レオン・シュヴァルツ
■選ばれた者は、なぜか笑っていた
新たな勇者が選ばれたという知らせを受け、
私は東の剣技都市フィルムへ向かった。
勇者の名は――
レオン・シュヴァルツ、二十歳。
剣技大会の常勝者であり、軍学校首席。
魔法適性も高く、精神強度も申し分ない。
いわば、“物語の主役に相応しい”青年だ。
神託の瞬間、レオンは周囲の騒ぎに取り囲まれながらも、
なぜか笑っていた。
「ついに来たか。やるしかねぇよな」
英雄の器は、心のどこかでそれを予期しているものなのだろう。
私は高台の屋根からその様子を眺め、記録帳に書き記す。
“第三代勇者レオン、実力値極めて高。魔王攻略可能と推測。”
この時点で、私は彼の旅が長く続かないとは
まだ思っていなかった。
■才気
レオンの旅は、驚くほど順調だった。
二日目には盗賊のアジトを壊滅し、
三日目には山賊団の頭領を一撃で叩き伏せ、
一週間後には、討伐難度Aの魔獣を単独で仕留めた。
剣を振るう腕はしなる鋼のようで、
魔法は短い詠唱で正確に放たれた。
旅路のどこでも、彼は英雄と称えられた。
街の者は歓迎し、子供たちは憧れ、
旅芸人は“王に最も近い勇者”と歌にした。
レオンはそれを嫌がらず、気さくに応じた。
「ま、やれることやるだけだしな」
あの軽さは自信から来るのか、
あるいはもっと別の感情なのか。
私は距離を保ちつつ、その瞳の奥を観察し続けた。
そこに強い光はあるが――
なぜだろう。
どこか、冷たい影がつきまとう。
■揺らぎ
どれほど強くとも、人は揺らぐ。
レオンがそれを見せたのは、旅の二ヶ月目。
ある夜、焚き火もない野営地で、彼は一人佇んでいた。
私は森の奥からその姿を観察する。
月明かりに照らされたレオンは、疲れた表情をしていた。
戦士ではなく、ただの若者の顔。
彼はぽつりと呟いた。
「……はぁ。俺、こんな人生望んでたっけ」
その言葉に私は筆を止めた。
英雄の影には、必ず“期待”がついて回る。
家族、街、神託、そして世界。
レオンはそれに応える力を持っていた。
だが――
望んでいたかどうかとは、話が違う。
この夜を境に、彼の記録にはある共通点が見られるようになる。
“戦闘時、明らかに手を抜いている場面あり。”
“街の歓声に笑顔を返さず、沈黙多し。”
“目の焦点が合わないことがある。”
才気の陰は、思った以上に深かった。
■剣を置く時
転機は突然訪れた。
王国北端の砦を魔物の大軍が襲撃した夜。
レオンは砦守備隊と共に戦い、圧倒的な強さで軍勢を押し返した。
その動きは完璧で、まさに“勇者”の名に相応しかった。
だが戦闘後――
彼は血の付いた剣を見つめ、ぽつりと呟いた。
「もう……いいよな」
周囲は気づかない。
だが私は気づいた。
その声は、戦士の言葉ではなかった。
翌朝、レオンは王の元へ戻らなかった。
魔王城へ向かう隊にも参加しなかった。
代わりに彼が向かった先は、
どこの地図にも載らない、小さな高原の村。
■勇者であることを辞めた日
村に着いたレオンは、背負っていた勇者の証――
刻印入りのマントを丁寧に畳み、村の祠に置いた。
「俺、戦うの嫌いなんだよ」
彼は誰に言うでもなく呟いた。
「剣持ってると、みんな“倒してくれ”って顔するし。
勇者に選ばれたら、もう人生決められるし。
……そんなの嫌なんだよ」
彼はそのまま祠に背を向けた。
肩の荷物は少なく、剣も置いてきた。
ただひとりの青年として、草原を歩き出す。
その表情は、旅の初日よりも穏やかで、
魔獣を倒したどの瞬間よりも幸せそうだった。
私は丘の影からその姿を見つめ、記録に書く。
“レオン・シュヴァルツ、勇者の道を自ら放棄。
理由:『望んだ人生ではないため』。
旅の結末:生存。
勇者としての役目は未達。”
死でも、裏切りでもなく。
ただ『辞める』という選択。
これは歴代勇者の記録においても極めて珍しい例だった。
■その後
レオンは祭壇を離れた。
背に受けるはずだった祝福の光は降りてこない。
神殿の奥で、巫女たちのざわめきだけが薄く響いた。
「俺は、ただの村人に戻るだけだ」
そうつぶやいた時、リンデルは丘の上からその姿を見下ろしていた。
距離は遠い。声は届かない。
それでもレオンの肩が震えているのはわかった。
彼は森の小径へと歩み、そして夕陽が差し込む谷へ抜けようとした。
……突然、風が止んだ。
季節外れの冷気がひと筋、地を舐める。
枝葉がざわめきを忘れ、鳥たちの声が消えた。
世界が「瞬き」を忘れたかのように静寂に閉ざされる。
レオンは足を止めて天を仰いだ。
ゆっくりと、何かを思い出すように。
その表情には、恐怖ではなく「悟り」に近い色が浮かんでいた。
「……そうか。そういう……ことか」
言葉の続きを、風がさらっていった。
次の瞬間、光が彼を包んだ。
だがそれは救いの光ではなく、祈りを受けた者が浴びる祝福でもない。
柔らかいのに厳しく、温かいのにどこか冷たい、不思議な光だった。
リンデルの長い人生で、それはただ一度も“良い兆し”として現れたことはない光。
谷の向こうで、レオンの影がゆっくりと崩れた。
まるで深い眠りへ落ちるように、抵抗も苦悶もなく。
音もなく。跡もなく。
ただ、ひとつだけ確かなのは、彼の旅が終わったという事実。
リンデルは記録を書き記す。
「第三代目勇者レオン、使命に背き、ここに旅途を閉じる」と。
しかしそこに“理由”を書くことはない。誰も知る必要のない、誰も口にしてはならぬ領域のことだからだ。
丘の上で小さくつぶやく。
「――どうか、次の者には……あの光が降りませんように」
そして男はまた、次の勇者の誕生を待つため、ゆっくりと森の奥へ歩き出した。




