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無重力高校生。  作者: メイ
日常編
21/25

『お父さん』

 そう、それは写真だった。


 ずっと探していた生徒手帳。だけど目的は生徒手帳本体ではない。大事なのは、手帳の最後に挟んでいたものだ。

 生徒手帳の後ろに密かに挟んでいたのは、まだ私が生まれていない頃のお父さんの写真。写真の当時のお父さんはまだ20歳そこそこだった。両親は結婚が早く、わたしが生まれた時はまだ母親は22歳で、お父さんは24歳。生まれた直後に亡くなったお父さんの記憶ははっきり言って全くないけど、それでもちゃんとお父さんは私に自分の存在を示してくれていた。私が生まれた10日後に病気で死んでしまったけど、余命を悟ったお父さんは私にちゃんと言葉を残してくれた。


 母親は幼い頃から私に対しての愛情だとか、そういうものがずいぶん希薄だった気がする。いやもう、愛情って単語を出すだけで笑えて来るんだけど。お父さんの写真のひとつも見せてくれないし、広子さんのように話もしてくれなかった。そもそもまともな会話すらなかった。私は母親の笑った顔を覚えていない。私に対して無表情で感情を表さない。そういう人だった。母親とはもうしばらく、別居状態が続いている。最後に言葉を交わしたのは何年前だろう。


 そんなだから、お父さんの写真は幼い頃に内緒で広子さんに貰った。写真の裏面には、お父さんから私へのメッセージが書かれていた。それは“愛している”の五文字だけのシンプルなものだった。死を覚悟したお父さんが広子さんを通して、私に残してくれたのだそうだ。その五文字だけで、お父さんの私に対する気持ちが分かった。

 会った事もない、話した事もない。記憶なんか全くない。血の繋がりがあるとはいえ、知らない人と言ってしまえる程だった。それでも愛していると、言葉を遺してくれた。それだけで、私はお父さんを愛する事ができた。

 広子さんから話を聞く度に、嬉しい気持ちになった。もっと知りたかった。どんな人だったのか、何が好きだったのか。色んな事を聞く度に会いたいと強く願っていた。それはもう、とっくに叶わない事だけれど。


 写真の裏の文字。

 それだけでよかった。

 何のメッセージもないけど、その五文字だけでいいと思えた。


 それだけで、好きだと思えた人だった。




 何が起ころうと時間は流れる。新入生とレッテルを張られる4月も、いつの間にか終わっているのだった。

 あの事件からもう1カ月以上が経った。5月になり部活も始まり、新入生だった1年生もだんだんと学校が日常になっている。梨華はテニス部に入ったらしい。岸谷薗香は吹奏楽部に入ったと聞かされた。私と篠原くんは帰宅部になった。家事をしていたら、部活なんてする暇はないし。


「なー、少しでいいからさ。ね? いいっしょ?」

 煩わしい。至極煩わしい。

 昼休み、たまには購買に行ってみようかと教室から出たのだけれど――他クラスの教室の前を通った辺りで、知らない男子生徒に捕まり奢るだの何だのと言い寄られている。私がそんなに金を持っていないように見えるのか。

「嫌なものは嫌。さっさとそこどけて」

「そんな事言わないでさぁー、奢るってば」

 こいつの耳の中はどうなってるんだろう。私の言った事が聞こえていないのだろうか? それとも言葉の意味を理解する左脳が残念な事になっているのか。恐らくその全てだろう。

「しつこい。お昼は自分で買うから。奢りとか結構です」

「そんなこと言わずにさぁ、ちょっと俺と喋ろうよ。ね?」

 このヘラヘラとした常識のなさそうな話し方が嫌いだと思った。てかコイツ、背小さっ。160ちょっとくらいしかないんじゃないの? 大体何なの、この茶髪は。染めまくってんのがバレバレな、パッサパサに痛んだ茶髪。遥くんとは大違い。

「うっさいな。そのヘラヘラした話し方が最高に頭に来るんだけど。あんたと同じ空気吸ってるって考えるだけで吐き気がする」

 睨みつけて滔々と述べると、男子生徒の顔が豹変した。思春期の男子生徒の自尊心は、自意識過剰な女子以上のものだ。それを知っている。知っているから刺してやる。

「テメェ、ちょっと可愛いからって調子乗ってんじゃねーぞ」

 癇癪を起したような男子生徒が手を上げてきた。うわぶたれる。私は1カ月前の顔面の惨状を思い出した。斉藤に殴られて梨華に叩かれて、私の顔はサンドバックか。

「ちょっと、何してんの?」

 だけど痛みは私の頬に降ってこなかった。男子生徒にぶたれる前に、梨華が堂々とそいつに物申していた。ここで登場スーパーヒーロー。何処から来たんだ。

「はぁ? 何だよお前」

「何なのって言いたいのはこっちなんだけど。レイにベタベタ近付かないでくんない? 勝手にナンパしてきたのそっちじゃん」

 いつもの愛嬌のある笑顔とは裏腹な、挑発的な目つきを男子生徒に送る梨華を見るのは久し振りだった。男子生徒は何やら負け犬の遠吠えみたいなものを吐いてどっかに消えた。

「ちょっともうレイー、何してんの。気を付けなよ?」

「いや、今のはどう見ても私が被害者でしょ。どうして私が気を付けろだろか責めらんなきゃなんないの……私はただ」

「それが無防備なの! うちのクラスの男子にも、レイのこと可愛いって狙ってる奴いたんだから」

「誰よそれ、気色悪い」

「ま、レイは言ったって分かんないからいっか。ねーレイ、一緒に購買行こ」

「いいけど」

 そう言って私は梨華と購買までの道のりを歩き始める。昼休みの雑然とした喧騒に溶け込みながら。

「てかさ、聞いた? 今日職員会議で部活なしの4時限なんだって! もう最高ー。ねっレイ、帰り駅前寄んない?」

「今日は用事があるから行かない」

「え、用事ー? あ、あれでしょ。スーパーの特売日」

「豚肉の細切れが3時からタイムセールで半額と来た。これはもう行くしかない」

「レイは相変わらずだね~、さすが主婦。あたしが結婚した時はレイに色々教えてもらおっかなぁ。まだ高校生だけどー」


 高校生か。

 私、高校生になってたのか。


 いつの間に高校生なんて肩書き、持ってたんだろう。

 思えば私は、母親と別居した頃から自分がよく分からなくなっている気がする。何をしているのか、何もしたい事はないのに何故意味のない事をしているのか。毎月送られてくる10万円の仕送り。多いように見えて実はかなり少ないその金が送られてくる事が、別居するようになってからずっと続いているけど。私は母親を嫌いながら何故その嫌いな人の世話にならないと生きていけないのだろう。それが嫌になって仕方ない。


 私はありとあらゆる女を嫌って、

 時々、どうしようもなく自分が馬鹿な事に気付いたりするんだ。



「うっそ…Lサイズの卵1パックが78円なんて聞いてない」

「あら礼ちゃん、知らなかったの? さっき店長さんが呼びかけてたじゃない」

 けらけらと笑って商品整理に戻って行ったこのおばちゃんは、同じマンションの下の階に住む長谷川さん。近所だし、よくおすそ分けを貰ったりしている。やっぱり私は主婦なのだろうか。

 帰宅後、自宅から100mほどの近所のスーパーに来ている。今日は4時限だったから、いつも学校帰りに制服のまま向かうスーパーも今日は家に戻り私服で来た。何たって今日はタイムセールだってあるのだ。

 主婦の海に揉まれながらなんとか卵と肉、それから切らしていたみりんと醤油、その他諸々野菜を買ってスーパーを出る。今日も疲れた。

「あ、篠原くん」

 食糧の詰まった袋を持ってスーパーを出ると、駐輪場に隣の席の彼がいた。見慣れた細長い長身に茶髪。スーパーが最高に似合わない男だ。そんな彼は私が手に提げている食糧を見て呆れるように言う。

「出たよ主婦。タイムセール狙ってこの時間に来たんだろ」

「悪いの」

 遥くんは私に飲み物をおごってくれた。どちらから言いだすでもなく、スーパーの向こうにある公園のベンチに向かう。

「……遥くんって私服、普通なのね」

「は?」

「茶髪だし制服着崩してるから、こう、もっと……チャラチャラしてるのかと」

 遥くんの私服は白地のロゴプリントのTシャツに黒いパーカー、紺色のジーンズとシンプルな格好をしている。そんな彼はオレンジジュースを飲み干すと、私を見てからがっかりしたような変な顔をした。

「何で皆そう言うんだ、俺が何したって言うんだ。俺別にヤンキーとかそういうんじゃねぇし。つか茶髪は生まれつきだし。母ちゃん譲りなの。染めてねぇし。大体染めてたらさ、生え際黒くなって分かんだろ。俺な、こう見えて結構繊細なの。気にしてんの、そういうの」

「分かった、繊細なのね。ふぅん」

「そう言うお前は割と女らしくしてんのな」

 そう言われて私は自分の服に目を落とす。白いリボンが胸についたグレーのフリルのチュ二ックと、ジーンズ生地のショートパンツ、あとクリーム色のカーディガン。

「適当に安いの買ってるだけだし……」

「そんなんじゃ彼氏に振られるぜ?」

「誰それ」

 友達すらも僅かしかいない私に、まして恋人などできるものか。烏龍茶を一口飲んでそう言うと、遥くんは目を見開いた。

「え、お前彼氏いるんじゃなかったの?」

「何度も言うようだけど、誰それ」

「随分と年上の彼氏、大学生くらいの」

「いないよそんなの……まして大学生とか、ないでしょ」

「え、じゃあれ誰だよ。あの写真の男」


 ……え?

 まさかこの人、お父さんのこと彼氏だって勘違いしてる?


「……あの、なんか色々勘違いしてるみたいだけど。あれはお父さんだから」

「は!? 嘘だろ、だってすっげー若かった…」

「私が生まれた直後に病気で亡くなったの。24歳だった」

「じゃあ、裏に書いてあったあの、愛してるだとか」

「もうすぐ死んじゃうって分かってたから、私にって」

「……マジ?」

「何が。嘘ついてないし、写真の人は彼氏なんかじゃなくてお父さんです」

 遥くんはしばらく眉間に皺を寄せつつ、目を見開いていた。要は驚いた顔を固定していた。そして数秒が経ち、遥くんは深い溜め息をついた。

「うぁ――…、何だよ。色々考えてた俺がバカみてぇじゃん」

「色々って……何をそんなに思考回路を張り巡らせてたの。やらしい」

「それどういう意味だよ。俺別にそういう事考えてないし」

 微かに赤面して否定する遥くんに、私は呆れる。そんな分かりやすい反応しなくたって。この人が何だかんだ言って繊細なのはそろそろ分かってきた。不良と言われる事を気にしてるし、いちいち焦ったり顔を赤くしたり、なんか見た目に似合わず純情。この人は何なのだろう。

 それとは対照的に、岸谷薗香は外見は大人しそうだけど中身は結構手強いと思った。職員室に殴り込みもどきなんてするわ、私を振り回すわで。見た目のいかつい遥くんを怖がりもしない。恥ずかしい事も平気で言ってのけるし。


 というか、あの女は何なの。

 何でしつこく私に付きまとうの?


 自問自答しても仕方ない。

 今日はゲットした戦利品である細切れと、切らして買った醤油とみりんとで肉じゃがを作ろう。簡単だし何日か持つし、弁当に入れられるし楽。煮込んでりゃできる、あんなもん。確か芋と人参と玉ねぎはまだあったはず。


 取り合えず高校生になっていた私は、多分そこそこ平凡に生きていた。

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