天孫族の正体
天孫族とはなんであるか?これを広く扶余とは言わずに稲作民と完全に同一じゃない遼河人だと見ている。稲作民なら天孫族じゃないそんな単純な話じゃない。南方遼河人が主に稲作を専業とするグループ。北方遼河人は畑作の雑穀グループで稲作もその一部でしか無い。両者は同じ雑穀民から分岐した。
これを単純に長江人と分けるべきじゃない。何故ならそもそも長江と遼河と黄河の文明が混じる山東省では雑穀農業の1つとして粗放稲作が営まれていたからになる。これが北方に行けば稲を穀物として扱わないってだけになる。これを単純に2分して文化が違うと言うのは間違ってる。
ただ山彦と海彦の神話は日本と同一物が生まれやすい下地があったと見ている。弥生縄文どちらにも類似した神話があったのじゃないか?と私は見ている。ただそれを現在確かめる方法は無いその両者は同じ民族として合体してしまったから。
天孫族の正体はおそらく金氏だと思われる。本来なら天皇がC2C1ならすべて解決していた。諏訪家もC2C1だとの分析出ていて、これは信頼できる。韓国の調査で手前味噌だが、出雲と信濃の関係を遺伝子から紐解いてる。これを日本のルーツは半島にあるって捏造だと思いたい人はそう思えば良い。私はコレは単純に探究心だと見ている。
そもそも神話から、千家は全く別の系統で、カミサマ自体が全く違う。アマテラスの系統から生まれて後から下野した天皇家に近いグループになる。そのいつてしまっていずも王家に繋がる人達になってしまったとなっている。国譲りの説得の使者で、たけみかづちに近い立場のカミサマだった。後の大江=毛利、菅原はこの系統になる。
新羅の系統の金氏も任耶の系統の金氏も匈奴の出身だとある。だがこれは間違ってなくて、匈奴の一般兵士はC2Cが多かった。匈奴の王族だと言うのはたぶん間違い。周と匈奴はまず末裔を疑ったほうが良い。Q系と言うとても珍しい系統なのでそれが出なかったらまず関係が無い。ただの匈奴の一兵士が流れてきただけの可能性はある。
彼らの匈奴伝説は意外と間違ってない可能性がある。と言うか匈奴は無い。何故なら言語が違うからになる。匈奴の言語は分かってないが、間違っても扶余の系統とは違う。問題はそこじゃない。騎馬民族として匈奴と名乗るのはヤクザのブランドに近い。中国ならこれが否定的な目で見られても、騎馬民族として悪名のようなものを利用するならこれはハッタリとしてありうる。
後扶余は騎馬戦闘について匈奴から学んだ可能性が高い。扶余の王族はひょっとしたらルーツは匈奴の一般兵士にあるかもしれない。それはまた別の話しになる。大事なのは、別系統の金氏が両者とも騎馬民族の出身であるとする自称をしてる点である。
天皇=任耶=加耶=狗奴韓国の親戚である可能性が高い。多くの論者はここで天皇は金氏=としてしまうだろう。だが私はそれは違うのを知っている。それゆえに複雑なものになり、天皇家は北九州土着の系統だと見れる。これ結構大事なんだ。江上氏の欠点は、何の土台も無い半島の騎馬民族が日本にやってきてあっという間に天皇になるってシナリオが強引だからだ。
まさにこれこそ神武東征の神話そのものになる。実際は土着の勢力としてのもろもろなものや宗教も絡んだ多分すごく複雑なものだと見ている。それをすべて解き明かすのは多分後世から無理。だが1つだけヒントとして現代も残る過去の事実として遺伝子を残してくれた。これだけが手がかりになる。
さてこの場合とても問題になるのが、天皇=狗奴韓国の親戚じゃない。もっと問題は諏訪家になる。C2C1には縄文時代の系統と、弥生時代の系統がある。それは半島だって同じなんだ。細石器の文化は中国や半島にも別系統で広がっていて、これが日本の西日本に入ってきた系統になる。
当時の最大の問題として、当時のC2C1は北方適応してない。身体的な長身化の変化はしてる。それは日本の人骨から分かる。だが顔は全くの古モンゴロイドの系統になる。半島からいずもへC2C1が来ても、古モンゴロイドである可能性が0じゃない。それはさすがに騎馬民族じゃない。
半島のC2C1系お古い家系(百済は日本人の子孫しか知らない)は皆3国の王族のルーツを持っていて、そのすべては騎馬民族ルーツだった可能性を秘めている。だが諏訪氏は怪しい…。ついでに高句麗も加えたいが高句麗は系統が違う。これは朱蒙と百済の扶余氏が実の親子じゃなかった可能性が言われてるからだ。呂不意と始皇帝の関係にそっくりで、朱蒙の奥さんは朱蒙と敵対してた扶余国の王様の后だったから。
すでに前王の子を身ごもっていた人を奥さんにしたとの伝説が残っている。朱蒙が扶余族だったのは間違いが無いが、朱蒙が扶余王家直系とは限らない。この辺りは騎馬民族=C2だという単純化で見ると分からない。
例えば宋の太祖がO1A系と言う薄い(調査対象が少なすぎる)調査がある中国人だという人達が居るが、私はこれ全くおかしいと思わない。遊牧民には過去に東海岸を北上した南蛮の系統がたっぷり入ってるから。日本にとってはこれ当たり前の事になる。実際他にも遊牧民の出身のO1A系の歴史上人物はちらほらいる。
遼河とはそういう場所で。ここから大半の遊牧民は広がっていったんだ。日本人とモンゴル人の一部の系統が近いのは当たり前なんだ。
高天原はおそらく半島だけじゃない。遼河地域全体を含んだものだと見ている。すでにアマテラスと北方騎馬民族神話の融合はなされてる可能性もありうる。騎馬民族と農耕民を同一として見れない悪い癖だと思う。私達は近代のモンゴル帝国が持つ固定観念に毒されてる。騎馬民族征服説を後世の1000年ぐらい未来のモンゴル帝国と同一視するのはおかしいと思う。
さてここで問題だが、呉越の王権が天皇家のルーツの可能性は無いのか?これはそもそも倭奴国の呉の太伯の後と言うのが間違ってる。Q系の王族なんて日本に来てるわけが無い。これは呉の住民ぐらいで捉えれば良いとおもうし、渤海を北上した民族の歴史とも言えなくも無い。
直接ルートの可能性はとても高いが、基本的には小集団だと見ている。南方の遺伝子のほとんどは遼河人によって明らかに薄められている。だから来てたとしても少数だとすぐ分かる。こういった集団は大集団のブレーンとなりやすい。天皇家が初期混血した可能性がある弥生人は遼河人と混血した半島ルートの弥生人だと見ている。
イキナリ縄文集団から金氏集団と混血はありうるか?ならまずありえない。縄文ベタベタの集団が大きな集団になれるわけがないから。大きな勢力になるには絶対に稲作民と結合する必要がある。その系統は出雲系だった可能性もある。天皇家は縄文海人として出雲王朝連合の一員だった可能性もある。
ただ当時雑多な初期稲作弥生人との混血グループが多かったと思うので、無理にメンバーに加えなくて良い。金氏側に天皇家と婚姻するメリットが無いといけない。
ただ本当に金氏なのか?は大事じゃない。やや北方よりの戦闘支配民族がほかに思いつかないだけだ。後は倭国が戦乱状態になったのと、北方からの戦闘民族の侵入が重なってるから。後はこの前に北方系統の金属加工集団が来てるのもある。この2つの流れが稲作人口過密弥生文化を爆発させたと見てる。
アマテラス的な初期稲作集団が戦乱によって戦闘的になったか?ならだとしたらなおさら戦闘集団と婚姻関係がありうるんだ。それこそが私の考えているシナリオになる。土地に縛られない海人縄文人が初期稲作集団と混血する。次の婚姻は政治的な政略結婚の意味合いが強いと見ている。何故藤原は天孫族じゃないのか?
そういった部分で初期農耕民やただの中国系海人集団じゃ天孫族になれなかったのじゃないか?と見ている。だから神族系と言う独特の系統を造ったと見ている。同じ神様として高天原(半島じゃなくて広く大陸)に居たが天孫族じゃないってなる。
北九州に数多く居た神器を複数持つ集団の中の多分かなり大きな集団が、ウガヤフキアエズでは無いか?と見ている。ウガヤフキアエズはすでに天孫族と混血済みの子孫だとなる。家父長制度がしっかりしてる騎馬民族で父親がどこの馬の骨とも分からない縄文系ってありえない。これは土着の大きな勢力の家との政略結婚があったのじゃないか?と見ている。
スタイルだけを模倣した稲作祭祀王だったのか?ならそれもあるだろう。だが、この時代のやり方を見るとまず婚姻で固めるケースが多いんだ。そこまでやろうと思ったなら多分親族になる道を選ぶだろうと見ている。スタイルの模倣イコールそれが自然なんだ。神器と宗教が一体となった当時の北九州の流れからすると、それはもしスタイルの模倣だけなら、後からあいつはどこの馬の骨だ?と突っ込まれる。
多分天皇家が出雲王朝と近かったのは皆が知っていたある血の事実があるんだろうと見ている。ただそれを天皇=C2C1とは絶対出来ないのを江上氏と私は情報に差があるから複雑な論理展開にする必要があるんだ。
後は3種の神器になる。これ少ない方が良いと言うのは、元々意味があったから、盃=宗教。斧=武力、鋤=食料。こういった意味があり、だから3種だった。これを鏡=宗教、斧=剣、鋤=勾玉となる。ただこれちょっと最後だけ強引勾玉は縄文の神器で、この辺りは和風のローカライズがされてるので、元の意味は生命力みたいなものでスキタイのものと違う。
食料=生命は多分後世の人の後付けになる。意味合い的にはここは適当だと思う。そもそも鏡と盃が関係無さ過ぎる。ここが太陽神が軸になった部分で、やはりこれはごった煮の宗教観だと言えると思う。天の太陽へのすり替えに近い。ただ太陽神自体は普通にある。最高神だったか?は分からない。
でも欧州系遊牧民の共通する最高神は雷の神様になる。ユダヤのヤハウェも下はバールって雷の神様だったはず。スキタイがどうだったか?は分からん。太陽神は多分アポロン的なものがあっただろう。斧と剣は戦い方の違い。当時の戦車による戦いのためこうなったのが大きい。サルマタイ以外槍的な斧矛を使った戦闘はスキタイはしてなかったはず弓矢だったはず。
だから剣は馬の戦闘と全く関係ないんだ…。このあたりも単純に騎馬民族=馬って考えるのは間違ってると書いてる。剣での戦闘はあぶみの発明からで、スキタイは鐙を使っていたが、使い方が戦闘のためじゃなかった。これを剣や矛をもった馬上戦闘に使ったのは中国人だから。多分無茶苦茶ローカライズされてる。
最後になるが、この論は天皇=D系、諏訪氏=C2系と言うのを確度の高い調査だと見てるのが根拠になってる。これが馬鹿馬鹿しいと思うか?外れる可能性が嫌ならこの話は馬鹿話だと流して欲しい。それに賭けてみる人間だけが楽しめる話だから。




