過ぎる休日
「へぇ、アルバイト始めたいの? どうしたの急に」
経営している花屋の決算でも書いているんだろうか。リビングのテーブルでノートに向かう広子さんは、顔を上げて私にそう言った。
「急にじゃないよ。こんなに家計が苦しいのに」
床に座って洗濯物を畳む私は、視線を上げずに言う。
今日は土曜日なので、溜まっていた家事を片付けるのに費やしていた。そんな風に過ごしていたら、今はもう夜の8時過ぎ。
知人に大量の野菜を貰ったとかで、数時間前に広子さんは突然アポなしに訪れた。洗濯や掃除で疲れていた私に夕食を作ってくれたのは有難いけど、献立がポトフにピーマンの肉詰め、その他諸々野菜尽くしだった事を私は一生忘れない。
「そういえばそんな事も言ってたわね。バイトがしたいのは、家計が厳しいから?」
「当たり前でしょ。月10万でここまで生きてこれた事を称賛して欲しいよ」
「まぁ、礼も年頃の女の子だものね……ちょっと少ないかしら。それでどうするの、何処で働きたいのよ」
夕食を終えたのに、今日の広子さんは帰らない。曰く、独りでいたくない気分なのだそうだ。別に構わないのだが、動機が意味不明。
「さぁ……私が選べるようなものじゃないと思うけど。高校生可で募集してるアルバイトなんてたかが知れてるよ。大概は飲食店かコンビニのどちらかって、相場が決まってる」
「まぁそうねぇ~…高校生だと学校もあるから、働ける時間も限られるし」
「勤務時間や労働日数を考慮すれば当然だろうけど。取り合えず、何件か候補を絞ったから近々電話して面接に行ってくる。落ちたら落ちたで受かるまで探す」
「そう、頑張ってね。でも家の事もあるんだからあんまり無理しちゃ駄目よ。……でも待って、礼。あなたの学校アルバイト禁止じゃなかった?」
「そんな校則、誰がまともに守るの。バレたらバレたで校長にでも直々説明するよ、“私の母親は数年前に家を出てったきりで連絡もよこさずに月たった10万の仕送りしか寄越さない、育児放棄もいいとこの冷血女です。そのせいで家計が苦しいからアルバイトしてるんです”って」
嫌味たっぷりにそう言って鼻で笑う私に、広子さんはノートを閉じて溜め息混じりに、目を伏せて呟いた。
「……美影さんの事を悪く言うのは良くないわ」
美影さん。
あぁ、私の母親は美影さんか。そんな名前だった。
しばらく思い出せずにいたような気がする。
翌日の日曜日。起床してから身支度を整え、朝食を済ませると一通りの家事を片付ける。そうだ、午前中にこの間から目星の付けておいた求人情報を確認しよう。
リビングのテーブルにノートパソコンを持ってくると、電源を入れる。インターネットを開き求人サイトに接続すると、条件や地域別から探して狙っているアルバイト先を絞り出した。
今のところ1番良さそうなのは、家からの道のりが高校とは正反対の方向にある居酒屋だった。自給が800円と、高校生でも割と高め。早速電話をすると面接は来週の土曜日、午後2時からとなった。私はそれをスケジュール帳に予定として書き込むと、財布と携帯電話をトートバッグに入れて家を出た。
エレベーターに乗って1階まで下り、マンションの駐輪場まで歩く。自分の自転車の籠にバッグを放り込む。向かったのは近所の商店街にある文具屋、買ったのは履歴書だった。
その帰りに、いつも行くスーパーの横にあった証明写真機で履歴書用の写真を撮った。証明写真って700円もするんだ。財布に厳しい。
今はまだ午前10時。これから一旦帰って、昼食でも作って……いやご飯はまだ早いとして、水回りの掃除しとかないと。夏本番に、キッチンに蠅が集るのは嫌いだ。それから昼食にして、それが終わったら郵便局で預金を下ろそう。母親の振り込んだ毎月の生活費10万の残りが、あと少しあったはず。
――何だ、この生活。
世間一般的な女子高校生はATMで預金を下ろしたり、スーパーのタイムセールのチラシに目を奪われたり、クレンザーや洗剤で手を荒らしたりはしないのだろう。いないってことはないだろうけど……だったら私は一体何だと言うのだろう。一般的でないのなら、異常なのかな。
自転車に乗って自宅までの道を走る。伸ばし過ぎてもはや尻まで届いている髪が風で揺れて、大きく広がるのが分かった。
その黒髪の重さに煩わしさを感じながら、それでも髪を切る気は起きなかった。