エピローグ
頬に感じるコンクリの冷たさで目が覚めた。ここは、僕が異世界に召喚される前、不良達からリンチを受けていた校舎裏だ。さっきまで夕方だったのに、今では夜がすっかりふけている。
夢、だったのか……?
常識的に考えれば、そうだ。間抜けなことに殴られて気を失っている間、頭の中にだけあった大冒険。だけど、僕にはどうしてもそう思えなかった。今も目を閉じればありありと思い出せる、異世界の風景、住人達。ニス、ペチカ、ミルフィーユ、団員のみんな……これが全部、僕のちっぽけな想像力の産物なんて、とても信じられない。
それに、僕は異世界で得た最強の力のうち、たった1つだけだけど、この世界に持ってこれていた。結局名前を聞きそびれた、悪魔のように狡猾な天使さんも、これは予想できなかったことだろう。だけど僕はそれを知っていた。感じていた。
いつまでもこうしちゃ居られない。家族も心配しているだろう。僕は体を起こすと歩きだした。体中が痛い。一歩足を下ろす度に腰の骨が折れそうになる。それでも僕は凛とした気持ちで家路についた。歓声はないが、英雄の凱旋だと思った。
次の日、僕は胃をキリキリさせながら1年ぶりに登校した。油でのっぺり顔に張り付く黒髪に半ば隠れた細い目。体も頭も動きが鈍くて校舎の階段を登るだけで息が切れる。そう、これが本当の僕だった。自信に満ちた態度も前向きな言葉も、全てが裏目に出る醜い容姿。
教室に入る。誰も僕に声をかける人は居ない。窓際でオタクグループが昨日の深夜アニメの話で盛り上がっている。僕はのっそりと彼等に近寄ると、気負わずに言った。
「そのアニメ僕も好きだよ」
楽しげな談笑が、瞬間、空気が凍る。
「なんだよ、近寄るなよ死神」
なぜだろう。僕への侮蔑の感情を込めて使っているそのアダ名が、今ではどうしても悪いものに思えない。
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃないか。友達は多い方がいいだろ」
「死神が友達とか言い出した。気持ちわりー」
彼らはさっさとどこかへ行ってしまった。彼らが悪いわけじゃない。教室を支配する上下関係、力学は僕らにとっての魔物だ。1人で立ち向かえるものじゃない。
放課後、僕は職員室でクラス担任の先生に相談を持ちかけていた。
「見て見ぬふりをしたいのは分かりますが、僕はもう限界です。イジメをなんとかしてください」
「ひ、人聞きの悪い事を言うな。見て見ぬふりをしていたわけじゃない」
中年で黒縁眼鏡の数学教師は周囲にキョロキョロと目を走らせている。
「毎日が辛すぎてこのままじゃ自殺するかもしれません。問題になりますよ?」
「分かった、分かったから。いや、俺も本当は気になってたんだ。でも、お前が何も言ってこなかったから、男子間でじゃれているだけかとばかり……」
「そうですね。もっと早く相談するべきでした」
本当に、どうしてもっと早く人に打ち明けなかったのだろう? 恐いとか話したところでどうにもならないとか、自分の問題を自分で解決できない半人前と思われたくないとか、本当にくだらない話だった。
下校中、僕はいつもの不良達にからまれた。
「おい、センコウにチクったらしいな」
「うん。チクったよ。もう、洗いざらい全部。すっきりした。説教でも食らうといいよ」
「ンだとォラ! こっち来いや!!!」
僕の襟首をつかむ不良。
「や、やめて! 恐い! 殴られる!!! こわいぃぃいーーー!!!!」
絶叫する僕。人通りは多くないが、何事かと通行人が振り返る。
「ッチ……」
さすがに人目を気にしたのか、不良達は何もせずに行ってしまった。
次の日、登校すると僕の机が無くなっていた。クラス中がクスクス笑う中で誰か知ってる人は居ないかと聞いて回ったが誰も教えてくれなかった。結局授業が始まっても見つからないから先生に言ったら新しいのを用意してくれた。
それからもクラスメイトから避けられ無視され、先生は頼りにならず隙を見ては不良達に殴られ脅される毎日は続いたが、それでもやがて、話しかければ逃げないで話を聞いてくれる奴も現れた。背は高いが不健康な感じにヒョロっとした、眼鏡のオタク。放課後の教室で僕らはだべっていた。頃合いを見て僕は打ち明けた。
「なあ、僕がイジメられてるの知ってるだろ。助けてくれよ」
「知らなねーよそんなの」
にべもなく断られた。まあ、あんまり期待してなかったけど。本命はこっちだ。
「実はな、不良達と取引して、僕のかわりにイジメられる生贄を捧げれば、僕はイジメられなくなるって話がついてるんだ」
ポンと彼の肩に手を置き、目を見つめながら、
「お前を推薦しようと思う」
途端に色めき立つ彼。
「ふ、ふざけんなよ! 死神!」
「そうさ、僕は死神なんだ。お前をとって殺すぐらいできるんだぜ」
不敵に笑ったつもりだったが、多分ヒキガエルが産卵する時みたいな顔になっていることだろうと思う。まあ、しまらないのはいつもの事だ。
「俺以外の奴にしろよ! なんで俺なんだよ!」
「そうは言っても、僕より弱そうな奴なんて君しか知らない」
「な、なんだと!」
彼は僕を殴った。全然体重の乗ってない、ポコってした感じのパンチだ。僕が殴り返すと、取っ組み合いの喧嘩が始まった。殴って蹴って噛み付いて。こいつも必死だ。
「はっ。はあっ……ほら、僕が強い」
地面に伸びた彼を見下ろして、僕は言う。
「くそ……死神のくせに……」
彼は泣きながら、
「じゃあ……俺は、生贄か」
絞りだすように言った。
「冗談だよ。ただ、その気になれば、って話」
「なんだよ……」
心底安堵しているようだ。
「だから、本気になって僕を助けてくれよ。友達だろ」
「お前なんか……友達じゃ……ない」
「でも、僕は友達だと思ってるよ」
僕が臆面もなくそう言うと、、彼は何も言わなかったが、悪い気はしないようだった。




