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第5話

 和は一瞬躊躇った。

「嫌じゃなければ」

「嫌じゃないよ」

 嫌じゃない。けれど、大丈夫だろうかと不安が過り即答できなかった。

 鳴海に誘われて素直に嬉しかった。こんな気持ちが自分にあったんだと気付くくらいに。

 男性とは、あの日から大地か父親としか出掛けたことがない。

 二人であれば自分の事情を知ってくれているし、仮に何かの拍子にパニックを起こしたとしても助けてくれる。もし、鳴海と出掛けたときにパニックになったら、迷惑をかけてしまうだろう。

 だからと言って、自分の事情を鳴海に伝えることも気が引けてしまう。気を遣わせたくないという気持ちが一番だけれど、それ以外にも鳴海には純粋な気持ちで『笹原和』という人間を見て欲しいという思いがあった。

 断ろうか。もう少し、自分に自信が持てるまで。

 でも、こうやって怖気づいてしまうから、いつまでも変われないし、大地を縛り付けてしまっているのではないか。

 ……これは、新しい一歩になるだろうか。

「私で、よければ」

 そう答えることで、何かが変わるんじゃないか。そう、願いながら和は頷いた。


 鳴海と約束した日曜日の昼下がり。

 洋服を選ぶだけで三十分以上かかってしまった。待ち合わせは十四時。まだ時間はあるが、早めに準備を始めてよかった、と今度は髪型を整えるために立てこもっている洗面所で和は苦く笑う。下ろすべきか、結ぶべきか。もう何分悩んでいるだろう。

 いつもはどこか行くとき、こんなに悩まないのにな……。

「お母さん。髪、結んだほうがいい? それとも、下ろしたほうがいい?」

 どうかな、と洗面所の前を通りがかったお母さんを捕まえた。

 お母さんは少しだけ身を引いて、白いブラウスに黒色のジャンパースカート姿の和を頭の先から爪先まで見る。

「どこ行くの?」

「カフェ……どんな雰囲気かは分からないけど」

 クローゼットの中から派手すぎず、かといってかしこまりすぎていない、程よくカジュアルなものを選んだつもりだ。

 お母さんは「うーん」と顎に手をやって、

「お母さんだったら結ぶかな。ポニーテールとか三つ編みが可愛いんじゃない?」

 と和に言った。

「ありがとう。じゃあ、ポニーテールにする」

 柔らかな生地にピンクと紫のカラーが滲むシュシュで髪を結った。鏡で念入りにチェックする和のシュシュを、お母さんは「それ、紫陽花みたいで綺麗ね」と褒めた。

「今日、夕方から雨降るかもしれないみたいだから、一応折り畳み傘持って行きなさいよ」

「うん、ありがとう」

「大地くん、何時にお迎えに来るの?」

「え?」

 大地の名前が出て、和はきょとんとした。

「今日、大地くんと出掛けるんでしょ?」

 あ、と和は目を泳がせる。そうだ。昨晩、出掛けると伝えたときに咄嗟に「大地と」と言ってしまったことを思い出した。家族の知らない男性と出掛けることを言い出せなかった。不安にさせてしまうと思ったから。「そう、大地」と和は手を叩いた。

「今日は、現地集合!」

「隣の家なのに? 一緒に行きなさいよ」

 お母さんは豪快に笑った。ごもっともな意見だ。けれど、本当は大地とではないのだから仕方がない。

 和は心の中で、お母さんに嘘をついてしまったことと、その嘘に名前を使ってしまった大地に対して謝った。

「大地くんに、今日もよろしくねって伝えておいて」

 洗面所から離れていくお母さんに、和は「うん」と小さく和は頷いた。「今日もよろしくね」が頭の中で繰り返される。いつも、お母さんが大地に掛ける言葉だ。曇った自分の顔が鏡に映っている。早く、お母さんが大地にそう言わなくても良い日が、来て欲しい。和は自分の胸元を強く握り込んだ。

 ねっとりと汗ばんだあの手の感触が腕から広がってくる気がして、和は頭を大きく振った。


 待ち合わせをしているカフェの前、スマートフォンを見ながら立つ鳴海の姿が見えた。

 駆け寄ろうとして、和は一度立ち止まる。そして首にかけていた防犯ブザーをバッグの中に押し込んだ。せっかく勇気を出してここまで来たんだ。これを着けている自分で鳴海の前に立ちたくなかった。

 微かに震えてしまう手を後ろに隠して、和は鳴海に声を掛けた。

「藤原くん、お待たせ」

「おはよう。遠くなかった? ここまで」

「ううん、全然」

「それなら良かった」

 鳴海はスマートフォンを黒のスラックスのポケットに仕舞う。上は、白のインナーに淡いブルーの薄いシャツを羽織っていた。いつも会うときは水泳部のジャージを着ているから、私服姿が新鮮だった。

「……じゃ、入ろっか」

 鳴海が中を指差した。

「うん」

 シックな木の扉。その横の壁には『プラネテス』と書かれたプレートがあった。このお店の名前なのだろう。

「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

 大学生くらいの女性スタッフに出迎えられ、和たちは店の奥へと足を進めた。

「ここでいい?」

 店内の一番奥の席を鳴海が差す。和は頷いた。あまり人目に触れそうにない席で、落ち着けそうだと胸を撫で下ろす。コントロールできない感情の波と、初めて入るカフェという場所のせいで心臓が忙しない。この席なら、それもすぐに落ち着かせられそうだった。

「藤原くんは、ここ、来たことあるの?」

 二人用の席。和と鳴海はそれぞれ向かい合って座る。

「いや、初めて来た」

「そうなんだ。おしゃれなお店だね」

 和は店内を見回した。天井にはドライフラワーのシャンデリアが吊り下げられている。ドライフラワーの中に照明が入っていて、淡い光が幻想的に広がっていた。

「お店、調べてくれてありがとう」

「姉ちゃんが、彼氏とのデートで来て、すげぇ良かったって言ってて」

 ぽつりと話し出した鳴海だったが、「それで……」と言葉を詰まらせた。視線を落とし、きゅっと引き結ばれた唇に、和は首を傾げる。

「やっぱり、なんでもない」

 パッと鳴海は話題を切った。

「え? どうして?」

「いや、別に、笹原さんが聞いても面白い話じゃないから」

「そうなの?」

「そうなの」

「早くメニュー決めよ」と目の前にメニュー表が開かれる。この話題はこれで完全に終了らしい。「そう言われると余計に気になるけど」という言葉は飲み込んで、和もメニュー表に視線を落とした。しつこくして、嫌な気持ちにさせてしまったらいけない。

「なに頼もうかな」

 呟きながら、和はメニュー写真を眺める。昼食は家で食べてきてしまったし。だからと言って、飲み物だけでは物足りないような、勿体ないような気がする。

「藤原くん、決まった? ごめんね、遅くて」

 和が視線を上げて鳴海を見る。そこには食い入るようにメニュー表を見ている鳴海の姿があって、和は目を丸くした。

「ごめん、俺のほうこそ優柔不断」

 どれも美味(うま)そうで困る、と天井を仰ぐ鳴海が意外だった。パッと荷物を運んでいってしまうイメージが強いからだろうか。話口調もサッパリしている印象があって、なんでもササッと決めて行動してしまうタイプの人だと思っていた。

「美味しそうだよね、どれも。私も迷っちゃう」

 胸の奥に張っていた糸が、ふっと緩んだ。

「悔いないように選ぼう」

 その言葉に鳴海が笑って頷いてくれたことが、なんだかとても嬉しかった。

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