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現実サーガ  作者: 光太朗
3/7

3 「わたしが、勇者だからですか」

 あいかわらず、太陽はけんか腰で照りつけてきていたが、美琴は今日も今日とて全力ダッシュで学校にたどり着いた。吹き出す汗をスポーツタオルで拭い、三日ほど前から持ち始めた扇子を広げてぱたぱたと扇ぐ。いつの間にかオープンしていた、商店街内のマジックショップなるところで買った、扇ぐだけで冷気が生まれるという品だ。世界が融合したことで、プラスに作用したことなどなにひとつないと思っていたが、こういう便利グッズの存在だけはありがたいかもしれない。

今日はモンスターに遭遇することもなく、美琴はいつになく上機嫌だった。昨日、桜井有里沙という人物に会えたことも、気分の高揚に繋がっていることは間違いない。

 魔王を倒せる気はしなかったが、この世界でもやっていけそうな気がし始めていた。人間、どんな状況にでも順応はするものらしい。まだ慣れないが、日々を過ごすうち、これがあたりまえだと感じるようになるのだろう。

「ミコっちゃん、おはよう! 昨日、高校に中学生とホストが来たって、ミコっちゃんたちのことでしょ。行動力あるねー」

 教室に入るなり、中原理恵が、眼鏡の奥の目を光らせた。

 兄に聞いたのだろう。目立っていたという自覚はあるので、美琴は照れ笑いでごまかす。確かに、昨日の自分の行動力は、十五年分のやる気をつぎ込んだぐらいのものだった。いま同じことをやれといわれても、自信がない。

「昨日教えてくれた、ゲーマーさんに会えたよ。ありがとう」

 すべては彼女のおかげだった。中原理恵は、驚いたようだった。

「そうなんだ! よく会えたね。いるらしいよ、ぐらいの情報だったのに。そのゲーム、そんなにおもしろいの? ミコっちゃんがそんなに必死になるなんてさ」

「おもしろいっていうか……」

 言葉につまる。むしろ、美琴にとっておもしろいことなど皆無だ。

 曖昧に言葉を続けようと、口を開いたとき、ただならぬ様子で、美琴のすぐうしろのドアが勢いよく開かれた。

 まだ、八時二十分。ホームルームが始まる時間ではないが、姿を現したのは、肩で息をする担任の木下鉄二だった。

 生徒もまだ、全員そろっていない状況だ。なんだなんだとざわつきながら、生徒たちは担任の言葉を待った。

「全員、すぐに、体育館へ移動だ。整列はいいから、各自、落ち着いて行動するように。点呼は体育館でするから、入ったらクラスごとに整列。堀田、みんなを先導しろ。頼むぞ」

 血相を変えて入ってきた割には、むりやりトーンを抑えるように、ゆっくりと指示を出す。クラス委員の堀田充が、はーいと緊張感のない返事をした。

「……なにかあったのかな」

 中原理恵が、不安そうな声を出す。ということは、融合してしまったいまの世界があたりまえの彼らにとっても、異常事態だということだ。美琴は、嫌な予感に胸を押さえた。担任のあの様子では、なにかがあったのは、間違いない。

 きゃあ、と窓際で鋭い悲鳴が上がった。

「だれか倒れてる……!」

 甲高い、泣きそうな悲鳴だった。一気に窓際に集まったクラスメイトたちが、口々に悲鳴を上げる。

「うわ!」

「ひでぇ……」

 美琴は、見たくなかった。なんとなく、予想ができた。

「デリペリだ」

 だれかが呟いた。聞いたこともないそれが、モンスターの名であることだけは、美琴にもわかった。

「デリペリ……きっと、一匹や二匹じゃないね……」

 すっかり血の気の引いた様子で、中原理恵がうめく。美琴にはその姿を想像できなかったが、群を成して行動するモンスターがいると、田中に聞いたことがあった。きっと、そういう類なのだ。

 教室の窓から見えるのは、中学の正門あたりだ。そこにひとが倒れていて、モンスターの姿がある。それだけで、担任の指示の意味は理解できた。体育館は、正門とは反対の方向にある。

 避難しろ、ということだ。

「おい、とにかく体育館に行こうぜ。先生たちが結界を張ってくれるんだろ、きっと」

 堀田充が、急に慌てた様子でクラスメイトたちをまとめようとし始める。しかし、すでに中学の敷地内にモンスターが数匹入ってきている状況で、ぞろぞろと体育館に移動することが果たして本当に得策なのか、甚だ疑問だった。

「飛んだ!」

 だれかが、声をあげた。

 ドア付近にいた美琴も、中原理恵も、まったく動けずに、その声を聞いた。窓際にいたクラスメイトたちは、なにかを叫びながら、まさに蜘蛛の子を散らすように、窓から離れた。

 窓が割れ、赤い塊が教室に飛び込んでくるのを、美琴は映画館のスクリーンに映った出来事のように、奇妙に現実感のない思いで、見ていた。足がすくんで、見ていることしかできなかった。

 もしかしたら、目の前の中原理恵が、悲鳴をあげたのかもしれなかった。きーんと耳鳴りがした。恐竜図鑑で見るような姿をした深紅の生き物が、長く鋭い爪で、少女の首のあたりにかるく触れた──ように、見えた。

 無数のガラスの破片が床に突き刺さったのと、少女の首が飛んだのと、どちらが先だっただろうか。

 ひどくゆっくりと、それは、踊るように弧を描いた。美琴は、確かにそれと目が合ったと思った。

 人形の首が落っこちるみたいに、美琴の足下に、おさげ頭が転がった。遅れて、眼鏡がカシャンと落ちる。

 中原理恵だったものが、目を見開いて、美琴を見上げていた。

「────!」

 悲鳴にさえならなかった。しかし、美琴の混乱をよそに、黒板の半分ぐらいあるその生き物は、真っ赤な羽をすっと広げ、もう一度鋭利な爪を振り下ろそうとしていた。その赤が、もともとの色なのか、血の色なのか、判別がつかない。ただ、その金色の目が確かに自分を見ていると気づいたとき、瞬時に、美琴にはわかってしまった。決して認めたくはなかったが、しかし事実に違いなかった。

 わたしも、殺されるんだ──

「ばか、逃げろ!」

 だれかが叫ぶ。複数の悲鳴が耳を貫く。

 目を閉じることも、腰を抜かすこともできずに、美琴は時が止まったように突っ立っていた。頭の隅っこで、死ぬ、と思った。

 瞬間、暗闇が、視界のすべてを支配した。

あらゆる音が、止んだ。

 赤い生き物だけが、闇のなかでひとつだけ浮かび上がっていた。その表情が恐怖に歪んだかと思うと、瞬きをするぐらいの間に、みるみる闇に飲まれて、消えた。

「……?」

 おかしな空間に迷い込んでしまったかのようだった。前も後ろもない暗闇のなかで、美琴だけが息をしているように思えた。割れた窓も、イスも机も教卓も黒板も、クラスメイトの姿も、なにもかもがなくなっていた。

 静寂のなか、囁きが聞こえた気がして、美琴は耳を澄ました。しかし実際には、その必要はなく、声ははっきりと彼女の耳に届いた。

「貴様は、守るのか」

 低く、しかしどこか透き通った、抑揚のない声。

 漆黒の、長い髪の男が、いつの間にか目の前に立っていた。その姿から、すぐに、この世界の人間ではないとわかった。

 つややかな髪の隙間から、鋭い角のようなものが二つ、上にそびえている。長い前髪の下から、感情のない──しかし、どこか寂しそうな目が、美琴を見ていた。

 触れてはならない、なにかのような気がした。美琴は身じろぎできず、その目に射すくめられた。

「貴様は、この世界を、守るのか」

 ひどく凪いだ声が、もう一度問いを繰り返すが、美琴には答えることができなかった。

 その代わり、思うよりも先に、口をついて出た。

「あ……ありがとうございます、助けてくれて」

 いってしまってから、後悔した。明らかに、そんなことを口走るような状況ではなかった。

 あなたはだれ、ここはどこ、なにをいっているの……いえることは、いくらでもあったのに。

 男の双眸に、かすかに驚きの色が浮かんだたようだった。しかしすぐに瞳を伏せる。もしかしたら、瞬いただけなのかもしれなかった。

 暗闇のなかにあるのに、男の姿だけがはっきり見えているのが不思議だった。もっと目を凝らそうとして、かえって、どんどん見えなくなることに気づき、美琴は一度目を閉じた。

 見開いたときには、悲鳴と怒号と──あらゆる負の声が、耳に飛び込んできていた。正面に、錯乱してなにごとかを叫ぶクラスメイトの姿が見えて、我に返る。

 現実だったのだと思い知った。

 露出した手足に、ねっとりとした感触があった。それがなんなのか見なくてもわかったし、見たくもなかった。

 あのモンスターは消えていた。

 しかし、中原理恵の首と胴体は、やはりそこに、あった。 

 

 美琴は、ぼんやりと、自分の家のソファに座っていた。

 あの後、なにがどうなったのかまったく覚えていない。よくわからない間に、ばたばたと帰路につく流れになったような気がしたが、そのほとんどを無意識にやっていた。

 彼女は、ハーフパンツにポロシャツという、体育着を着込んでいた。赤く染まってしまった制服から着替えたのだ。しかしそれすら、本当に自分で着替えたのかどうか怪しい。それぐらいに彼女は混乱しており、担任にいわれるまま、操り人形のように動くだけだった。そうして、いまはどうにか帰宅して、鞄も肩から提げたままでソファにいた。

 美琴は目を開けていたが、なにも見てはいなかった。

 ただ、少し前にドアが開く音がして、田中が右斜め前の一人がけのソファに座ったことは、なんとなく認識していた。

 なにか、いいたいことがたくさんあるはずだった。

 田中はいつもどおり、出会ったその日となにひとつ変わらない様子で、なんの感慨もなくそこにいた。そのことに憤慨すればいいのか、嘆けばいいのか、それとも思いつく限りの暴言をぶつければいいのか、美琴にはわからない。

「これは、あたりまえの、ことですか」

 ぼそり、と聞いた。

 目の前で友人が死んだのだ。それも、交通事故とか病気とかではなく、異形の生物に首を刈られての死。

 クラスメイトたちも、担任も、取り乱し嘆いてはいたが、到底美琴のそれには及ばないものだった。どこか、仕方がないという、諦めの空気が漂っていた。

 そのことが、信じられない。

「ゲームでは、たくさんひとが死ぬんですよね。だから、いまのこの世界では、これは、あたりまえのことですか」

 言葉にするうちに、声に憤りが込められていった。それでも、まだそれを抑えつけようとする、自制心じみたものが働いていた。

 あろうことか、田中は小さく笑ったようだった。

「毎日、ニュースでやってるでしょ。知らなかったわけじゃあるまいし」

「──っ!」

 なにかがはじけた。美琴は、田中を睨めつけた。

「なら……、なら、どうしてわたしだけ、あたりまえじゃないんですかっ? どうして……どうして、わたしだけ──! 主人公とか、勇者とか、なんなんですか! わたしには、できることなんてなにもないのに!」

「あるよ。君だから、その思いをする必要があるんだよ、ミコトくん」

「……?」

 いっている意味がわからずに、眉をひそめる。田中の言葉を、頭のなかでくり返した。

 わたしだから、その思いをする必要がある──

 まさか、と、ある可能性に思い当たったとき、一気に血の気が引いた。

 あのモンスターを目の前にしたときに、感じたはずだ。自分も、殺されるのだと。しかし、そもそもあのモンスターが、自分を狙って現れたのだとすれば──

「──失礼するわ」

 唐突に、声が割り込んだ。このとき初めて、美琴は窓の外がまだ明るいことを知った。声の人物は、窓からリビングに入ってくるところだった。

「ピンポンも聞こえないみたいだから庭におじゃましてみれば、そこの胡散臭い阿呆がデリカシーのないことを平然と……」

 金髪を振り乱し、脱いだ革靴を片手に上がり込んできたのは、桜井有里沙だった。彼女は怒りを隠そうともせず、まっすぐに田中のもとへと向かい、革靴で思い切り彼の頭をはたいた。

「──った!」

 かなりの音がして、田中も思わず声をあげる。ぽかんと口をあける美琴の目の前で、有里沙はまだ足りないといわないばかりに右足を振り上げ、そのまま田中をソファから蹴落とした。

「ちょ、なんで僕がこんな扱い──! っていうか、パンツ見えたけど」

「見物料を払いなさい。こんな扱い、は美琴ちゃんのほうでしょ。なんなのアンタ、ほんとムカツク。なんかもう生理的にダメ。イヤ。ダイキライ」

 いいたい放題にいって、有里沙は金髪をさらりとかき上げると、田中が座っていたソファに我が物顔で腰を下ろした。もう見たくもないとばかりに田中には目もくれず、ため息をひとつ吐き出して、静かに美琴を見る。悔いるような色が浮かんでいた。

「聞いたわ」

 一言。美琴は、びくりとした。

「でも、忘れなさい」

 有無をいわさぬ命令口調だ。昨日も怖いと思ったが、今日は一段と迫力を増していた。怒っているからだろうか。

「……忘れる?」

 それでも、尋ねる。そう、と優しい声音で、彼女は答えた。

「昨日ね、こうなるんじゃないかって、思わないでもなかったのよ。そのときに、いえば良かった。すっごく後悔して……中学で事件があったって聞いて、中学行ってセンセーから住所聞き出して、来ちゃった」

ふっと、困ったように、有里沙は笑った。大きく印象的な瞳が、ほんの少し細められただけで、驚くほど優しい印象を与えた。

「美琴ちゃんがつらい思いをしたことも、今日あったことも本当のことだけど、忘れなさい」

 そしてもう一度、くり返す。今度は聞き返すことはせずに、美琴は言葉を待った。田中は憮然として、床に座ってこちらを見ている。

「だって、これはゲームなんでしょ──あなたが、昨日、そういったのよ。この世界は、TSの世界と融合してしまった世界だって。ここで起こっていることは、ゲーム上の出来事なの。だから忘れるのが最良よ」

 足と腕を組み、淡々と、彼女は言葉を紡いだ。美琴は、ゆっくり、その意味をかみしめた。

 ゲームであっても、目の前でひとが──それも友人が──死んでしまったのは、紛れもない事実だ。それを忘れろなどと。

 美琴の顔色でいわんとするところがわかったのか、有里沙はいらいらと田中を見下ろした。田中は、その表情に、少しだけ笑みを含み始めている。

「ちょっとそこのホスト。説明不足なんじゃないの。あんた、美琴ちゃんが勇者だっていったんでしょ? つまり、TSにおける魔王を倒させたいのよね? で、魔王を倒したらどうなるの。世界が平和になる? じゃあ、どの世界が平和になるの? どう考えたってこんな異常事態、『もとに戻る』って選択肢がなきゃ、サギよね」

「だって、ミコトくん、聞かないんだもん」

 さらりと、田中はいった。美琴は目を見開く。

 それはつまり、肯定の意に他ならなかった。 

「要するに、あんたはゲームマスターなのよね」

 大きく息を吐き出して、有里沙はそんなことをいった。その言葉には聞き覚えがあったので、美琴がかすかに反応する。以前、田中が自ら、自分のことをゲームマスターを称していたはずだ。

「ゲームマスターって、なんなんですか?」

「ほら、説明不足。もうほんとウザイ」

 田中に向かって吐き捨てて、有里沙は美琴にいくらか優しい目を向けた。それでも苛立ちを含んだ彼女の目に、美琴は思わず怖じ気づいてしまう。

「ゲームマスターっていうのは、プレイヤーがゴールするように導く役のことよ。TRPGって聞いたことないかな。コンピューターゲームがない時代は、テーブルでトークしながら、それぞれ役を演じて、サイコロを転がしてゲームをやるのが主流だったの。でもそれじゃあ、プレイヤーがゴールにたどり着けないでしょ? だって、どんなシナリオでなにが起こって、なにをすればいいのか、コンピューターゲームみたいにレールを敷いてくれているわけじゃないから。要するに、ある程度レールを敷く役回りだと思ってくれればいいわ」

 それは、ゲームをしない美琴にとっては、すんなり頭に入る話ではなかったが、どうにか理解しようと努めた。あれをしろこれをしろと、教えてくれる人物──ただし、全部を教えたのではゲームにはならないから、導くといういいかたになるのだろうか。

「想像してみて。プレイヤーが、まったくやる気なかったら、ゲームマスターはどうすればいい? まあ、現実のゲームなら有り得ない話だけど──その場合、やる気を出させるしかないでしょう。勇者が、魔王を倒すぞ、って流れになるように、持っていくしかない。そうしないと、いつまでたっても、シナリオが進まない」

 美琴は、数秒の間ののち、やっと瞬きをした。

 有里沙のいったことを、できるだけ正しく、聞き取ろうとした。

 そうすると、どうやっても、ひとつの結論に行き着くのだった。

「わたしが、勇者だからですか」

 有里沙が来る前に、浮かんでいた可能性は、いまや疑いようのないものになろうとしていた。

そもそも、学校の敷地内には、モンスターは入り込んでは来ないはずだったのだ。入り込むとすれば、イベントぐらいだと、田中はいっていた。

 要するに、この場合のプレイヤーである美琴のまわりで、美琴にやる気を出させるための、ゲーム上のイベントが発生したのだ。

 自分のクラスにモンスターがやってきて、自分の友人が目の前で死んだのは、つまるところ──

「わたしの、せいってことですか……」

 呻くように、声を絞り出した。

 自分の存在が、危険を呼んだ。

 そういうことだ。

「厳しいけど、そう。でも、もう一度いうけど、これはゲームよ」

 有里沙は斜めに座り直し、身を乗り出して、美琴の手をとった。

「なかったことに、しましょう。クリアしちゃえばいいのよ。そうすれば、なかったことになるはずよ。そうじゃなきゃ、そこのホストの存在理由がなくなるもの」

「まあ、そういうことだね」

 田中は立ち上がり、冷蔵庫から勝手に茶を出すと、自分だけコップについで喉を潤した。ダイニングテーブルの上に放ってあったリモコンを手に取り、慣れた手つきでエアコンのスイッチを入れる。

 ピッという電子音で、美琴は、初めて暑かったことに気がつき、体温を自覚することで、奇妙に冷静になっていく自分を感じた。

「なかったことに、なるんですか」

「なるよ」

 ずいぶんあっさりと、肯定の言葉が返ってきた。

「誓っていうけど、黙ってるつもりはなかったよ。だってミコトくん、なんにも聞かないからさ。世界管理委員会ってのは、その名のとおり、世界を管理するのが仕事だからね。このまま世界が融合してるってのは、当然、まずい。主人公どのに、融合してきた世界──つまりゲーム部分をクリアしてもらって、めでたくエンディングが流れる間に、僕が世界を切り離す。クリアっていうこと自体、本当は、世界の終わりを意味するんだ。ゲーム世界ってのは、クリアしちゃえば最初に戻って、もう一度クリアに向かって進む。その繰り返しが起こっているだけだからね」

 ほっとする気持ちと同時に、違和感のようなものが、美琴の胸に広がった。

 彼のいいかただと、『ティピカルサーガ』の世界は、スタートとゴールをくり返すだけの世界ということになる。その世界に、いったいどれだけの意味があるというのだろう。

 それとも、そこに生きる自分たちにはわからないだけで、どの世界もスタートとゴールをくり返しているだけなのだろうか。時間を超越したなにか──たとえば、世界管理員会──の目から見たら、始まってだれかがクリアして、そうして終わってまた始まって……ひたすらに、それのリピートなのかもしれない。それどころか、もしかしたら、自分たちが暮らしている世界も、どこかの世界のゲームや小説の世界だったりするのだろうか──

 考え始めてしまったら、どんどんわけがわからなくなりそうで、美琴は思考を中断した。

 そんなことはどうでもいいのだ。自分がいま生きてる、その実感が本物であるなら、それでかまわない。美琴にとってはそのこと自体、サンタクロースの話と同じだ。そうであっても、そうでなくても、自分にとっての本質は変わらないのだ。

 そこまで考えて、まったく別の問題が、浮上してきたことに気づいた。

「クリアするってことは──わたしが、魔王を、倒す?」

「そーね」

「もちろん」

 まったく正反対の二人は、同じ答えを返してきた。

「ちょ、ちょっと、待ってください。そんなこといわれても、わたし、ほんとに……」

「もー、ハラくくりなさいよ。あたしが味方するわ。これがゲームなら、クリアできないはずがないんだから。そうでしょう?」

 最後のそうでしょう、は田中に向けられたものだった。田中は黙って笑む。イエスの笑みだ。

「ゲームってのは、ある意味でものっすごくご都合主義なの。だってクリアできなきゃ、だれもやんないでしょ。どんな主人公でも、クリアできるようになってるのよ。ついでに、たぶん──あたしが、TSのことを完全に忘れてなくて、美琴ちゃんの手助けをするのも、そのご都合主義の一端ね。だっておかしいでしょ、同じ学校内で、こんな偶然。美琴ちゃんが認めようが認めまいが、もう、主人公は間違いなく美琴ちゃんなんだわ。あなたの友だちが死んだのも……そういうことでしょ」

 不意に、手を叩く音が聞こえた。田中が座っている有里沙を見下ろすように、満面の笑みで拍手していた。

「頼りない主人公には、頼れる仲間。こうでなくっちゃね。頭いいねえ、アリサくん」

「なれなれしく呼ばないで。あんたのこと信用しないわよ。美琴ちゃんに魔王を倒させるためなら、あたしだって殺しかねない」

「それは誤解だ!」

 初めて慌てたように、田中は両手を振った。

 しかし、田中が言葉を続けるより早く、有里沙の言葉の意味に気づいた美琴が、目を見開いて彼を見た。そこには、驚愕と、憎悪に似た色。うっ、と言葉を失う田中に、美琴は奇妙に冷めていく自分を自覚した。

「……ゲームマスターって、そういうことですか」

 感情のない声でつぶやく。家族みたいなどと、なにを勝手に思っていたのだろう。見るからに胡散臭い、得体の知れない男を相手に。

「ご、誤解だよ。アリサくんのいいかただと、ミコトくんのクラスメイトを殺したのが僕だって話になるじゃないか」

「違うの?」

 冷ややかに、有里沙が尋ねる。田中は大げさなぐらいに、首を左右に振った。

「それは違う。僕の仕事は、プレイヤーを導く……というか、見守るというか、それだけだよ。逆にいうと、それしかできない。そういう意味じゃ、自分のことをゲームマスターっていうのも、本当はおこがましいんだ。……この世界そのものが、ミコトくんに勇者としての仕事とまっとうさせようと、動いてるんだ。そういうふうにゲームを作ったのは、そもそも君たちの世界の人間でしょ。アリサくんのいうとおり、ご都合主義にね」

「どーだか」

 有里沙が鼻を鳴らす。美琴も、信じたいとも信じられないとも思わなかった。ひとつの情報として、彼のいったことを受け入れた。

「そこを信じてもらわないと、話が進まないよ……世界管理委員会が嘘っぱちってことになったら、君らだってお手上げでしょ」

「嘘だったら、どうします?」

 なにをしてもらいたいとも思わなかったが、美琴はそんなことを口に出していた。有里沙は面白そうに目を細め、田中は予想以上にたじろいだようだった。

 沈黙。じっと、だれひとり動かない。

「……嘘、だったら……」

いいかけて、さらに沈黙を挟む。田中は、ゆっくりと、息を吸い込んだ。

「丸坊主に、なろう」

 意を決したように顔を上げ、出た言葉はそれだった。少女ふたりは思わず顔を見合わせ、もう一度田中を見る。いつになく真剣な表情で、審判が下るのをじっと待っているような、そんな様子だった。

 くるりと、有里沙は田中にまるごと背を向けた。その肩が震えている。

 美琴は、なんだかばからしくなってしまった。

「……わかりました、それで手を打ちます」

 疲れたように吐き捨てた。ものすごく大きな問題について話していたような気がするのに、急に個人の髪型レベルに落とされたのでは、もうつっこむ元気もない。

「信じますから、夕食作ってください」

 そう口に出してから、なにかを食べようとしている自分に驚いた。あんなことがあって、食欲など、もう一生わかないと思っていたのに。

 今日の出来事だ。忘れたわけがない。しかし、思ったよりも、ダメージは和らいでいた。心のどこかで、これは虚構なのだと、割り切ることができたのかもしれない。あるいは、そういう感情すら、世界そのものにコントロールされているのだろうか。

「よし、じゃあ、まだちょっと早いけど、パスタでも作ろう!」

「……だいじょうぶ?」

 無理をしていると思ったのか、有里沙が優しく声をかけてくる。美琴は、ある意味では大丈夫ではないのかもしれないと思ったが、口には出さなかった。

 時計を見ると、そろそろ夕方にさしかかる時刻だった。不意に、味気ない丸い時計が、教室のそれと重なる。そのタイミングが、まるでショックを受けている自分を演出しているかのようで、嫌な気持ちになる。

「……お通夜とか、やるんでしょうか」

 それでも、やはり口にしたのはその話題だった。有里沙は肩をすくめた。

「行かないほうがいいわ。わかってるでしょ」

「桜井先輩は、気にならないんですか? その……彼女のお兄さんが、同じクラスだって聞きましたけど」

「有里沙でいいわ。……だれのお兄さん?」

 聞き返されてしまって、美琴はいいにくそうに目線を落とす。今日亡くなった中原理恵の兄、とくり返すことができない。

 しかし、その沈黙で、有里沙は察したようだった。充分に美琴のことを気遣うような間をとって、それでも尋ねる。

「……今日、亡くなった子のお兄さん? ごめんね、名前は、だれもなにもいわなかったから」

 そういうものなのかもしれない。ためらったが、それでも美琴は、中原理恵、と名を告げる。

「ナカハラ? いないけど。少なくとも、あたしの知り合いではないかな」

 静かに、美琴の頭のなかで、警鐘が鳴ったような気がした。あえて話題を変えようとして、有里沙が質問を続ける。

「ね、あたしも食べてっていいでしょ? いまさらだけど、おうちのひとは、留守? 一応、ご挨拶をと思うんだけど」

「両親は、出張で」

 反射的に、言葉が出た。ふうん、と納得しただけで、それ以上聞かれなかったことを、ありがたく思った。

 美琴は、そっと、上機嫌で厨房に立つ田中を見た。

 彼が現れてからいった言葉を、できるだけ、正確に思い出そうと思った。

「……わたしが、主人公で……勇者で、魔王を、倒す……」

 だれにも聞こえないように、つぶやく。

 警鐘は、さっきよりもずっと大きく鳴り響き、そしてだんだんと、聞こえなくなった。

 美琴の胸のなかに、ある予感が生まれていた。 



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