第7話 インゲルの町 1
翌朝。
オーリが起きた時にはもう寝床は空っぽで、閉ざされた木の窓から細い光が差し込んでいた。
「あれっ!?」
束の間、見慣れぬ風景に混乱する。今、ここには誰一人いない。
つい最近まで一人で寝起きしていたはずなのに、オーリは焦った。
ここはどこだったっけ?
途端、急激に昨夜の悪夢が蘇る。赤黒い、ねばねばした悪意の塊。化け物。
「わっ、わあああ! 誰か助けて!」
「助けたはずだが?」
扉が開き、四角く切り取られた光の中に淡い姿が立っている。
その瞬間、オーリは昨夜の温もりを思い出した。この姿に抱かれて自分は眠ったのだ。
「ユカリノさまっ!」
「起きたか? 朝餉を食うか?」
「は、はいっ! おはようございます!」
「では、顔を洗え。水を汲んできた」
オーリは昨日の水瓶で顔を洗うと、炉の側の敷物の上に座った。
低い椅子があったが、一つだけだったからだ。鍋にはどろどろした白いスープのようなものが湯気を立てている。寝室に流れてきたのはこの匂いだった。
「これはなんですか?」
「米という穀物の粥だ。菜と干した魚もある。好きなだけ食うといい。だが、食う前にこう言うんだ」
「なにを言うの?」
「いただきます」
ユカリノは両手を合わせて謎の言葉をつぶやくと、食物に対して少し頭を下げた。
「イタダキマス」
オーリはそう言ってから、食べ始めたユカリノに言葉の意味を問う。
「感謝の言葉だ」
ユカリノは短く言うと、白い歯で魚の干物を食いちぎった。黒髪はすでに輪に結えてあり、背筋を伸ばして二本の棒を器用に使って食べる所作は美しい。
「美味しい!」
「いつもはなにも入れなんだが、今日はお前のために少し味をつけたからな」
「魚なんて食べたの久しぶりです! 僕は湖も川もないところで暮らしていたので」
「そうか。食事がすんだらインゲルの町に行くぞ」
「インゲル?」
その町の名は、昨夜聞いたような気がする。
「ああ。ここから一番近い町だ。さして大きくもないが、私の雇い主の下っ端も出向していて、用事もあるからついでだ」
「雇い主? ユカリノ様は誰かに雇われているの?」
「雇われる……は、適切な言葉ではなかったかな? ええと、依頼主かな? いや、管理者? まぁ、なんでもいい。町の役人に頼めば、お前をいずれかの施設に預けてくれるだろう」
ユカリノの言葉に、オーリの気分は急速に萎んだ。根拠もなく、ユカリノとずっと一緒にいられると思っていたのだ。
「……僕、施設に預けられるんですか?」
「そうだ。こんな森では危険で暮らせない。それに私もお前を養えない」
「ユカリノ様は暮らしているじゃないですか!」
「私はヤマトだから」
「なら僕も、ヤマトになる! なります!」
「ヤマトはなるものではなく、種族の名前なんだ。この国では職業の名称のようになっているが。さぁ、食べたな。ごちそうさま。行くぞ」
「ご……ごちそうさま」
それ以上尋ねても答えてくれない空気を読んで、オーリはユカリノと共に、小さな家を出た。
これからどうなるんだろう。だけどこの人と離れたくない。なんとかして一緒にいたい。そのためにはなんでもする!
考えろ、考えるんだ!
オーリは強くそう思った。