第63話 竜王オーリヴェール 4
「お前は……」
男はオーリにそっくりだった。
すらりと伸びた手足、広い肩幅。寸法までいつも隣で笑っている青年と同じ。
ただ全身が銀色の硬い肌に覆われている。そしてその目は、ゆっくりとユカリノに据えられた。
「そうか。お前はオーリを喰ったのか……」
男はユカリノを見つめたまま、口角を上げた。笑ったのだ。彼に表情はない。ただ、その瞳だけは瞬きもせずにユカリノを見つめていた。
刹那、ユカリノは目を閉じ、そして見開いた。
「竜王オーリヴェール。我が名はユカリノ! 汝を屠る者だ!」
ユカリノは霊刀フツを構えた。
気がつくと、彼女と男をガキの群れが取り囲んでいる。一気に襲い掛かられれば、ユカリノとて無事ではすまされないだろう。
だが、なぜかガキどもは襲ってこなかった。ただ。どろりと死んだ目で二人を見ている。
「やあぁー!」
ユカリノは地を蹴ってオーリヴェールに迫った。男が腕を上げる。
がきんと鈍い音が鳴る。フツの刃が通らないのだ。
「く……っ」
飛び退ったユカリノは何度も攻撃を試みた。しかし、何度やってもフツは男に傷一つつけられない。
フツには私とオーリの血の力が宿っている。
だが、オーリを喰らったあいつには、フツの霊力は及ばないのか……。
ユカリノは唇を噛み締めた。
ただ、竜王は攻撃はしてこない。ただ、ユカリノの刃を受けるだけだ。
その動きだけは速いが、他の動きはどうもぎこちない。
もしかしたら、まだ肉体と霊が馴染んでいないのだろうか?
「いい」
ユカリノは首を振った。
「どうでもいい。オーリのいない世界に、私は生きていたくはないからな。お前と共に滅びてやろう」
そう言ってユカリノは、フツを地面に突き立てた。そして、竜王の間合いまで斜面を進む。
オーリ。
言霊の上書きは、どうやら効かなかったみたいだ。すまない。
だが!
「一人では逝かない! 竜王オーリヴェール」
ユカリノは凛と声を張った。
「私を喰え!」
竜王は動かない。
「どうした! さぁ喰え!」
ユカリノが喉を差し出す。
初めて男の目に、僅かな躊躇いの色が浮か美、真っ黒な口腔が開く。
「お……おお……おおお」
「私の心はオーリにくれてやった。次は体をやる。お前はオーリを喰ったんだろう? そうしてこの世に蘇った。またしても呪いを吐き散らかすなら、私がお前の中のオーリと共にお前を滅ぼしてやる! 喰え!」
言いながらユカリノは、両手で男の頭を、髪を引っ掴む。
「オーリは揺るぎない愛を私にくれた。私を守ろうとして、お前に喰われた。だからこれでいいのだよな? オーリ! 今行く! これこそ致死量の愛だ!」
ぶつかるような口づけに、男の目が見開かれる。
ユカリノは構わずに男の口腔を蹂躙し、歯で舌を噛み切ると、滲んだ血を男の乾いた舌に絡ませた。
その刹那──!
「ヴオオオオ!」
男がのけぞり、よろめくと膝をついた。同じく周りのガキ共が、ざわめき始める。
「どうした? もっと喰らえ! そら!」
ユカリノがのしかかるように叫び、自分の指を男の口に突っ込む。
「噛め! 食いちぎれ!」
「あ……ああ、ああ」
銀色の瞳から涙が噴き出している。
それは黒い涙だった。呪いの体液というべきか?
体液は目から鼻から耳からも溢れ、口腔からは、げぼりと溢れて流れ落ちた。
裸の皮膚からも次々に染み出し、地面に吸い込まれる前に消えていく。
そして、流れた後から肌の色が変化していく。金属的な色が薄くなっていくのだ。
「オーリ! そこにいるか!?」
ユカリノが男の頭を抱きしめる。
「お前が逝くなら、私も連れて行け! 愛している! オーリ、二人で逝こう!」
「あああああ!」
男が声を上げ、同時に何かが飛び散った。
最後の銀色の欠片だ。彼は急に立ち上がると、ユカリノを背に、墳墓の頂から世界を見下ろした。
「汝らの呪いを解く! 去れ! 我と共に死に帰れ!」
声はオーリのものであって、オーリのものではなかった。
風に乗ってその余韻が収まる前に、墳丘を取り囲んでいたガキ達が崩れ落ちていく。
あるものは土に、あるものは骨に、あるものは腐敗した肉となって。
そして、男もまたゆっくりと倒れ伏した。彼の目の中で天が回っていく。
そこには竜王ではなく、ユカリノを愛し、ユカリノが愛した青年の姿があった。
「オーリ!」
ユカリノは声を振り絞って彼の名を呼んだ。
「オーリ! 出てこい! お前はこんな男と共に逝くのか!? 違うだろう?」
銀色の目がユカリノを見上げている。
「許さないぞ! お前は私と逝くのだろう? いや違う! 一緒に生きるんだ! オーリ、お前のくれた愛で、私はお前と共に生きる!」
再びの口づけは、涙を伴うものだった。
「お前は私を泣かさない男だったじゃないか? どうして名を呼ばない? お嫁さんにしてくれるんだろう?」
口づけを繰り返しながら、ユカリノは泣きじゃくった。
「お嫁さんにしてくれないなら、私もここでお前と共に逝くからな! それでもいいのか!? オーリ」
丘の上を風が吹き抜ける。風は雲を、澱みを吹き洗い、夜明けの匂いを運んできた。東の空が濃紺から紫へ、そして紅色へと彩りを増していく。
朝の光が青年の額を照らしはじめたが、世界は未だ沈黙に満ちていた。
打ち伏したユカリノはオーリの胸ごしに、フツを見た。霊刀は静かに朝の陽を受けている。
「……そうか。なら、私のすることは一つだ」
腕を伸ばし、フツを握る。
「お前の愛と共に私も逝こう。かつて致死量と言ったな、オーリよ。その通りとなった」
ユカリノはフツの刃を自分の首に当てた。
「受け止めろ!」
刃を引こうとした手は動かなかった。動かせなかったのだ。




