強引な彼女
ジリリリリリリリリリリリリリリリ…
「……っせーなこの」
自分でセットしといてこの言い方は無いか。
永遠に鳴り続けそうなやかましい目覚まし時計を手探りで探して止めた。朝5時。ベッドから起き上がる。長い髪が煩わしい。この際もう切ってしまおうか、いや切るなら入学式前の方が良かった。そのままにしよう、うん。朝から思考回路は忙しい。
洗顔、歯磨き、髪を整え制服を着る。その上からエプロンを付けて弁当の支度に取り掛かる。昨日の夕飯の残りも少し入れておくか。そう言えば今日は特売日だ、買い物にも行かなきゃ…ここまでくるともう主婦だな。手慣れたものだ。
弁当を作り終え、6時も近くなった頃。携帯電話がベッドの上で鳴った。
「もしもし」
「礼? 起きてる?」
「起きてなかったら電話に出れない」
「そうねぇ…ねぇ礼、今日仕事が早く終わりそうだから、礼のとこにご飯作りに行くから」
「そう、どうも。夕方6時以降いつでも来ていいから。勝手に入ってて下さい」
「分かったわ。じゃあね」
「はいはい」
高くて綺麗なソプラノ。彼女は私の叔母である、梁瀬広子さんだ。父の妹であり、まだ27歳と若いが小さな花屋を営んでいる。私が独り暮らし状態になったばかりの時によく心配して来てくれたのだ。今でも時々ご飯を作りに来る。もうとっくに家事はできるんだけど。私。
昨日の昼の一件があってか、案の定誰も私に近寄ってこなかった。その方が楽だから私としてはありがたかった。相変わらず梨華は口出ししてきたが、聞き流しておく。
そして朝、昨日気付かなかったので確かめてみたが、篠原遥は確かに私の左隣の席に居た。
「……おい、瀬村」
「何。篠原くん」
「この方程式ってどうやって解くの」
「私理数系じゃないから。ごめん」
「ちっ、役に立たねぇ奴だな」
「人の事勝手に使おうとしてんじゃないよ」
「お前、頭良さそうな顔してっけどな」
「社会だけはずっと学年1位だった」
「うっっそマジ? 俺社会20点代以上取った事ねぇよ」
「ヘボっ」
「てめ、ヘボいって何だよ」
馬が合うようなので、授業中もそこそこ話す仲になってしまった。
でもまぁそうなると、結果的に私は霜村高校でまともに話せるのは相原梨華と篠原遥だけであり、どうも高校生活うまくいってますとも言えない。自業自得だけど。広子さんが知ったらどう思うだろう。きっと苦笑いしか帰って来ないだろうね。
「篠原くんは何処で昼にすんの?」
「俺は購買でいい」
「そう。いってらっしゃい」
やっと昼休みが来て、私は弁当の包みを机の上で広げた。箸を出して食べ始める。自分の手料理はそんなに美味しいとは感じない。もう何年も食べてるし。
さっさと食べ終えて買い物リスト書こ。
今日はスーパーの特売品チェック忘れたし…
「わぁっ、おいしそー! これ手作りだよね、誰が作ったの?」
それは繊細で、透き通っていて、綺麗な声だった。
頭上からそんな声がした。確かに。でも有り得なかった。こんな私に声を掛ける奴なんか居る筈なかった。でも確かに、女の子の声。
顔を上げると、同じクラスであろう女子が1人、微笑んで私の机の前に立っていた。くるくるとカールした髪は天然パーマだろう、胸辺りまで伸びていてそれを2つに束ねている。長くもない前髪を右で分けている、清楚な雰囲気の女子。見るところ、化粧もしてないしネイルもない。赤いスカーフだった。
私は暫くそいつの顔を凝視していた。それでも彼女はずっと微笑んでいた。
「あなたは瀬村礼さんだよね。髪、きれいだったから印象に残ってたの。ねっ、お弁当食べるならいいとこあるの。あたしと一緒に行こっ」
そう言ってそいつは私の手首を掴んだ。
待てと言う余裕も無かった。私は連れて行かれる前に弁当の蓋を閉めて箸を持たないといけなかった訳で。その小さな荷物をやっとまとめると、私は彼女に連れて行かれた。
彼女が私を引っ張って行った先は3階の南側にある小さなテラスだった。屋上とはまた違った景色が望める所だった。
「ねー、あったかいでしょ」
そう言って彼女は自分の弁当の包みを広げる。私は包んであると言うよりただ必死に掴んで持ってきただけの弁当箱その他諸々達を抱えつつ、彼女を見ていた。
「……あんた、誰?」
私がやっと発したのはそれだけだ。テラスの綺麗な床に膝を崩して座った彼女は満面の笑みで立ったままの私を見上げ答える。
「あたし? あたしね、キシタニソノカ!」
きしたにそのか? 聞いた事がない――いや当たり前か、皆新入生だもんな。
「岸辺の岸と谷底の谷で岸谷。園芸の園に草かんむりつけた薗に香りの香で薗香。岸谷薗香」
「ご丁寧な説明どうもありがとう。私は帰る」
「待って待ってー!!」
くるりと踵を返した私の腕をまた強引に掴んだ。
「せめて一緒に食べようよ! ここまで来たんだから」
「あんたが連れてきたんでしょ」
「どっちでもいいから食べよっ」
「何で私があんた食べないといけないの。まず私はあんたの事を知らない」
「今知ったじゃん! いいでしょっ」
「くどいな! 詭弁だそんなの」
「詭弁でも屁理屈でもいいから一緒に食べたいの!」
……そろそろ疲れてきた。もういい。折れる。
「知らないよ、もう…好きにすれば? やだ。疲れた」
「やった!」
私とは裏腹に、岸谷薗香は嬉しそうである。くそ、私が何だか馬鹿みたいじゃないか。楽しそうに何やら語りながら弁当を食べる岸谷薗香が私にとっては奇妙であった。
「……おい、岸谷薗香」
「ん? 薗香でいいよ?」
「うるさい。で、あんたは何で私をここに連れてきたの」
岸谷薗香は大きな目を丸くした。ぱちくりとさせてから、くすっと微笑んで答えた。「だってあたし、瀬村さんと友達になりたかったんだもん」
私はこれでもかってくらい不細工に顔を歪ませた。「はいぃ?」
「友達になりたかったら話し掛けるでしょ? だから呼んだんだよ」
「……あんたさ、正気?」
「正気だよ?」
私はもう何と言っていいか分からない状況に陥っていた。
「ね、それ自分で作ったの?」
彼女が私の弁当箱を覗いて言った。
「……だったら何なの」
「へぇー、すごーい! あたしあんま料理できないからすごい憧れる! ね、それもらっていい?」
「好きにすれば」
岸谷薗香は私の弁当箱の中の生姜焼きをつついた。「わ、すっごいおいしいー! 瀬村さんて料理好きなの?」
「慣れてるだけ」
「へぇー! いいなぁ、あたしもやってみたい」
「やりゃいいじゃん」
「そんな簡単にはいかないんですぅー。お母さんに台所使っちゃだめって言われるし」
高校生活2日目。
良く分からん明るい女子にテラスに連れて行かれて弁当を一緒に食う羽目になった。