不穏
「え、まさか受かったの? あなたが? そんな怖い顔したあなたが? へぇー、懐の広い店主さんなのねぇ、きっと」
上機嫌そうに微笑む広子さんにちょっとした殺意を覚える。いや、いかん。
「……姪がアルバイト面接に合格した事実に対しての開口一番がそれか」
「だーって、本当のことよ。何せ接客業よ?あなた1番向いてないわ~」
「……」
土曜日。無事面接に合格し、その日の夜に広子さんがマンションにやってきた。面接の結果を聞きに来たのと、それと多分夕食を食べにきたのだろう……私は素直に、広子さんの分も食事を用意する。今日は、冷蔵庫に余っていたものを適当に煮込んだ豚汁と煮魚、その他諸々。1人暮らしなのだから、日持ちのするものしか作りたくない。それとなるべく、弁当のおかずにできるもの。
「ふふ、ありがと。相変わらず渋いのねぇ。いただきます」
「一言余計だ、広子さん」
全く、お喋りが大好きだな。女は。
翌週金曜日、バイト先の店主から連絡があり、ジーンズとTシャツ持参で来いとこのこだった。私は学校を終えてから家に帰り言われたものを鞄に詰め、制服のままバイト先に直行した。時刻は4時40分。
アルバイト先の候補となった近所の居酒屋は、近所と言っても徒歩30分程の距離はあった。商店街から少し外れたところにある、小さめの居酒屋。アルバイトを雇わないといけないほどの忙しさと、アルバイトを雇う経済的余裕があるのなら、それなりに繁盛しているのであろう。
まだ暗くならないので開店しておらず、店には店主の男性が1人。居酒屋のまいかけをした人が好さそうなおじさん、って感じの人だ。聞いてみると、あっさりともうシフトが決まっている。金曜の夕方から夜まで。あとは土曜。良かった、週2日だけだ。もう、早速今日から仕事なんだけど。
「いやー、バイトの娘が夏前に入ってきて良かったよ。これから忙しくなってさ。あ、自己紹介がまだだったね。俺は数年前からこの店やってる別所だよ、宜しくね。悪いけど、店の準備がまだあってな。もう1人バイトの子がいるからさ、その子に教えてもらってよ。もうすぐ来るはずだ」
店主は腕時計をちらっと見てそう言った。
「……そのもう1人のアルバイトは、女性ですか」
「あぁ、女の子だよ。確か今高校生だ。年、近いんじゃないか?」
最悪だ……お先真っ暗とは正にこの事なんじゃないだろうか。女かよ。しかも若い女。高校生。吐き気がする……。
「……何度もつかぬことを伺いますが、そのアルバイトは霜村高校の生徒ですか?」
いつもの仏頂面を5割増しにして、青い顔でそう訊くと店主は全く怯まずに笑って答えた。
「いいや違うよ~、確かどこだっけなー、忘れちまったが霜高ではないよ。どっか夜間だ、定時制」
せめてもの救いだ。安堵。
「じゃ、控室あっちだから。これまいかけね。あとジーパンとTシャツに着替えてて」
「分かりました」
渡されたまいかけを持って、示された方向――店の裏の控室まで歩く。扉を開けるとそこは雑然とした感じの小さな部屋だった。部屋の奥に細いロッカーが3つ。中央には長いテーブルとパイプ椅子が4つある。あとはコートハンガーが隅にあるだけだ。
3つあるロッカーは、左端のものだけに名前が書かれていた。
……“加賀”。
ロッカーの扉に、そう走り書きされた短い白テープが貼ってあった。大人っぽい字だった。
机の端にあるペン立ての中からマジックを取り、そこら辺に転がっていた白テープを千切って名前を書いた。瀬村。教科書みたいなつまんない字のそれをロッカーに貼って、私は着替え始めた。
と、同時に控室の扉が開く音がした。
「――あれ、あんた誰。新人?」
ハスキーボイスとでも言うべきか、やや掠れた低い声に振り返る。金髪のロングヘアを胸まで伸ばした、背の高い目つきの鋭い女が控室の入口に立っていた。慣れた手つきで煙草をふかし、こちらをじっと見据えている。恐らく20歳は過ぎているであろう、化粧がやや濃いがそれがまたサマになっている。真っ赤なタンクトップに黒いパーカー、ジーンズを着こなす派手な美人だった。
「……初めまして。今日からアルバイト勤務になった、瀬村です」
「瀬村? 下の名前は?」
「……礼、です」
女は「ふーん…」と呟くように言って、笑った。
「瀬村礼、ねぇ。年は? 17くらいか」
「まだ15歳です。来月で16ですけど」
「へぇ。なら高1じゃん。その制服って霜高?」
「……えぇ」
何かと基本情報を探る女だと思った。私のありふれた肩書きを聞いて、何か楽しいのだろうか。
「何よその腑に落ちないような顔――あぁ、あたしが名乗ってなかったわ、ごめんごめん」
女は煙を静かに吐き出すと、ニヤッと笑って言った。
「あたし加賀凌、19。高3」
19歳で高校3年生。加賀凌はどうやら留年か浪人をしているようだった。
まぁ、未成年が煙草を吸っている時点でまともに高校に行けている気がしなかったのだが。
「あんたが新人か。宜しくね、礼」
ニヤッと笑った加賀凌は、私に握手を求めてきた。
彼女が何者であるか、私はこの時まだ知らなかった。ただ、不穏な雰囲気を纏うこの女に、私はいつものように顔をしかめるしかなかった。