あの人は逃げた
「そこの君、ちょっと止まって!」
声のする方へ振り向くと、そこには濃紺の背広にトップが平たい帽子をかぶった二人組。
あー、これはまずいね。あまり外には出ないようにしてたのになぁ。まぁ、しょうがないやれるだけやってみましょう。せっかく父から自由になれたのに、今度は檻の中じゃねぇ。
俺は自転車を止めて、視線は二人組から離さずに首だけで会釈する。
「けっこう急いでいたようですけど、ここら辺は酔っぱらった方が多いから危ないですよ。避けようとしただけで転倒して打ちどころ悪かったりしたら大変ですよ。わかりますよね?」
警察官としては小柄な若い方がと周りを手で指し示す方を見ると、赤ら顔をしたサラリーマンのグループが酔っ払い特有の大きな声で話しながら歩いていた。誰一人としてまっすぐ歩いてはいない。ここは歓楽街の中心街で自転車の男の働いている店はこの近くの裏通りにある。
「運が悪かったら、お亡くなりになってしまうんですよ。そうなったらあなた責任とれるんですか?」
そうですよね、俺なんかとは違ってあの人達には死んだら悲しむ家族とか友達とかいるかもしれないものね。
「もうあと少しで”交通事故死亡ゼロ”達成なんですから、私たちが巡回中に自転車死亡事故なんか起きたらもう署に戻れないですよ。将来は捜査一課でバリバリ働きたいんですよ。そんな私の未来を壊す気ですか?責任とってくれるんですか?」
そうですよね、俺なんかとは違って輝かしい未来が待っているんですよね?他人の命よりもそっちの方が重要ですよね?
「じゃあ、身分証だして。」ほらっという感じで右手を出してくる未来の捜査官。
「いやぁ、身分証は持ってないんですよ。免許もなにもないんで」
未来の捜査官の目が細くなる。「氏名と住所を教えてくれるかな。この自転車はあなたの?」
「鈴木 太郎、住所はお店。自転車は働いているお店の物です。ほら、”エン〇ェル・キッス”って店名もここに書いてあります」
本名を告げるわけにはいかないので、とっさに偽名を告げてしまう。
けど、鈴木 太郎って、もうちょっと考えろよ俺。
気が付くと二人組の片割れがトランシーバーを取り出して自転車に貼ってある防犯登録番号を読み上げている。
しばらくしてからトランシーバーに応答があり、二人の間で2、3言葉を交わすとこちらを向いて、「ちょっと交番まで一緒に来てくれるかな、登録されている自転車の持ち主と確認をとったりしたいから、あまり手間はかけないよ」
徐々に緊張感が高まっていくけど、けっこう冷静でいられるなぁ俺。
これも風俗店勤務でお世話になった怖い方々のおかげだな。ちょっとの事では動揺しなくなってきた。
しかし、これで交番に連れられて行ったら結局はバレてしまうんだろうなぁ。日本の警察は有能だっていうし。
俺には調べられてマズい事情がある。捕まったら刑務所は間違いない。ここで逃げてから捕まっても大してかわりはしない。それならばやれるだけの事はやっておきたい。捕まったらそれでおわりですよってか。
俺はおもむろに右を向いて驚いた表情をして叫ぶ。
「なんだ、あれは!?」
二人の目線が俺から外れたのを確認して、この時間でも交通量の多い環状線のある左へ走り出す。後ろから鋭い声がかかるが、おかまいなしに人ゴミの間を歩道橋へと向かう。こんなこともあるかもしれないと以前から考えていたアイデアがある。失敗しても大ケガするか死ぬだけだ。俺には刑務所で何十年も過ごすのとそんなに大きな違いがあるように思えない。
歩道橋を駆け上がり、車通りのちょうど真上の手すりを乗り越える。あとはトラックが下を走るのを見計らってその荷台に飛び降りるだけだ。
「はやまるな!交通事故死亡ゼロが達成できないだろうが!」さすが、未来の捜査官殿は仕事熱心だ。
「ご両親が悲しまれるぞ!」もう一人は情に訴えてくる。
そんなセリフは俺には無意味すぎる。
「もう亡くなってますし、友達とかそういうのもいないので。」
追われて後がないという状況のせいか、不思議と恐怖を感じない。
来た。
向こうから電飾の派手なトラックが結構なスピードでやってくるのが見える。
時間を掛けて交通規制とかされたら面倒だし、覚悟を決めて飛び降りる。
膝を曲げて後ろ向きにジャンプ、空中で体を捻ってトラックの荷台に、荷台に、、、荷台がない!!!
トレーラーヘッドだけってぇぇぇーーーーーーー!!!
荷台がなかった衝撃はすぐ後ろを走行していた別のトラックにぶちかまされた衝撃によって終わりを告げた。




