第9話 インゲルの町 3
「……え? ユカリノ様が大人?」
オーリは意味がわからないといった顔で、横に立つ人を見上げた。
確かに自分よりは年上だが、その顔だちも体つきも、十三、四歳の子どもにしか見えない。
オーリはほとんど人と交わらずに暮らしてきたが、それでもたまには衛士の子どもたちと喧嘩したり、世話人の家族に遠巻きに見られたりしたことはあったのだ。
大人と子どもが、どんな風に違うのかくらいはわかっている。
「えっと、大人……」
オーリは馬鹿のように繰り返し、その様子を見たユカリノが、唇の片端を吊り上げる。
「まぁ、大人の定義がどんなものかは知らないけど、私はこう見えて十八歳だ。この大陸の年齢的には大人だろう?」
この大陸、エストア。
大小たくさんの町や街、市で構成されており、南北に長いほぼ菱形の大陸だ。
数百年前から人口が爆発的に増えて、かつての支配者を滅ぼし、領土を奪い合う戦乱が各地で絶え間なく起きた。このインゲルの周辺でも大きな戦が続いたという。
しかし、いつの頃からか、民を導く指導者たちが出現し、国ではなく、都市や地方単位で自治を行うようになっていった。
以来、指導者の一団は統治をせず、秩序の管理を行なっている。
その組織を「神聖セルヴァンテ」と人々は呼ぶようになった。以来、エストア大陸では平和な年月が流れている。
少なくとも表面的には。
各都市は自治を謳歌し、それぞれの地区から選出された委員たちが、町の法や治安をを守る。
そしてほとんどの都市で、成年として認められるのは十八歳からだった。
ユカリノ様が十八歳?
絶対にそうは見えない。
背だって、歳のわりに大柄なオーリより頭ひとつ高いだけだし、少女特有の線の細さもある。声も高い。いくら化け物相手に強くて、落ち着いた様子をしていても、ユカリノの姿は子どもだ。
むしろ、少し風変わりな容貌のせいで、更に幼く見えるくらいである。
「ヤマトの民ってのは、もともと童顔なんだよ」
説明を始めたのはイニチャだ。
「この国じゃ、ヤマトってな、悪霊を払う退魔師みたいな仕事の総称だが、元々は民族の名称なんだ。わかるかな? 坊主」
「うん」
そのことは昨日ユカリノ自身から聞いた。
「そうか。でもそれだけじゃない。この大陸で悪霊……ケガレってやつな、を祓えるのはヤマトの民だけだが、その数は多くない。だから、セルヴァンテの偉い奴らがヤマトを保護し、《《健康管理》》しているんだ」
神聖セルヴァンテには、この大陸全体に小殿という出張所がある。正殿と言われる、大本部は、大陸北東にある聖都セルヴァの街にあるらしい。
ちなみに、インゲルの町における小殿はここ、役場の片隅の小部屋である。つまり、イニチャもセルヴァンテの小役人なのである。
「健康管理だって!?」
聞いたことのない言葉だった。
「もういい、イニチャ。子どもを煽るな」
だが、ユカリノの受け止め方は冷淡だ。
「健康管理なんて、体のいいお役所言葉だ。私はセルヴァンテに、成長を抑える薬を定期的に飲まされている。ただでさえ少ないヤマトを、できるだけ減らさないように」
「薬? なぜ?」
「成長すれば体が重くなり、更に老いれば、怪我や病気で戦いにくく、死にやすくなるからだろう」
ユカリノの言葉は平坦だ。
「ひどい! 危険なことをさせるために大人にさせないなんて!」
「へぇ。お前みたいな小僧でも、このくらいの理屈はわかるんだな」
イニチャが感心したように言った。
「もういい。とにかく、この子の居場所だ。あと、今月の物資と金の支給が遅れている。今日はそれを聞きにきた」
「ああ、すまない。とにかくこの頃――というか、ここ数年、街道筋や森、そしてあろうことか北の街中でもケガレの出現があって、多分それでセルヴァからの物資が遅れている。だが、この一両日中には着くと思う」
イニチャは伝票をめくりながら言った。
「頼む。こっちは死活問題だ」
「わかった、着いたらすぐに知らせる」
「では」
ユカリノはするりと踵を返したので、オーリはその跡を追った。
「おっと、坊主、お前はついていけないよ」
「嫌だ! 僕はユカリノ様と一緒にいる」
「オーリ。聞き分けなさい。言ったろう? 私の仕事──ヤマトは、常に危険と一緒だ。だから子どもと一緒にはいられない。大人しくこの町の世話になれ。生家に帰りたければ調べてもらうこともできる」
「帰りたくないです! 僕はずっと要らない子で、死んだらいいって、あの森に捨てられたんだから!」
「えっと……坊主、なんだか大変な話だけど、理由を聞いてもいいのかい?」
イニチャが尋ねるのへ、ユカリノは首を振った。
「……オーリは多分辛い思いをしてきたのだろうから、私から森での経緯を話しておこう。だが、すまないが、私にも仕事がある」
「じゃ、じゃあ! 僕が役に立つくらい大きくなったら、一緒にいてくれますか?」
オーリの瞳は必死だった。
灰色だと思った瞳は、光の加減か、感情の昂りがそうさせるのか、今は銀色の輝きを帯びているように見える。
嘘はつけないな。
ユカリノは思った。
「ああ。そうだな……約束しよう、オーリ。私を助けられるようになるまで、ここで町の暮らしに慣れるように。今まで人と暮らしてないのだから、交流や読み書きを学ぶんだ」
ユカリノはオーリに向かって屈み込み、真剣に話して聞かせた。ユカリノが首を傾げると、輪にした髪が揺れてオーリの頬に触れる。
「いいか。賢く強くなって、いつか私を助けてくれ」
「……わかりました。僕、ここで一生懸命頑張ります! 絶対、僕すぐにユカリノ様の役に立つようになりますから」
オーリはユカリノを見つめた。灰色と黒の瞳がぶつかる。
「いい子だ。では、イニチャ、この子を頼む」
「わかったよ。オーリ、心配するな。ここの施設にはセルヴァンテの補助があるんだ。ひもじい思いはしないし、服ももらえるぞ。預かっている子は十人くらいで、友達もすぐにできる。安心しろ」
「……」
オーリには服も友達もどうでもよかった。
この二十四時間で、オーリにとって世界とは、ユカリノだけになってしまったのだから。
直ぐに、大きくて強い大人になってやる!
そしてユカリノ様のそばに置いてもらうんだ!
少年は固く心に決めた。