第8話 インゲルの町 2
その町はあまり大きくはなく、古い城壁に囲まれていた。
ユカリノはオーリを連れ、町の東側の門から町へと入った。町の正門は北で、南門もそれに次いで大きいから、森に面した東門は、いわば裏門である。
「ど……どこへいくの?」
瞳を曇らせるオーリに向けてユカリノは、ただ一言「町役場」とだけ答えた。けれど、町というものを見た事がないオーリは、何もかもが珍しかった。
ちょうど朝の市が終わったところらしく、人通りは少ない。しかし、その誰もがユカリノを見ると、はっとして道を空ける。中にはそそくさと隠れる者までいる。
世間知らずなオーリにもわかるほど、町の人たちとユカリノの雰囲気は、明らかに違った。
まず、ユカリノと同じ服装をしているものがいない。
大抵の男はオーリが着ているような、ボタンがあるシャツに胴着と上着、そしてベルトで締める下衣。女なら重ね履きのスカートだ。
対してユカリノは、身ごろを左肩の辺りで紐で結ぶ、ボタンのない服だ。腰はベルトではなく帯で、女なのに緩めの下衣を着けて膝の下で結えている。
そして、この地方ではまず見ない漆黒の髪と、特徴的な髪型。そして、顔立ちも少し違う。
美しく切れ上がった眼窩には、黒い大きな瞳がはまり、その瞳は黒いのに、とても澄んでいる。
ユカリノは街の人々に関心がないように、ただ前を見て歩く。足音もたてない。町の人を怯えさせないためか、魔物を祓った剣は今日は携えていない。
静かに、穏やかに、ユカリノはそよ風のように、ふわりと進む。
彼女の周りだけ、違う色の空気に包まれている。それは危険なものではないが、違和感は拭えない。こんな田舎の町の住人は、そこに畏怖を感じるのか、ほとんどの人が彼女から目を逸らしていく。
ユカリノは見通しが良くなった街路を進んで、二階建ての四角い建物へと入っていった。
そこには係官がいて、ユカリノを見ると「二階にどうぞ」とすんなり通してくれた。そばにいるオーリのことなど気にもしていないようだった。
窓が小さいので階段は薄暗い。廊下を進むと一番奥に小さな扉が二つあり、ユカリノは左の扉をノックもせずに開けた。北の暗い一隅だ。
中は狭い部屋で、細長いガラス窓を背に、痩せた中年の男性が何かを書きつけていた。
「おはよう。イニチャ」
「おはよう、ユカリノ。おや、その子どもは?」
イニチャと呼ばれた男が、興味深そうにオーリに顎をしゃくった。
「ああ、昨夜森で拾った」
「森で? 夜に?」
「ああ。どうやら身内に捨てられて、ケガレに襲われているところに出くわして、まぁ、なりゆき上、助けてしまった」
なりゆき上……。
オーリがしゅんと肩を落とすが、ユカリノは頓着しない。
「この町に、子どもを預けるところはないか?」
「あるにはあるが……この役所の付属の施設だ。というか、この出張所の隣にある」
「なら話は早い。オーリ、早速お前をそこに預ける」
ユカリノは黒い目でオーリを見下ろした。
「嫌です! 僕はユカリノ様にお仕えしたいです。絶対お役に立ちますから! 捨てないで」
「捨てるのではない。預けるんだ」
ユカリノはオーリと同じ高さに視線を合わせ、頭を撫でた。その目はひどく優しく思える。
「私にはヤマトの仕事がある。お前も知っての通り、危険な仕事で、時には遠くに行くこともある。それに、ケガレが出るような森に、子どもを住まわせられない。第一、私にはお前の世話はできない」
「世話は要りませんし、かけません! 僕がユカリノ様のお世話をしますから!」
オーリは必死に言い募った。イニチャは二人の様子を興味深そうに眺めている。笑っているようだ。
「お世話? なにを言ってる。お前はまだ子どもだろう?」
「ユカリノ様だって子どもでしょ!」
「……」
その途端、ユカリノだけでなく、イニチャまでもが妙な顔をして固まった。
「……え?」
しばらく気まずい沈黙が薄暗い部屋を満たす。
「まぁ、仕方なかろうよ、ユカリノ。この子はなにも知らないんだ」
イニチャが頭を掻き、ユカリノはため息をついた。
「……オーリ」
ユカリノはゆっくりと立ち上がり、オーリを見下ろして言った。
「オーリ、私はこれでも大人なんだよ」
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