多分これが日常。
あの後、学校を無事に終えて帰宅。果たし状もどきは無視した。岸谷薗香は相変わらずしつこく、篠原くんは相変わらず口が悪い。多分これが私の日常。
マンションの5階である自宅の窓が、何故か灯りがともっている。あぁ、広子さんだ。夕食を作る手間が省けたと安堵した。
「おかえり、礼。お夕飯できてるからね」
「ありがと」
鞄をソファに放り投げ、テーブルにつく。パエリアとグラタンにコンソメスープ。広子さんは洋食が好きである。私がいつも作るのは大抵和食だから、こういうのもいいと思う。いただきます、と言ってから手をつけた。父の妹である広子さんは、こうして夕食を一緒にしては父の話をしてくれる。
「そういや広子さん、この前のお見合いの話どうなったの」
「破談よ破談。全然ダメだったわ」
「広子さんは理想が高すぎると思う。残念な美人だ」
「じゃあ兄さんは残念なイケメンかしら?」
「父さんもかな、うん」
広子さんはまだ27歳だし、病死した父の写真とよく似て綺麗な顔立ちをしている。ふわりとウェーブのかかった長い黒髪。切れ長の目に筋の通った鼻。色白で痩せ形。何から何まで父にそっくりだと、幼い頃祖母から聞いた。私は父の写真を見る限り、父とよく顔立ちが似ている。必然的に広子さんと私も似ている訳で、だから自分の容姿が整っている事は自慢ではないけれど自覚していた。ただ、広子さんの方が私よりも柔らかな印象を与えるとは思うけれど。
「そういや礼、あなた高校入ってからどうしたの」
「どういう意味」
「疲れてるんじゃないの? いつもに増して怖い顔してる」
「いつもに増して、って……それ、常に怖い顔してるって事じゃん」
反論しつつも自覚はある。自分が仏頂面であることくらい。
高校に入ってからそれに拍車が掛かったというのなら、それは無論あの面倒な女子のせいに決まってる。だがしかしそれだけとは言い切れない。今日の意味不明な果たし状もどきに派手な頭の女子。もう行ってる意味が分からなくなってきた。辞めようかな――…でも、最低限の学歴が必要だ。甘えてらんない。
だけど意味なんてあるんだろうか、こんな高校生活に。
受験勉強らしい勉強もしてない。ただ近いってだけで選んで、なぁなぁで受かった高校。目指すものもない。よく考えれば、この生活に意味はない。
なんて、梨華に言ったら怒られるけど。
「楽しくない」
「ん? 何がよ」
「学校」
パエリアをかきこむ。喉が詰まりそうになったので、コンソメスープで流し込んだ。うまいけど、食ってていい気がしない。
「どうしたのー、うまくいってないんでしょう?」
くすっと笑う広子さんに呆れる。
うまくいってないんでしょう、ってねぇ。
ねぇ広子さん、
こんな人格に問題のある姪に、友達なんかできる訳がないよ。
端っから、うまくいくもいかないもないじゃないか。
「友達なら、梨華がいるよ」
「梨華ちゃんだけ?」
「だけだね。あと一応篠原くん」
少しだけ身を乗り出して皿にグラタンを盛る。広子さんが「あっ、」と声を出した。私は怪訝そうな顔をして聞いた。
「何」
「髪」
「は」
「下」
「あ」
かなり速い会話だった。下、と言われて下を見ると納得。髪がコンソメスープに浸っていた。5cmくらいだからまだよしとしよう。
「……明日は髪からコンソメの匂いが漂うのね」
「馬鹿な事言ってないでティッシュ取ってよ。ちゃんと髪洗うし」
「はいはい。そろそろ切んなさいよ、その髪」
広子さんが無駄にデカいテーブルの隅にあったティッシュを取ってくれたので、1枚取って拭いた。
「切んないよ。ていうか切ったことないもん」
常に背中まではあった。切るっていったらほんの少しだけ毛先を揃えたくらいで、短くしたことはない。
いや、あったっけ。1回だけ。
「まぁ綺麗だからいいけど。ボサボサだったら無理矢理切っちゃってたわよ」
「何その基準。いいから自分もさっさと食べたらどうなの」
「食べてるわよ」
「全然進んでない。冷めてまずくなるよ」
「まずいは余計よ。全く」
高校に入ってから、何となく慌しい。
明日も何かが起こるんだろうか、と漠然と考えていたこの時はまだ、あんな面倒な事になるなんて思ってなかった。