レポートシリーズ その1 サイキックエンタテインメントを見ました
1990年代おわりごろ書いたものです。20年以上前のことですが、ネットで検索してみたら、マスター久村俊英氏は、まだ健在のようですので、中身は、決して古くはないと信じて、公開することにします。
ショーの雰囲気などは、ネットの他のレポートよりも、うまく表現できていると、自負できます。
ネットには、タモリを育てた漫画家、赤塚氏の話などもありました。どうやら、氏も、ショーを見に行ったことがあるらしいですよ。
「とにかく、すごい人がいるから、一度行ってみたら」と知人に勧められ、台風が広島あたりを通過したばかりで、九州自動車道は、まだ通行止めになっているというのに、いざ長崎へと、車を出した。
途中で、高速道路が通れるようになったというラジオを聞いて、結局、長崎自動車道にもどったのだが、ハウステンボスの、ちょっと手前の、JR川棚駅の駐車場に車を置いたのは、8月11日16時過ぎだった。
道を渡った所の左手、ビルの2階が「あんでるせん」という軽食喫茶である。
ちょうど今、サイキック エンタテインメントというショーが始まったばかりで、途中からは入場できないという。もともと何時間も待たされるとは聞いていたが、私たち夫婦が、次のショーの順番待ちの列の、一番前ということになった。
間も無く、6人連れの一家がやって来た。家族同士の会話からすると、ハンバーガーショップの経営者らしかった。その男は、このショーを3回ほど見に来たことがあるそうで、私たちが初めてだと知ると、自分が以前に見たショーがどれくらい面白かったかを、いろいろ親切に話してくれた。
「あんでるせん」のマスターが、そのマジックの達人なのだが、客の目の前で、ティッシュを、ゆっくり鶏の卵に変えて見せ、その卵を割って、白身と黄身とを確かめさせた、とか、電源につないでいないニクロム線を、ただ、指で持っているだけで、赤く熱くなる、とか、まるで、自分の ことのように、自慢気に話してくれる。
マスターには金銭欲も名誉欲もない。だから、観覧料も取らない。テレビにも絶対に出演しない。マイペースを乱されたくないという信念に基づいてのことらしい。その上、どんな金持ちでも、偉い人でも特別扱いはしない。ソニーの会長(井深大氏)や、歌手の杏里も来たが、列の最後に並んで下さいという扱いを受けた、等々。
しばらくすると、ドアの向こうで、ショーが始まった気配である。時々、「おーっ」という、どよめきが漏れてくる。
薄汚い、雑然とした、蒸し暑い階段で待つことおよそ3時間半、ショーが終わって、客たちが出て来る。みな、すごいものを見たという感じで、興奮しているのが、ありありとわかる。ぐにゃりと曲がったスプーンを持っている人や、いわゆる「念写」をした、インスタント写真を持っている人もいる。見せてもらうと、人物のおデコのあたりに、宙に浮いた一万円札が、ぼやっと、二重写しに写っている。ネガから焼く時なら、二重写真を作ることもできるだろうが、ポラロイドで、どうしてこんな写真ができるんだろうと、不思議な気がする。
いよいよ私たちが店内に入る。カウンターが特別席と聞いていたので、カウンターに座る。まず軽食をオーダーする。メニューには、しるしが付けてあって、その5、6種しか頼めない。値段はどれでも千円以下。デザートまで入れても、大した金額にはならない。観覧料まで含まれていると考えたら、タダのようなものだ。客は、最初、30人以上いたが、一番最後に遅れて入って来た営業マン風の数人組は、コーヒーだけ飲んで、すぐ帰って行った。ショーのことなど、まったく知らない、通りすがりの客だったのだろう。絶好のチャンスだったのに、見逃してしまったとは、ほんとに、惜しいことをしたものだ。
軽食ができるまで、あるいは、食事後、ショーが始まるまで、けっこう時間があるので、店内をキョロキョロする。マスターが作った折り紙が展示してある。芸術と言ってもよいほどの力作が、たくさん並んでいる。キツネやタヌキのような単純なのもあるが、中には、タレントの似顔絵などもある。チェッカーズなどグループの似顔も、一人一人そっくりに折り紙で作ってあった。
カウンターには、名刺入れの箱があって、客が置いて行った名刺がたくさん入っている。東京、京都、大阪、沖縄から来た人もいる。実業家が多い。
医者や教授や、テレビ局のプロデューサー、ディレクターなどのもある。例の、私の知人(物理の先生)のもあった。
食事が一通り終わったところで、ショーを見るために、客がカウンターの所に集まる。マスターは、カウンターの中でショーをやるから、私たちが最前列でイスにかけて、あとの人は、立ち見のような感じになる。
マスターは、45歳くらいに見える。眉の濃い人物で、今まで調理をしていた男が、ただちにショーを始めるわけである。
まず、私の両手で、水をすくうような形をつくらせる。そこへ、他の客から出してもらったタバコ一本を寝かせて置いて、ちょっと気合いをかけると、タバコが立ち上がる。糸も何にもつけていないのに。
そのタバコを右に左に踊らせて見せたあげく、また、ちょっと気合いをかける。タバコはポーンと跳ねた。
高さで7、80センチ、横には1メートルくらい宙を飛んで床に落ちた。自分の手のひらの中の出来事なのに、どんな力がこのタバコに働きかけているのか、私には、わからなかった。
理屈はわからなくても、不思議な事実だけは、目で確認できる。これが、このショーの特徴であろう。
以下、休む間もなく展開された不思議なショーのうち、印象に残っている、いくつかの例を紹介してみよう。順番はかならずしもこの通りではなかったかもしれないが。
客から500円玉とタバコを借りる。左手にコイン、右手にタバコを持って、コインにタバコをじわじわと突き刺して行く。すると、タバコは、コインの裏から頭を出して、曲がりもせずに伸びて行く。途中でタバコから手を離すと、タバコはコインに突き刺さったままで、変なコマのように見える。また動かし始めると、タバコは、すいすいと、コインの壁を行ったり来たりする。タバコを抜いてしまうと、コインに穴はなく、もとの500円玉にもどっている。
マスターが電球をもつ。ソケットもコードも付いていない裸電球の、ネジの金属部分を、右手をソケットのような形にして、そこで握る。「電球があかるくなります」というと、パアッと電球に灯がつく。
長さ5センチくらいのニクロム線を持つ。「赤くなります」というと、見ているうちに赤熱してくる。あとで客に触らせるが、黒くなってからでも、まだ熱い。当然、マスターの指が、アズキ大の火ぶくれになっている。「これを治してみせます」と言って、撫でているうちに、、ほんの数秒で、「はい、治りました」と、客に手を見せる。もう、火ぶくれは、なくなっている。
砂時計の砂が、さらさら落ちている。「砂が止まりますよ」というと、ほんとに止まってしまう。「また、落ち始めますよ」という。ほんとに、そうなる。ちょうど、催眠術師が、かかりやすい人に暗示をかけているもうな感じで、砂時計に暗示をかけているように見える。
ボルトとナットをきちんと締めたものを白い皿の上に置く。それに、透明なガラスのコップをかぶせる。手のひらをそちらに向けて、祈るように精神を集中する。触りもしないのに、ボルトとナットが、激しく踊り出す。すごい! と思う間も無く、ナットがボルトからはずれて、皿の端まで転がって倒れた。ほんの数秒の間の出来事であった。「どちらかが止まっていないと、両方とも同じように回転したら、はずれませんよねえ。実は、そこのところが、とても難しいんですよ」と、ケロっと、そういう。
私に、スプーンの柄の方を持たせる。マスターがスプーンの丸い方を両手で包み込む。ほんの数秒で、「あなたは今、何を持っていますかねえ」という。人をバカにするな、という気持ちで、「スプーンですよ」と、私が答える。「そうですかねえ」と言いながら、マスターが手をはなす。すると、「あれ? 」である。みんなから、どよめきが起こる。スプーンが、いつの間にやら、フォークに変形しているのである。形は、ちょっといびつで、学校給食のフォークのように、おかしな形ではあったが、先が確かに3本に分かれて、フォークになっているのは、間違いない。柄を持っていた私には、スプーンが熱くなったり、スプーンに何らかの物理的な力が働いたという衝撃などは、感じられなかったのに。
ありあわせの新聞を、お客の一人に、両手でピンと張るように持たせる。そして、やはりお客から借りた50円玉を右手の親指と人指し指でつまむ。「コインが新聞紙の中に入って行きます。ほら、今、穴の所まで入りましたね。もっと入ります」
50円玉を押して行くと、ハサミを入れているような感じで、直角に立ったコインが、完全に新聞紙の中に
食い込んだようになっている。通り過ぎた跡が切れているかというと、切れてはいない。切った後で、また、くっつけたような形跡もない。しかも、かなりのスピードで、長さ40センチくらいの弧を描きながら、新聞紙のもう一方の端から抜け出す。客はみな、オーッというばかりである。
あんまり不思議なので、このマジックについて、ショーが終わった後、個人的に質問してみた。どうして、ああいうことが起こるのか、と。
マスターは、両手の指を開いて、「分子と分子の間には、科学者も認めるような、こんな広い空間があるんですよ。その空間を、もう一方の分子が通り抜けるように持って行けば」と言いながら、両手の指を組み合わせて、「こうして、無理なく通り抜けられるんですよ」
こういう理論は、物理学者などから見れば、間違っている、というかもしれない。しかし、現実にショーを見た後では、それで納得せざるを得ない。この文を読んで、オマエ、だまされているよ、と言いたい人もいるだろう。そう思いたい人は、そう思ってくれれば、それでいい。しかし、私は、現代の科学では説明し切れない現象が、世の中には、まだまだ、たくさんあるだろうと思っている。
このショーの理論的な解明は、すぐにはできないにしても、こういうことに興味のある人は、一度、自分の目で確かめてみるだけの価値はある、という気がする。
特に、次のようなマジック、いや、これはマジックなんかではなくて、もっと質の違うものだろうという事実なのだが、これは、やはり、私の説明では、実感が伝わらないだろう。だが、一応、紹介だけは、しておきたい。
マスターが二つ折りにした小さな紙切れをかかげながら言う。
「私は、けさ7時に、この紙にメモを書きました。それを、いまから、こうして、財布にはさみはさみます。これを、どなたでもいいから、ちょっと、持っていて下さい。中を見ちゃダメですよ」
客の一人、20歳くらいの女性が受け取る。すると、その妹らしいのが、「私に持たせて」と言う。妹に渡す。
次にマスターは、型の古い電卓を出す。そして、私をふくむ4、5人の客に「好きな数字を3ケタ押して下さい」とか、「今、画面に出ている数に、2ケタの、お好きな数をかけて下さい」とか、「3で割って」とか、加減乗除を10回くらいさせる。その間、マスターは、電卓をのぞきこもうともしない。やがて、画面が520,205になった。それで計算ゲームはおしまいだと言う。電卓は客の一人が持ったままである。
「その数字に、心あたりのある方はいませんか? 」電卓の画面をみなが、のぞく。
例の妹が、すっとんきょうな声をあげる。
「あれ? これ、私の誕生日よ! ほら、52年2月5日!」
その家族が、みな、不思議そうにうなづいている。
「生まれた時刻は、あさ、9時ごろだったでしょう」
「私、何時ごろ生まれたとか、聞いてないわあ。お母さん、私、何時やった? 」
「あんたは、何時だつたかねえ。お姉ちゃんが………。ああ、あんたは、朝だったわよ。9時かどうか、、そこまでハッキリおぼえてはいないけどねえ」
「まちがいありません! 9時ごろのはずです。あなたのお名前もわかります。ウエムラ ヨウコ さんでしょう。ウエは、上下の上じやなくて、動物植物の、植の字ね。ヨウコのヨウは、サンズイに羊の洋じゃなくて、太陽の陽でしょう」
「すごい! どうしてわかるんですか? 」
「私には、今日、どんなお客さんが来られるか、事前にちゃんとわかるんですよ。その中から、お一人の名前だけを紙に書いて、さっきの財布にはさんでおいたんです。出して、確かめてみて下さい。」
例の妹が、持っていた財布から、折りたたんでいた紙切れを出して、開いてみる。かなり大きな字で、
「植村陽子」と書いて、その下に、「52年2月5日生」とやや小さな字で書いてある。客が回覧しながら、それを確かめる。そして、不思議がる。
「私たちが、ここへ来ようと言い出したのは、3時過ぎだったのに、どうして、朝から、わかっていたんですか? 」
「あなた方は、自分の意志で、こちらへ来たと思っているでしょう。そうじゃないんですよね。すべて、運命として、前々から、決まっていたことなんですよ。
だから、私には、朝の7時から、あなた方が、今日みえるのは、わかっていましたよ」
またまた、みなが、うなる。
「それじゃあ、ここにいる一人一人の未来の運命もわかるんですか? 」
「はい、わかります。でも、そのためには、ものすごく精神を集中しなくてはならないし、時間もかかるんですよ。とても、みなさんの期待にはこたえられません。それに、いいことなら、教えてあげてもいいけれど、悪いことは、わかっても教えられない場合があるでしょう。たとえば、恋をしている人に、結婚しても幸せにはなれないよ、とか、夫婦連れに、あんたたち、将来別れます、とか、言えないでしょうが。
あなたは、何歳の時に、こんな死に方をします、とかも、言えませんよ。
あなたたちも、そんなことは、知らない方がいいでしょう」
みんな、シーンとしてしまう。
「運命を見てくれ、とか、こんな人をさがしてくれ、とか、今、頼まれている分だけでも、これだけあります」と、数百人分の手紙、写真などの束を見せる。
「一人分でも、すごく時間がかかるので、みな、置いたままにしてあります」 ケロッと、そう言う。
「予知能力とか、透視能力とか、そんなものは、心の素直な人なら、だれでも、訓練すれば、身につけられるものですよ。あまり特別には考えない方がいい」
「でも、私のように、50歳を過ぎたら、もう、修業するには遅すぎるでしょう」
「いえ、心が若くて、柔らかければ、大丈夫です。若い人でも、心のカタイ人はダメです」
「何か、宗教的な信仰心みたいなものが必要なように見えますが………」
「あまり関係ありませんね。純粋に神仏を尊敬するような、素直な信仰心はプラスに働きますが、なにか、特定の宗派にこだわるガンコなタイプの信仰は、かえって、マイナスになりますね。
どの道を登っても、頂上は結局一つでしょう。自分に合った道を選んで登るのが一番いいんで、合わない道をムリして登るのは、かえって不自然でしょう。
だから、この宗教はよくて、あの宗教はダメだとか、他の人に押しつけるような人は、、サイキック・パワーをみがくのには、かえってマイナスになる面があります」
このほか、カード、スプーン、サイコロ、一万円札、インスタント写真などを使うマジックもあったから、およそ30種類近くのマジックを、2時間くらいの間に、次々に見せてくれた計算になる。それらを通して
世の中には、念力とか、予知能力とか、透視能力とか、言葉ではうまく言い表わせないような不思議なものがあるんだなあ、ということが、しみじみとわかってくる。
念のために申し添えると、すべてのマジックが成功したわけではない。ひところ大流行したことがある、例のルービックキューブをほんの数秒でキチンとそろえてみせるというマジックには失敗した。もう一つ、腕時計の針を、さわりもしないで、気を送るだけで、クルクルまわすというマジックでは、他の人の時計では、みな成功したが、私の時計では、途中でやめた。20年以上も使っている古い型なので、「この時計は、ムリをすると、ガラスが割れそうだから、やめておきます」ということだった。そういう御愛敬もあるにはあったが、総じて、私たちは、イヤ、私は、という方が正確かもしれないが、感動の連続であった。
マジックそのものも興味深かったが、その間、間に、イメージトレーニングをすると、どういうプラスがあるとか、他の人のオーラを見抜けるようになるには、こういう訓練をすればいいとか、マスターがちらりほらり話してくれた体験談も、私には、、とてもおもしろかった。
ちなみに、マスターの名前は久村俊英という。
おもしろい話でしょう?
自分の目で確かめに行くのが、一番いいと思います。
見られたら、それだけで、しあわせなことです。