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無重力高校生。  作者: メイ
日常編
20/25

何より大事だったもの

 先生はきっと私の味方になってくれている。


 それはきっと嘘じゃないと思うし、人の良心をいつも疑う私でも相楽先生はいい先生なのは分かる。だけど私は正直に先生を、100%信用できなかった。だって、まだ会っていくばもない人だ。遥くんだって友達だとは思うけど、だけど…

 助けてもらったのにそんなことを思ってしまう私は、きっと異常な程の疑心暗鬼になっているのだろう。

「あ、ちょっとレイ! あんた昨日病院に運ばれたってほんと? 大丈夫?」

 朝。教室に向かう途中の廊下を歩く私を見つけ、梨華は心配そうな面持ちで駆け寄って来た。低血圧なぼーっとした頭に、梨華の高い声が飛び込んでくる。

「大丈夫でなかったら学校に来ないでしょ。私は平気だよ」

「またそんな言い方する……あんま心配掛けないでよね。斉藤とかいう奴に殴られたので、頭やられた? 異常なかったの?」

「だから大丈夫だって。CT検査の結果も問題無かったし。それから私は病院に運ばれたんじゃない、連れて行ってもらったの」

「どっちでもいいから! とにかく大丈夫なのね、よかったー。もう、顔もそんな怪我しちゃって。昨日も言ったけど、あたしまだちょっと怒ってんだからね」

「……あんた昨日、今回は弁当で許すって」

「あれもほんとだけど、ちょっとは根に持ってんのー」

 訳が分からない。どっちなんだ。溜め息が出そうになるけれど、毎回こうして心配を掛けているのでどうにもできずに私は素直に謝った。

 梨華は目を丸くして私を見て、にかっと笑った。

「ふふ、頭上がんないんでしょ。わかってるもんねー」

 ごもっとも。仰る通りですよ、相原さん。


 教室に入ると、席に着く前に岸谷薗香がこちらに向かってきた。何だ何だ朝から。

「瀬村さんやっと来た! 昨日病院行ったんだよね、どうだった?」

 どうもしないよ。

「CT検査の結果も異常なかったし、問題ないよ」

 この台詞、何回言えばいいんだろう。相楽先生にも言って梨華にも言って。岸谷薗香、あんたもか。

「ならよかったー、瀬村さん、いっつも来るの早いのに今日は遅いんだもん。休みかと思って心配したよ」

 昨日ご飯を食べた後も広子さんに寝てろって言われて、ベッドでゴロゴロしてたらそのまま寝ちゃっただけ。それで朝風呂に入ったから遅くなっただけだ。

「あ、あたし相楽先生に呼ばれてんだった。じゃあね!」

 私が突っ立ってる間に、岸谷薗香は勝手に近付き勝手に去って行った。嵐ってか、台風みたいに。朝から騒々しい。絆創膏に収まり切らずに端からはみ出た傷に触れる。ざらついた感触が指に残った。足早に教室に入って一旦鞄を机の上に置き、席に着くと教科書を机の中に入れ――ようとしたら、何かに当たって教科書が入らない。何か入ってる……何だ。果たし状の次はからすの死体か、時限爆弾か。何かと思って取り出すと、それは昨日遥くんに間接的に渡した弁当箱だった。ちゃんと綺麗に洗ってある……弁当箱の蓋にセロテープでノートの切れ端らしきメモが折り畳んで貼ってあった。気になって、思わず教科書そっちのけでメモを開けた。


 うまかった。そう書いてあった。筆圧の濃い角ばった小さな字で。

 思わず隣の席にいる篠原くんを見た。彼は机に突っ伏して居眠りをしている。

「篠原、くん」

 そうぼそっと小さく呼ぶと、篠原くんはぴくっと反応した後に低く唸った。

「…………んー」

「……ありがとう」

「………………ん」

 短過ぎるやりとりは終わる。照れているのか、彼はしばらく私の方に顔を向けなかった。

 少しの間だけ、彼のそのだるそうな姿をしばらく見つめていた。長身の大きな体を丸めるようにして、腕を枕にして寝ている。その大きな背中や長い脚、跳ね放題で適当に伸びた茶髪。寝癖なんだろうけど、顔とスタイルがいいと寝癖さえも自然に見えるなぁ、と思う。

 胸に何かよくわからない、複雑な感情が芽生えた気がしたけれど、覚えのないものだった。弁当箱を鞄に入れると、私も机に突っ伏して目を閉じた。


 ホームルーム、そして1時間目の授業が流れるように終わる。相楽先生は1時間目の数学担当だから、今日は朝からずっと教室にいる。

「おお、瀬村。元気になったか」

 暇なので教室を出ようとしたら、教卓の前で何やら書いていた先生が顔を上げて私に声を掛けた。

「おかげさまで……先生。少し聞きたい事が」

「ん、何だ」

「一昨日のあの後、先生学校にいたんですよね。それでその……落とし物、なかったですか? 私、生徒手帳を無くしたんですけど」

「生徒手帳? 俺は落とし物係じゃないからなぁ……担当の先生に確認取っておくよ」

「お願いします」

「分かった。後で言ってくるから」

 届いていればいい。例え無残な姿でも、もしかしたら無事かもしれないのだから。

 だけど昼休み、昼食後に再度会った先生から告げられたのは期待外れの言葉だった。

「すまんな、生徒手帳の落とし物は届いてないんだと」


 ……やっぱり、そうだよね。


 届いてる訳ないか…自分でも驚く程落胆する。僅かな可能性に期待したのだ。すごく。あるのかもしれない、と。

 そんな小さな可能性さえも断ち切られてしまうなんて。

「そんなに残念だったか?」

「……いえ。ありがとうございました」

 もう自力で探すしかない。

 幸い部活動が始まるのは5月中旬からだ。放課後の校庭はほぼ無人。今日の放課後もう1度探そう。だって諦め切れない。どうしても、取り戻したいのだ。


 放課後、大体の生徒が帰るまでしばらく教室で待った。篠原くんとあの鳥飼とかいう男は、何だか相楽先生に雑用を押し付けられたらしくしばらく教室で何か作業をしていたけど、途中から職員室へ行ったので教室は無人になった。そうしてしばらくした後に、私は鞄を持って帰るような素振りで校庭の奥へと走って行った。


 さて、と。


 鞄を倉庫の近くに置いておいて、セーラー服の袖を肘まで捲り上げる。髪を1つに束ねると、早速生徒手帳を探し始めた。校庭はぐるっと見渡してもないのが分かったから、倉庫の中や裏の土手の草むらの中などを、形振り構わずに探し回った。汗が額に滲む。草で浅く切れたような傷が脚に増えていく。いつの間にか制服のスカートは砂塗れで白っぽくなっている。靴下やローファーも砂だらけで、手なんか砂漠みたいだ。きつく縛ったはずの髪はだんだんと落ちてきて、かなり粗末な格好になっていることだろう。

 もう何分経っただろう? とっくに息が切れていた。


 見つからない。


 水溜りにぶん投げた私の生徒手帳を、斉藤が回収するとは思えない。理由もなければメリットだってない。落とし物としても届いていない。どうなっているんだろう。不合理だ。

 苛立ちが募る一方だった。すると突然立ちくらみがして、私は倉庫の陰に屈んだ。疲れているんだろうか。昼食をそんなに多く食べていないから、軽い貧血だ。


 もう、諦めるしか、ないんだろうか。


「……何してんの?」


 頭上からの声に顔を上げるとそこには篠原くんがいた。鞄を背中から肩に引っ掛けて持っている。今から帰るのだろう。

「お前、砂塗れじゃん。何してたんだよ。こんなとこで」

「……探し物、してて」

「探し物? 何を」

「生徒、手帳」

「生徒手帳?」

 遥くんは「何でそんなもの、」と言うように怪訝そうな顔をした。

 そりゃ、生徒手帳なんてほとんど使うようなものじゃない。3年間どっかに置きっ放しの人もいるだろう。


 けど、それでも。


「大事なものなの、すごく…」


 唇をきつく噛むと、俯いた。砂で汚れたスカートをぎゅっと握り締める。いつの間にか、自分の声が随分とか細くなっている事に気付く。こんな校庭の隅の倉庫の近くで膝を付いて俯く自分が嫌になった。

 大事なものだったのに。あの時、どうにかして生徒手帳を取り返していたら。スカートのポケットの中に入れないようにしていたら。そうしたら、無くならなかったかもしれない。だけど、後悔したってもう遅い。

 だから要するに、悔しくて、悲しいのだ。

 大事なものが見つからない。こんなに歯痒いものはない。


「なぁ、その探し物ってほんとに生徒手帳?」

 頭上から降る言葉に疑問を感じた。私は目を見開いて、遥くんを見上げた。長身の彼の前に私が座り込んでいるせいで、首が痛くなりそうだ。

「……どういう意味」

 遥くんは「あー、なんつーんだろ、だからさ、」とうまく言葉をまとめられずにいる。顔をしかめながら頭を掻くと、次の言葉を口にしたのだった。


「だから、その探し物ってさ、生徒手帳じゃないんじゃねーの?」


 どうして、そんなことを言うの。


「……お前の探し物ってこれ?」


 遥くんは、背中の鞄からごそごそと中身を漁る。そして1枚の紙らしきものを取り出して、私の目の前に突き出した。


 え。

 それ、

 わたしが、ずっと、さがしてた……


 私はその紙らしきものに飛び付くようにして、それを取ってよく見た。確かに私が探していたものだ。どうして彼がそれを持っているのだ。

「誤解すんなよ。俺が盗んだとかじゃなくて……お前が落としたから、俺が拾ったんだよ。あの、お前が果たし状捨ててた、あん時。ポッケの生徒手帳に挟まれてたの、落ちたんだよ。返すタイミング見失って」

 段々と声が遠くなる。視界がどんどん白く滲んでいって。熱いものが眼球の奥から零れた。砂が乾いたスカートが、温かい液体で濡れる。

 その紙を胸に抱き締めて涙を流した。


「……ありがとう、ほんとに、ありがとう…っ…」


 やっと見つかった。私の大事なもの。


 篠原くんは珍しく狼狽えているようだったけれど、私はそんな彼とは裏腹に心から安堵していた。何も言わずにただ、声を押し殺して俯いて泣いた。今はただ、涙を流すことしかできなかった。

「ちょ、俺が泣かせたみたいじゃん……ごめんって、ごめん。許してくれよ、な?」

 遥くんは屈んで私と目線を合わせると、私に皺だらけの青いハンカチを差し出した。私は涙が伝ったままの顔を上げて、篠原くんの焦ったような顔とハンカチを交互に見る。そして篠原くんの顔をじっと見つめた後に、それを受け取った。


 やっと見つけた。

 私はそれをまたそっと抱き締めた。



 何よりも大事な、この写真を。

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