のマーキング。
すぐに止めたけど、俺が送った魔力を千智がまとうことはやっぱりなかった。そのまま流れて、空気の中に消える。
そのとき、俺は初めて疑いを持った。
千智は魔法が効かない体質なんじゃないか。
俺はずっと間違ってたんじゃないのか。
千智は魔法使いじゃないんじゃないか。
それを確かめるためにも、俺はもう一度、改めて千智に魔法をかけようとした。わざとマーキングもしてみた。
でも、やっばり全然効かなかった。
信じられなかった。
魔法が効かない人間なんているのか。
魔法使い仲間に聞いてみるが、誰もそんな人間を見たこと無いと言う。
魔導書をいくつも調べてみると、その一つにそんな人間がいたという記述もあった。
かなりめずらしいのは間違いないけど、千智はそのめずらしい種類の人間なのか。
つまり魔法が効かない千智とは、魔力の影響のない関係を作れるのだ。
その頃には、俺の腹の底に一つの覚悟が生まれようとしていたんだと思う。
俺は千智を試すように魔法を見せるようになった。
例えば、千智がどこかにやった鍵を探し出したり。
例えば、忘れてきた映画のチケットを手元に呼び出したり。
例えば、土砂降りの雨から透明な膜で千智を守ったり。
例えば、醤油で汚れた千智の服のそでをきれいにしてあげたり。
千智はそのいちいちに驚き、少し不思議そうな表情を浮かべる。
その様子が嘘だとも、誤魔化しだとも思えなかった。
千智は魔法使いじゃない。
ただ魔法が効かない人間なんだ確信して、俺は自分が魔法使いであることを話すことにした。
魔法使いは、家族でもない一般人に自身の存在をバラしたりしない。
それは魔法を利用されることを防ぐためだ。
もしバレたときは、上級クラスの魔法使いに頼んでその人間の記憶を消すこともある。
忘却魔法は簡単なものじゃないから、上級クラスの強い魔法使いに頼む必要があるのだ。ちなみに俺は忘却魔法を使えるけど。
でも、千智にはその記憶操作の魔法も効かないだろう。
だから千智には絶対にバレてはいけないんだけど、千智だからこそ俺は教えたかった。
▽ ▽ ▽
「なんか聞いてるとさ、わたしがマーキング出来ない相手だから、なおさら好きになったってとこもある? 海は人の気持ちを魔法でどうにかできるって疑うのが嫌だから、魔法の効かないわたしはちょうどいいって」
高層ビルの屋上のへりに、俺たちは座っていた。
子供みたいに足をブラブラと二人揺らす。
足元に広がる人口の光。車のヘッドライトが川のように流れていた。
誰も立ち入らないそこに、俺は彼女を連れて行った。
竹ぼうきに乗せて。
千智が子供の頃に描いた夢を叶えるため、俺は彼女を飛行デートに誘った。
そこで俺はすべてを話した。
俺が魔法使いであること。
魔法使いにはマーキングという愛情表現があること。
千智が魔法使いだと疑ったこと。
でも、そうじゃなかったこと。
それを驚きつつ、ずっと聞いてくれてた千智がふいに言ったのだ。
拗ねたように言いつつ、左手の薬指に嵌まった指輪を意味もなく触っていた。
俺がさっき贈った指輪だ。
「確かに俺は魔力が強い分、自分の思い通りになってるんじゃないかって人の気持ちを疑いやすいし。そういう意味では千智がマーキングできない相手で理想的だってのはそうなんだけど」
「ほら~。わたしにマーキングが効くようになったら、今までの人みたいに疑って別れたいとか言うんじゃないの」
不安と嫉妬をにじませて、それでも言わずにいられない様子に思わず笑ってしまう――ニヤけてしまう、がたぶん正しい。
指輪に触れている千智の手に自分の手を重ねて、一緒に指輪に触れた。
「千智がマーキングできるようになったらマーキングはするよ。たーっぷり俺の魔力を分ける」
「それでわたしの気持ちを自分の思い通りにしてるって信じられなくなって別れるって?」
「別れないし。千智、俺のこと大好きじゃん。疑う余地がないでしょ」
「ちょ、調子に乗るなよ〜」
照れて顔を赤くした千智が、俺の肩に頭をグリグリさせてくる。
グリグリしてくる頭に頬を寄せて、俺もグリグリする。
「あっ!!」
急に声を上げて千智が顔を上げるから、思いっきり顎がぶつかった。
「痛っ!」
下手したら舌噛んでた。
顎をおさえて千智を睨めば、千智は千智で頭を押さえて痛みに耐えていた。
やがて痛みが治まったのか、顔を上げる。あ、ちょっと涙目。
「マーキング!」
千智は言った。
「マーキングだよ! マーキングされた相手って運がものすごく良くなるんでしょ! 海が強い魔法使いなら、もしマーキングされたら運がむちゃくちゃ良くなるってことでしょ。それで宝くじが当選するには犯罪的じゃないでしょ。うわ、どうする!? 宝くじ一等当選だよ! 三億円だ!」
億万長者だー、と千智は叫ぶ。
「だから、そもそも千智にマーキングは出来ないんだって」
「それ! 本当に!? どうにか出来ないのかな!? 億万長者が、三億円が目の前にあるのに!」
「ないし。ってか、千智はマーキングされてもいいの? そうなったら俺と離れられなくなるよ」
マーキングされると、された相手はその魔法使いを好きになる、離れられなくなる。
そんなの気持ちを操られるようで嫌だろ。
「え。でもそれ、今と変わんないじゃん」
それなのに千智は平気な顔をして言うのだ。
「これだって、つまりはそういうことでしょ」
そう言って、左手を顔の横まで上げる。
左手の薬指に光る指輪。
確かにこれは目に見えるマーキングだ。
「……そういうことだな」
俺は笑って、彼女を抱きしめた。
魔法なんて必要ない。
俺は彼女とずっと一緒にいるのだ。
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