私と人形の日常記録
すみません。普通にSFです。
少し不思議な方の。
有名なSF小説の微妙なパロディーが少々あります。
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苔むし、倒壊したコンクリートの道を歩くのは一体の箱。それは四本の足と四本の腕が生えた金属製の箱だ。四方が欠け、傷だらけの、無様で無骨なただの箱だ。
箱はカラカラとネジの動き回る音を立てながら悪路を行く。
これは私の身体だ。仮の、と付けるのが正しいのかもしれない。
私は昔、人だった。叡智を持つ……とまではいかなくとも、それなりにずる賢い方だったと思う。でなければ箱舟には乗せてもらえなかったことだろう。
ノアの箱舟。この鉄臭いボディの事。それから私の思考が住まう世界……地下に眠る無数の器械群の事。
私は荒地と肉体を捨てて別の世界へ逃げた。ワイヤードとかネットとか、そういう風に言われていた世界の事だ。我々は旧ネット世界を、皮肉をもって『ヘブン』と称している。
私が以前住っていた現実世界は終わってしまった。人々は結局殺しあう事をやめなかった。平等なのは死だけだった。
黒い雨が降り注ぎ、生命は一度枯れ、建造物は悉く倒壊した。しかし我々はまだ終わってはいない。
人間性を失くして消滅したり、問題を起こしてデリートされた者も多くいる。だが、我々はそれでも生きている。
そう、データとして。
私は先刻から、私の身体の中で飛び回る邪魔くさいネジを締めてくれるアンドロイドを探していた。
獣と違ってアンドロイドたちはその大半が生き残っている。いや、これは正しくないか。
元から我々の為に設計されたアンドロイドのみが生き残っている。
現実世界ではただの箱でしかない我々よりも人間らしい彼らは、人間の為に生まれた人間らしい人形なのだ。
たとえアンドロイドが現実世界を素っ裸でフラフラ歩き回っていたとしても、それは設計者達の気まぐれが反映されたにすぎない。その行為は自主的でないものだ。
だから、たとえアンドロイドを捜索しはじめて既に一週間経っているとしても、彼らに怒ってはいけない。
ポテポテカラカラと間抜けな音を立てて旧高速道路の残骸上を歩いていると、ハッキングしたボロい監視カメラに肌色がチラリと見えた……箱に備え付けられた各種センサーをかいくぐって私を尾行していたらしい。
アンドロイドが修理して回っている監視カメラで見つけてしまった、というのが少し悔しい。
私は金属製の手足を限界まで畝らせて、急速な方向転換をした。カランと鳴るネジ、ブレる映像にブレる人影。
私の箱に内蔵された拡声器が、私の送ったデータ通りにがなる。
「ざけんな何処行ってたこのウマシカがぁあああぁッ!!!!!」
「申し訳ございません主さま」
素っ裸の女型アンドロイドが競歩でやってきて、速すぎる謝罪を繰り出した。生身の人間ならば知覚できなかったろうそれは、しかし私の高機能なセンサーにはしっかりととらえられた。
QP198。生きている人形。
私以外の人間はキューちゃんとかイクエさんとか呼んでいる。私専属のアンドロイド。
外面は完全にデザイナーズチャイルド顔負けの美女だ。しかし表情の作りは甘いどころかない。つまるところ常に無表情だ。
アンドロイド達は人間と区別できるように青い色の髪と赤い瞳を持っている。どこぞのSFオタクが耳も尖らせようとしていたらしい。が、そもアンドロイドを人に似せる理由は、人間の姿を忘れないようにするのが目的だから、と却下されたようだ。
箱姿でも怒りに身を震わす事はできなくはない。しかしそうなると中のネジがあらぬ所に刺さる可能性がある。先刻振り向いたときに嫌な音がしたのでビビっているわけではない。
私は咳払いをするように音声調節用のノイズを一つ鳴らし、棒立ちのアンドロイドに向かって怒った。
「どうして呼びかけに応じなかった、QP198!」
「申し訳ございません主さま。その」
「その、何だ!」
「主さまを拾い集めておりました」
「は?」
愛すべき箱は、私の困惑しきった間抜けな音声まで完全再現した。
箱の視覚をズームすれば、198の手には小さな部品が乗せられていた。なるほど、それは全て私を構成するこの箱からこぼれたものなのだろう。
ここで怒りを鎮めるのがもっとも疲れない方法なのだが、いかんせん私はまだまだ元気な『人間』だ。
私はもう一度198に怒った。
「ならどうしてもっと早くその事を知らせなかった」
「申し訳ございません主さま。主さまがかなり飛び散ってしまっていたので集めるのに手間取りました」
「部品を本体みたいに言うのは止めろ! それは! 私の本体じゃ、ない!」
「申し訳ございません主さま」
198は全くもって申し訳なさそうじゃない口調でそう告げると、部品を撒き散らさんばかりの速度で腰を折った。が、私の予想に反して手の中の細かい鉄くずを死守した。
不覚にも感心してしまったじゃないか。
さてどう収拾をつけようかと悩んでいると、ヘブンの中の私に向けて信号が送られてきた。
『何を興奮しているんだい、君』
ヒートアップしすぎて他の人間から胡乱な感情を向けられていたようだ。私が先刻ハックした監視カメラの制御を盗んで、現実世界の様子を見ている奴もいた。
『ははぁん、イクエさんとイチャイチャデートしてるのかぁ』
『おい。器が壊れてるじゃねーか。まーたメンテさぼりやがったな』
『イクエさんクール系美女でイイなぁ。オレんとこの195と交換しろよぅ』
ヘブンの方で好き勝手いいながら、現実世界で箱を出してきたようだ。三体ほどアンドロイドににじり寄ってきた。
近くにいたのではなく、近くにあった予備の箱を持ち出してきたに違いない。予備の性能は悪いが、鍵がかかっていないので誰でも入れてしまう。
私の箱が舌打ちの音を合成した。
『煩いお前ら!』
「照れちゃってまぁ」
『ラブラブさねー』
「オレんと交換しろぉーー!」
「お前らどっちかで喋れ、混乱する!」
ヘブンと現実で繰り広げられる会話に怒号を放つと、198が首を傾げた。
アンドロイドは基本的にヘブン中の会話は聞こえない。専用の情報受信端末で信号を確認する他ないのだ。そして今198の手に乗るのは箱の部品。
人間でない198には空気を読む機能はない。私が怒り狂っている理由が理解しきれなかったのだろう。
私は箱から溜息音をこぼした。
「そこの連中が冷やかしに来たんだよ」
「説明感謝いたします主さま。おはようございます、宮本様、左辺様、たな……いえ、ご主人様」
「なんか一人呼び方おかしいだろ!」
「ふひひデュフフフ」
箱の一人が、二十一世紀まで使われていたオタク的笑いをこぼした。私はちゃんと、気持ち悪い、と感想を述べてやる。述べてやる。
この甚だ不愉快な連中どもを相手に律儀に対応するのには、ちゃんと理由がある。
こいつらが執拗に私をからかう行為がSOS信号そのものだからだ。
彼等はおそらく、人である事を忘れかけている……人間性が失われかけている。だからこそ私という個体を突いてその反応を見ることで、これを補っているのだ。
そう。対応するのは健全者の義務。とはいえ疲れる。
「煩い! 198もさっさと箱を直してくれ!」
私は目の前でカタカタ揺れる三つの箱を、金属の手でどついた。
コンクリートの道は真っ直ぐではない。彼等が操る箱はガシャゴショ転がって旧街路へと落ちていった。壊れたら野良のアンドロイドが治すだろう。
一息ついたと思ったら、アップになったままのカメラに肌色の丘が映った。
箱の高度位置を示す信号に変化があったことから、198がしゃがんで私の箱を抱きかかえたらしい。
「まさかそのまま治すつもりか」
「問題がありましょうか? 主さま」
箱の天井が豪快に開く音が届いてきた。細かい部品を持ちながら、一体どうやっているのか気になる。んが、私の事を見ているらしい他の人間どもが周囲の監視カメラを明け渡してくれない。
見えてはいけないところが視界にぺったりとくっついて離れない。非常に気まずい。
気まずすぎてわたしは怒鳴った。
「視界うtっr tお ざkッ…………『ヒィィィィ! 身体が壊れたァアッ!!』
『落ち着け、まだ傷は浅い』
監視カメラを奪った中の一人が宥めようとしてかヒーリングソングを流しはじめたが、はっきり言って逆効果だ!
視界まで真っ暗になった!
色々な情報が途切れていく感覚に、みっともなく悲鳴を上げてしまうのを止められない!
『落ち着けって、今キューピーが治してる最中なんだろ』
『しかしか、しかしか、しかし』
『鹿多いな。やっぱ面白れぇなぁお前。一週間見続けてるが全然飽きない』
『ィィッてストーカーか!?』
怒鳴る私はなるほど格好の餌食なん『だろうがしかし扱いが酷すぎないかそろそろ泣くぞ私は』ァ!
『おおい、思考がだだ漏れだぞ……ほら、外の様子見せてやるから落ち着け』
渋い信号をぶつけられた私は、次の瞬間自分の身体を解体していくアンドロイドの姿をとらえた。
あぁ……監視カメラの映像だ……。
『落ち着いたか坊や』
監視カメラの操作権限を投げ飛ばしてきた人間がハードボイルドを気取ってかフッと笑った。
私はまた怒鳴る。
『……私の方が遥かに歳上だぞ!』
『えぇ? あっ…………うわぁ……す、すみません』
私の信号に付加されたデータを読み取り、全力で謝ってきたハードボイルド君、若干二百二十三歳。
まぁ……視界確保できたから許してやろう。
私は周りの人間を放置して、食い入るように監視カメラを覗き見た。
198は既に私を抱き上げていない。
コンクリートの上に私の現実体をぶちまけていた。こうなるともう箱ですらない……ゴチャゴチャといらん物が乗っかった正方形の展開図だ。
素早すぎて監視カメラ如きでは追えないが、一度分解して壊れかかったところも治すつもりなのだろう。
と、箱の中を探っていたアンドロイドの手から何かがピンと跳ね、おむすびよろしくコンクリートの上を転がった。それをアンドロイドが無表情で追いかける。
監視カメラで追えないところまで素っ裸の女がしゃがんだまま高速移動する様は、まさにシュールの極みだった。
『あぁっ主さまが、と言ってたみたいですね』
『くっ、この、だから部品を本体みたいに言うのは止めろ! 虚しすぎるわ!』
『予備箱でその旨お伝えしましょう』
果たして本当に彼がその言葉を伝えたかは分からないが、アンドロイドは程なくバラバラ殺箱事件現場に帰ってきた。
きっかり三分後に帰ってきたアンドロイドが握りしめていたのは一本のネジ。
無事に捕まえてきたようだ。アンドロイドの性能を疑ってはいなかったが、他の人間が箱で妨害する可能性もあったことだし。
『いや、あの、流石に皆そこまで鬼畜ではないと思いますけど』
『すまんかった』
『つい』
『……』
また漏れていたようだ。私はなんとも言えない信号の残滓を漂わせる彼等から意識をずらし、アンドロイドを注視する。
箱はきちんと箱に戻っていた。
箱を左右に振ってみる。もうネジのカラコロ鳴る音は聞こえてこない。
先程騒いだのが馬鹿らしくなってきた……。
私は手足が動くことを確認して、何度命令しても素っ裸のアンドロイドに向き直った。
「……あー、QP198?」
「はい、主さま」
「その……はぁ……ありがとう」
「どういたしまして、主さま」
私の渾身の謝罪を、198は無表情に返した。アンドロイドは照れないし空気も読まない。けれどやはり、返事があるのは嬉しい。
我々人間はまだ生き残っているが、そも箱を管理してくれるアンドロイドの存在は小さくはない。
ヘブンに逃げ、身体を捨ててなお現実に目をやる我々は……現実を見れないだけで、たったそれだけのことで簡単に発狂してしまうのだから。
アンドロイドは必需品などではなく、我々の相棒なのだろう。
柔らかい身体があったのなら、私は笑っただろうか?
「ヒュー暑いねえ、いや大気じゃなく体温がさァッ、ァァハァッオチルゥゥ……」
私はよじ登ってきた箱をどついた。
私の身体の反応速度は良好だ。それがたとえ仮であっても、今の私の身体であることは間違いない。
無様に転がっていく箱を眺めながら、私はヘブン内にある自身の記憶領域に記録する。
これが我々人類の、今の日常。
土地が浄化され、生命が誕生しなおすその日までの、ライフラインの記録だ。
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「主さま聞いてください。先程道の下で見慣れぬ緑色の『草』を見つけましたよ」
……我々人類が箱でない身体を得るのは、そう遠くないかもしれない。
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読了ありがとうございます。