9話 優しさ
「えへへー、おとーさんと一緒、おとーさんとつながってる♪」
ぴょんぴょんと、喜びを表現するようにその場で跳ねるイノリ。
そんな娘の姿に、自然と頬が緩む。
この胸の温かい感情は、なんだろうか?
娘をかわいい、と思う気持ちなのだろうか?
イノリと一緒にいると、新しい自分を発見する。
とても新鮮な気分だ。
「さて……少し寄り道してしまったが、部屋の掃除をしよう」
「おー、そうじするよー!」
イノリは、俺が作り出したエプロンとマスクを身に着けた。
少しサイズが大きかったらしく、ぶかぶかだ。
だが、それはそれで似合っていた。
かわいらしい……と表現すべきか。
「では、始めるとしよう。まずは、リビングから綺麗にするぞ」
「おーっ、イノリ、がんばるよ」
二人で掃除にとりかかる。
イノリは背が足りないので、高いところの掃除は俺が。
そして、床に落ちた埃などを、イノリが箒で掃く。
「えへへー」
箒を動かしながら、イノリが笑った。
「どうした?」
「おとーさんと一緒のおそーじ、たのしーな♪」
「そうなのか? ただの掃除だぞ?」
「おとーさんと一緒だから、たのしーの♪」
「……そうか」
今の俺は、ニヤけているかもしれない。
まったく、天下のドラゴンがなんという顔をしているのか。
威厳というものがゼロだ。
だが、不思議と悪い気分じゃない。
むしろ、今までに味わったことのない、良い気分だ。
これも、全部、イノリのおかげかもしれないな。
「あっ、おとーさんも笑ってる―!」
「むっ、そうか?」
「うんうん。おとーさんも、うれしい? イノリと一緒で、うれしい?」
「そうだな……うれしいぞ」
「えへへー、おとーさんと一緒だ♪」
このかわいい生き物はなんだろうか?
俺の娘か。
抱きしめたい衝動に駆られてしまう。
本当に、イノリと一緒にいると調子が狂うな。
「クロさん、イノリちゃん、いらっしゃいますか?」
扉をノックする音が響いた。
掃除の手を止めて、扉を開ける。
先ほど別れたアンジェリカの姿があった。
「突然、失礼します。実は、この家……あああっ、や、やっぱり……」
俺たちが掃除をする姿を見て、アンジェリカが頭を抱えた。
「どうした?」
「この家、長らく人が住んでいないから、もしかしたら大変なことになっているのでは、と思い至りまして……やはり、このようなことになっていたんですね」
あちこちに埃が積もった惨状を見て、アンジェリカが申し訳なさそうな顔をした。
「すみません! クロさんとイノリちゃんに、こんな家を渡してしまうなんて……」
「忘れていたのだろう? 気にするな」
「でも……」
「それに、俺たちの来訪は突発的なものだ。使われていない空き家を掃除しておくなんてことは不可能だ。こうして、家を用意してくれるだけでありがたい」
「そう言っていただけると、幸いですが……でもでも、このままお二人だけに掃除をさせるわけにはいきません! 私もお手伝いいたします」
「そうか? なら、頼むとしよう」
人手が増えることは、歓迎すべきことだ。
アンジェリカを受け入れて、家の中に通した。
「あっ、アーちゃんだ!」
「アーちゃん? それ、私のことですか?」
「うん! おねーちゃん、アンジェリカ、っていうんだよね? だから、アーちゃん!」
「ふふっ、ありがとうございます、イノリちゃん」
愛称をつけてもらい、アンジェリカはうれしそうに笑う。
そんな彼女の様子に、イノリもニコニコと笑顔を浮かべている。
どうやら、イノリはアンジェリカのことが気に入ったらしい。
人見知りをするような子ではないから、すぐに心を許してしまうのだろう。
まあ、ドラゴン相手に物怖じしなかった子だ。
そういうところは理解できる。
が……俺よりも懐いているような気がして、少し考えてしまう。
気の所為なのか、事実なのか……
「……まあいい」
考えると、思考の迷路に迷い込んでしまいそうだ。
頭を切り替えて、次のことを考える。
「アンジェリカは、イノリを手伝ってやってくれないか?」
「はい、わかりました。イノリちゃん、一緒にがんばりましょうね」
「うんっ、がんばるよー!」
三人で力を合わせて掃除をして……
1時間ほどで、それなりに綺麗にすることができた。
――――――――――
「掃除はこれくらいでいいだろう。細かいところは残っているが、後日で問題ない」
「もんだいなーい!」
イノリが俺の言葉を真似する。
それほど意味のあることを言ったつもりはないのだが……
なんでも真似したくなるような年頃なのだろうか?
人間の娘というものは、なかなかに難しいところがあるな。
「助かった。礼を言う」
「いえいえ、そんな!」
頭を下げると、アンジェリカはあたふたと手を横に振る。
「私のほうこそ、このような家に案内してしまい、申し訳ありません!」
「その話なら、先ほど片付いたが」
「そうは言われても、やはり……」
「住人が構わないと言っているんだ。これ以上、気にするな」
「はい……わかりました」
アンジェリカが微笑む。
「クロさんは、優しいのですね」
「優しい? 俺が?」
「はい、とても」
そのようなことを言われても、自覚がない。
数千年生きてきて、優しいなどと言われたことは初めてだ。
「気の所為ではないか?」
「そんなことはありません。クロさんと接していて、とても優しい方という印象を受けました。それに……イノリちゃんは、クロさんのことを、とても慕っています。そんな方が優しくないわけありません」
そう言われると、悪い気はしなかった。