リンデル・フェイラン
私の名はリンデル・フェイラン。
ハーフエルフとして生きる私は百六十年と少しの時を越えてきた。
人々は「長命の種族は冷たい」と言うが、それは正しくもあり、間違いでもある。
長く生きる者ほど“別れ”を知る。感情を丁寧に抱えていては身が持たないから、冷静に見えるだけだ。
だが唯一、私の心を波立たせる存在がいる。
――勇者である。
私は勇者の旅路を記録し続ける役目を負っている。
魔王という災厄が世界を攫いかねない以上、勇者は代々生まれ、そして必ず死ぬ。
勇者の物語とは、始まりと終わりを見届けることだ。
そして今回は、ある男――レオン・グラディスの記録を書き残しておく。
■勇者任命の日
その日、村の鍛冶場では鉄を打つ音が響いていた。
レオンは真っ赤な鉄片を槌で叩きながら、額の汗を拭った。
「今日の仕上げはこれで最後だな。父ちゃん、メシにしねぇか?」
その何気ない日常は、突然訪れた眩い光によって破られた。
鍛冶場の天井を貫くように、金色の光柱が降り注ぎ、レオンの体を包む。
父親は鍛槌を落とし、村人たちは悲鳴を上げて逃げ惑った。
光の中でレオンだけが動けずにいた。
“選ばれし勇者レオン・グラディスよ”
その声は、天から直接心に届くように響いた。
彼の唇が震え、声にならない息が漏れる。
“世界の命運、そなたに託す。勇者として旅立ち、魔王を討て”
光が消えた瞬間、村の空気は凍りついた。
レオンは呆然と立ち尽くし、父親が恐る恐る近寄って言う。
「レ、レオン……お前……勇者に、選ばれちまったのか……?」
その一言が、彼の人生の“日常”を終わらせた。
レオンは何度も呟いた。
「冗談だろ……? 俺が……?」
だが神託は覆らない。
彼はたった一晩で勇者の装束を与えられ、村は突然の英雄誕生を祝う宴を開いた。
その夜、レオンは村の外れの草原で一人、ため息をついていた。
「なんで俺なんだよ……。もっとすげえやつがいただろ……」
彼は弱音を吐きながら、誰にも聞こえないように、こぼした。
「……死にたくねぇよ……」
■リンデルとの出会い
レオンが旅立つ朝。
彼が村を出て間もない森の小道で、私は彼を待っていた。
「初めまして、レオン・グラディス。私はリンデル。勇者の旅路を記録する者だ」
レオンは眉をひそめた。
「記録……? 何だそりゃ。ついてくんのか?」
「ええ。あなたの戦いも、生も死も、すべて」
「……気味悪いことサラッと言うな、お前」
私は肩をすくめた。
「人生は短い。勇者は特に。私はそれを記録して後世に残す」
「俺が死ぬのを前提に言うなよ……」
私はその時、レオンの歯切れの悪い言い方から
“彼は本当は怯えている”と理解した。
だから語りかけた。
「恐れるのは、良いことだ。恐怖を自覚する者は、生き延びられる」
レオンは目を丸くした。
「……お前、意外と優しいじゃねえか」
「優しくはない。合理的なだけだ」
「素直じゃねぇな、おっさん」
「私は百六十年生きている。おっさんではない」
「……おっさんだろ」
初日からこの調子だった。
記録者と勇者としてではなく、奇妙な旅の相棒のように。
この時すでに、私は規律を守れていなかったのかもしれない。
■旅路と変化
数ヶ月の旅路。
レオンは決して天才ではなかったが、着実に強くなっていった。
盗賊との戦いで仲間を守り、
巨大蜘蛛の巣から子供を助け、
霧の森で魔物に胸を貫かれながらも私の腕を掴み、こう言った。
「死なねえよ。俺は……まだやることがある」
彼は折れなかった。
ときどき私の記録帳を覗き込み、
「俺の扱いが地味すぎね? もっと勇者っぽく書いとけよ」
と文句をつけるのも日課になっていた。
――いつしか私は、彼に生きて帰ってほしいと願っていた。
⸻
■決戦
魔王城の最奥。
レオンの息は荒く、血は止まらず、剣は欠けていた。
それでも彼は笑った。
「リンデル……見てろよ。俺、絶対……倒すから」
魔王は不気味なほど静かに立っていた。
空気を凍らせるような魔力。
レオンは全身の力を振り絞り、剣を構えた。
戦いは長くはなかった。
レオンは魔王の一撃で膝をついたが――それでも立った。
剣が砕けても、拳で殴りかかった。
「もう誰も……泣かせねぇ!」
最後の瞬間、レオンは折れた剣の柄を魔王の胸へ突き立てた。
魔王が崩れ落ち、世界に静寂が戻る。
レオンは壁にもたれ、胸から大量の血を流していた。
私は駆け寄った。
記録者として禁忌だと分かっていても、止められなかった。
「レオン、圧迫する。まだ――」
「やめろよ、リンデル……お前、そういう顔すんなよ……」
レオンは微笑んだ。
旅路の中で何度も見てきた、少し照れた笑い方だった。
「なあ……俺、ちゃんと勇者だったか?」
私は喉が詰まり、すぐに言葉を返せなかった。
長命の種族である私が、こんな感情を覚えるとは思っていなかった。
「……ああ。世界に二度と現れないほどの、勇者だった」
レオンはゆっくりと目を細めた。
「そっか……なら……良かった。俺、やっと胸張って……父ちゃんに会えるわ……」
手が弱々しく、私の袖を掴む。
「リンデル……お前がいて、良かった。俺、一人じゃここまで来れなかった」
「私は何もしていない。記録していただけだ」
「嘘つけ……。お前が横にいたから……俺、怖くなかったんだよ」
その言葉は――私が百六十年で初めて受けた、
“感謝”だった。
「なあ……頼みがある」
「なんだ」
「俺のこと……ちゃんと、書いといてくれよ……。
俺のことを……誰かが……読んで……そしたら……」
呼吸が途切れそうになる。
「……俺は……まだ、生きて……いられる……だろ……?」
私は頷くしかできなかった。
「約束する、レオン。君は私の記録の中で、生き続ける」
レオンは、安心したように目を閉じた。
そして――そのまま動かなかった。
私は記録帳を開いたが、文字が滲んで書けなかった。
涙を流したのは、百年ぶりのことだった。
■後日談
レオンの名は国中に広まり、英雄として語られた。
だが私は知っている。
彼は特別な血筋でも、天才でもない。
ただ、怯えながらも前に進み続けた、
どこにでもいそうな青年だった。
――だからこそ、勇者になれたのだ。
今日も私は記録帳を開く。
勇者レオン・グラディス。
彼は確かに生き、戦い、笑い、そして世界を救った。
そして明日もまた、新たな勇者を見送らねばならない。
私の旅は、終わらない。




