玉砕のそのあとで
こんな展開、アリ?ナシ?な感じの短い小話です。
思いつくまま半日で仕上げました。
「ごめん。」
ぽつりと呟かれたひとことに、頭の中が真っ白になった。
午後五時。開放的な窓から夕日が差し、室内を橙色に染める。
その中に残った二人の人物もその影も、橙色に染まっていく。騒がしい昼間とは打って変わって、どこかもの悲しげな、見る者によっては懐かしさが思い起こされるような、そんな学校の教室内。
―しかし、今の私に幻想的な風景に感動している暇など、ない。
目の前には、いつも通りの無表情でつっ立っている一個上の先輩。
…大好きな、日向勝真先輩。
この二年間、ずっと片想いをしていた先輩に、どうしても想いを伝えたくて。
だから、先輩の卒業手前というありきたりなタイミングで、靴箱に入れた手紙で呼び出すという芸のないやり方で、放課後の誰もいない教室という、ひねりのない場所をチョイスして。
今井梨乃、
人生17年で、はじめての告白をし――今、玉砕しました。
「……はっ…え、」
どうしよう。酸素の供給が追い付いていない。
あまりのショックに言葉を発することができず、ただただ苦しげに息をする私。
唇はぶるぶる震えて、目は瞳孔開いてんのかってほど開き、なんとも無様な姿をさらしている。
それに対し、先輩は何も言わずにただ私を見ていた。その視線が、いかにも『興味ないんだけど』って語っているように見えて、じわりと視界がぼやけてくる。
――ダメだ、泣くな。
泣くな泣くな泣くな。
このまま涙をこぼしてしまったら、同情引きの女だと思われる。
そして先輩を困らせるどころか失望されてしまう。泣いてすがるような、そんなダサい女には絶対なりたくない。…最後に嫌な印象を残したくないっていうのもあるが。
頑張れ、私の涙腺。
あと少しだけ堪えろ、と自分自身に言い聞かせ、顔を上げる。
先輩ときちんと目を合わせ、これが最後だとばかりに姿を瞳に焼き付ける。そして震える口をなんとかこじ開けた。
「……お時間、とらせてしまって…っ…すいません、でした。…聞いてくださっ……あ、ありが、…とぅござい、…ます!!」
ちゃんと最後まで言えていたのかどうか、分からない。
しかし、私はそれだけの台詞を笑顔で言いきると、先輩の返事も聞かずに教室を出て走り出した。
何故か?答えは簡単。
―限界だったからだ。
正面にいる先輩からの視線も、気まずい空気も、…そして、私の涙腺も。
とにかく、遅刻寸前滑り込みギリギリセーフ校門入場で鍛えた自慢の脚力を生かし、私は誰もいない廊下を突っ走った。
…点々と、色々な汁を垂れ流しながら。
走って走って、たどり着いたのは人気のない中庭の隅。
植木と壁に囲まれて周囲からは全く見えないという、隠れるには最適の場所である。
現在、私はそこにしゃがみこんで、号泣と言う名の感情整理を行っている最中だ。
こんな事態を想定して、泣き場所まで用意しているなんて、準備いいだろぉ?うへへ。…ぐすっ
「……ぐすっ、…ひっぐ、…うああああっ!」
涙腺がゆるみ、涙のダムは決壊。ドバドバと遠慮なく水が両目から流れ落ちる。
ふふふ、ナイアガラの滝も今の私の放水量には勝てるまい。
なんて馬鹿なことを考えながら、いっそこのまま干からびるまで水分を出しつくしてしまいたい、とまで思う。
泣いて泣いて、ここから消えることができたら、と。
今の私を見て馬鹿じゃないか、と嘲笑する不埒な輩もいるだろう。たかが失恋で何をおおげさな、と。
―でも、考えてもみろ。二年だぞ。
私は今さっき、二年間、ただひたすらに思い続けた相手に振られたんだ。泣くしか無かろう、今くらいは。
そりゃ、玉砕覚悟、当たって砕けろ精神で本日の決戦に臨んだけども、…本当に砕けた時の打撃は予想以上に痛くて。
もしかしたら、ひょっとしたら、『いーよ、付き合っても。』なんて、軽い答えが返ってくるかも、と期待していたんだ。
勇気を出して告白して…そしたら、ラブロマンスの主人公みたいに、素敵な恋愛がはじまる、なんて夢見てたんだ。
…まあ、結果は大失敗、玉砕だ。
現実は厳しいな!
「…うう、ぐす、……ひっく、」
新たな汁が頬をつたう。まだまだ涙は枯れることを知らず地面と私の手を濡らす。
人間って体の5%の水分を失うと脱水になるんだってね?
あと一時間くらい泣けば普通に脱水症状が出るんじゃない?
へっと乾いた笑いが漏れる。
目を閉じれば、すぐに思い浮かんでくる先輩の姿――初恋の人。
背がスラリと高くて、サッカーが抜群にうまくて、一見やる気がなさそうだけど部活も勉強も誰よりも努力してて、友達を大事にしてて、さりげなく優しい所もあって…
日向勝真先輩のいいところなら、小一時間語れる自信がある。十個どころか、百個は挙げられる。
それくらい長いこと、彼のことを見つめてきたんだ。
大好きな、先輩のことを。
…ああ、どうしよう。まだ全然、諦められてない。
私、やっぱり、日向先輩のことが好きだ。
二年間降り積もった想いは伊達じゃない。これを治療するには相当のケアが必要だろう。
しかし、ぐずぐずと報われない想いにしがみつくのは嫌だ。
告白して玉砕した今、どうにかして、この厄介な恋心を捨てないといけないのだ。そうしないと、先輩だって迷惑だ。
私は鼻を豪快にかみ、これからどうやって先輩を『忘れよう』か考えた。
とりあえず、三日は部屋に引きこもって泣き明かそう。学校はどーんと休んでやる。
傷心の乙女は学校を休んでも許されると思うの、私。
その後は、充たされない心の隙間を…食べて埋める!!
駅前に売ってるストロベリーミルクのタピオカジュースから始まり、チョコバナナクレープ、あべかわ餅、とろふわプリン、と店をはしごし食べ歩き!
最後は…スイーツ食べ放題60分バイキングッ!!
っしゃー、これだ!これこそ、完璧なプランだ!
私は脳内計画を思い描き、両手でガッツポーズをした。
ふっ、なぁに、2,3キログラムの増量なんざ大したことはない。空虚感を埋めるためには必要な犠牲だ。
とにかく、これで哀れ砕け散った恋心にアディオス、サヨナラ、ボン・ボヤージ!
先輩を諦め、せめて心からの笑顔で日向先輩の卒業を見送れるように、私はやります!
そう、恋した乙女は強いのだ!!
「…あ、こんな所にいた。」
――すると、背後から声が降ってきた。大きな影が私を覆い隠し、すっぽりと包む。
この声は……
驚きの事実を脳が処理するよりも早く、私は短距離選手もびっくりのスタートダッシュをかまし、地面を蹴った。背後の人物など一瞥もすることなく、風のように走る。
運動靴履いてきてよかったよ!本当に準備いいね、私っ!
「待ってよ。」
―だが、サッカー部のエースだった先輩には遅刻寸前(以下略)程度の私に追いつくなどいとも容易いことだったようで、すぐに腕を掴まれてしまった。
ちょ、待って!離して先輩っ!もういいから、これ以上の辱めはもういいから!
せめて一人で泣かせて!
現在進行形で涙を垂れ流しながら、ぶんぶんと腕を振って日向先輩から逃れようとするが、先輩の右手は全く離れない。むしろ、ぎゅうっと力を入れてきて…若干痛いんですけど。
「待ってって、言ってるじゃん。」
「ほっほっどいでくだざい!!」
「…ひでぇ声。」
水分不足でかっすかすになった声帯から声を絞り出すと、先輩にぷっと笑われた。
…笑われた!?
くっそ、このっ…イケメンが!いくらカッコよくてモテモテだからってブロークンハート中の私を笑うなんて…!
…だああ、悔しい!先輩ったら笑顔が素敵すぎて悪口も思い浮かばない!
「もういいでずがら!わだしは、すいーつ食べて先輩のごど忘れるんでずがら!」
「スイーツ?何のこと?」
「いーがらほっどいでぐだざいぃ…」
情けない声を出し、俯く私。
ああ、なんだか色々と臨界点を突破しそうだ。羞恥と痛みと精神的圧迫その他なにやらで、憤死しそう。これは気絶したい。うん、そうだ気絶しよう。目が覚めたら病院でしたオチでいいわもう。
「ごめん、あのさ、やっぱさっきの嘘。」
「……?」
意識を彼方の方へ飛ばそうと努力していたとき、先輩から話しかけられた。
何のことだろう、とぱちっと目を開けてみると思いのほか近くに日向先輩の顔があってドキッとする。
なんて恥知らずな私の心臓。今すぐ移植するわ。
「…俺、今までサッカーしかやってこなかったから、女子とか興味なくて。いつも告白とか、断ってたんだけど。」
先輩はさらに言葉を続ける。
気付けば両肩に手がおかれ、日向先輩が私を見下すような形になっていた。
「あんたの泣きそうな顔見たら、なんか、こう、ドキッときて。」
「そういや、あんたの名前を聞いたことあるな、よく差し入れ持ってきてたなあとか、思いだして。」
「気付けば追いかけてたから……まあ、そういうことかな、って。」
ぽつりぽつりと、普段決して口数の多くない先輩が、私に向かって真剣に言葉を紡ぐ。
照れくさそうに話す先輩に、私はドキドキしっぱなしで。
こんなことが起こっていいのか、何かの罠じゃないのか、とぐるぐる思考をめぐらす。
しかし、次のひとことで、その思考もぴたりと止まった。
「いーよ、付き合っても。」
それは、私が望んでいた『答え』そのもので。不躾にも『は、何言ってんのこいつ?』と思ってしまった。
ありえない。先輩がこんな…都合のいいことを言ってくれるなんて到底信じられそうにない。
そして私のオーバーヒート気味の脳を動かし、考え得る可能性を鑑みた結果。
あるひとつの結論にたどり着く。
あ、この先輩は私の妄想が具現化したものなのか、と。
そうか、これは夢だ。
きっと、自分では気付いていないだけで今私は病院のベッドの上にいるに違いない。
夢落ちエンドなんて。あんまりすぎやしませんか、神様!
「…う、うぞだ!!」
「は?嘘?」
「先輩がぞんなごど言うはじゅないでずものー!うわああああん!」
「また泣くし…」
第二次涙腺崩壊。両目からどばっと大量の涙があふれ、また私の頬に滝を作る。
日向先輩はぎょっとし、取り出したハンカチで私の顔をぬぐうが、後から後から出てくる水にたかがミニタオルでは対処しきれない。
ぐっしょりと濡れたハンカチを絞りながら、先輩は呆れたように私に問いかけた。
「あーもう、どうしたら信じてくれるわけ?」
「しんじまぜん!夢なんでずがら!」
「あ!おい!」
色々と故障状態の私は、最後の冥土の土産に、とばかりに先輩のブルーのタオルを奪い、踵を返した。
制止の声なんか聞かない!何故ならこれは夢だから!
「これは洗ってお返じじまずからー!別に変なことはじまぜんからー!」
「その発言がすでに変なんだけど…」
捨て台詞を吐きながら脱兎のごとく走り去る私。日向先輩はそれを見送りながら、頭を掻いた。
「やれやれ、どうするかな…」
そう呟いた先輩が至極楽しそうに笑っていたのに気付かないまま、私はただ家に向かって爆走していた。
数日後。
靴箱の中に手紙が入っているのを見つけ、放課後の誰もいない教室に呼び出され、日向先輩から告白返しをされることになるのは――また別のお話。
END