第62話 竜王オーリヴェール 3
その夜は暗かった。
闇が粘るように皮膚に纏わりつく。風もない。
「いい夜じゃないか」
クエーサーは壮絶に笑った。オーリもユカリノも応えない。ソリティアも。
夜の底に竜王の墳墓。
「腐臭だ。呼んだな」
「ああ、奴がな。王様の御命令通りって訳だ」
クエーサーとユカリノの短いやりとりに、オーリは総毛立った。
確かに呼ぶ声がした!
しかも──この俺を!
「囲まれたぞ!」
クエーサーが叫ぶ。
陵の麓に鈍く光る、無数の赤黒い光。ガキの目だ。その後に今まで見たことがないほど巨大なケガレの気配。
「ガキは任せたぞ! オーリ!」
「はい!」
ユカリノはオーリと一緒にガキの頭の上を跳ぶ。靴に嫌な感触が残るが、構いもしない。目指すは小山のようなケガレだ。
「まるで大小二つの墳墓があるようだ」
「多分、あの野郎が全部、粘土みたいにくっつけたんでしょう、行きますよ!」
「は! 竜王をあの野郎呼ばわりとはな!」
二人は襲いかかる触手の雨を掻い潜り、あるいは斬り飛ばした。触手は次々に消滅し、二人の前に空間ができる。
「オーリ、私を投げろ!」
オーリは逆らわなかった。ユカリノの前に走り出ると、膝をついて両手を組む。そこへユカリノが跳び乗ると、オーリは渾身の力を込めて腕を跳ね上げる。
ぐん、とユカリノが上昇した。闇の中でフツだけが発光しているように煌めいた。
「てやああああ!」
ユカリノが自重を利用して、ケガレの中心を貫き、横に切り裂いた。その間にオーリは小山のようなケガレの表層を、トモエの愛刀ノワキで裂きながら駆け上がる。靴の底にも血が塗ってあって、飲み込まれることはない。
「喰らえ!」
オーリはユカリノの隣に立ち、彼女が横に斬った上から縦に割った。十文字に斬られたケガレは声鳴き断末魔を上げ、斬られたところから夥しい黒い塵が吹き出した。
「やった!」
「まだだ、オーリ! 油断するな!」
飛び降りたユカリノは、瘴気を浴びないようにフツを眼前で垂直に立てた。迫り来る瘴気が割れていく。
ひしゃげた胃袋のようになったケガレは、それでもまだ、ねばつく仮足を伸ばして抵抗する。オーリは憎悪を込めてそれらを踏み潰していった。
彼の瞳も髪も銀色に輝いている。おそらく、皮膚の異形の部分もそうなのだろう。
オーリ……
ユカリノはまるで、竜王その人のような青年の姿に魅入られていた。
一方。
ガキと対峙しているクエーサーとソリティアは苦戦していた。
彼らには霊力はなく、物理的な体を持つ相手に、竜の血だけで対応しているのだ。数が多すぎる。
「キリがない! こいつら何体いるの!?」
「首か頭だけ狙え! どうせ奴らが観察している」
「あいつら本当に味方なの?」
二人が言うのは、セルヴァンテの兵士のことだ。
カルロの弓兵もそうだが、アルブレロはこの決戦を知っているはずで、残った兵士たちも、薄めた精油を浸ませた武器で街を守っているはずだ。
「俺たちが数を減らしたところで、お出ましになるはずだ。手柄を独り占めしたいからな!」
「そうみたいね!」
クエーサーがガキの首を二つ同時に飛ばす。ソリティアも、自分と同じくらいの背格好の元女の口に剣を突っ込んだ。二人でもう、五十体は斃しているだろうか? ガキはまだ百体以上入るだろう。いくら竜族といえども、限界はある。
「オーリを呼ぼう!」
「ダメだ! あの二人はでかいケガレと戦っている。もう少し持ち堪えるんだ!」
その時、ソリティアの腕に子どものガキが噛み付いた。
「くそっ! 下から!」
「ソリティア!」
「大丈夫よ!」
頭から串刺しにした小さなガキを、振り払ってソリティアが叫ぶ。その腕から血が滴っていた。オーリほど血が濃くないソリティアでは、ガキを滅ぼすまでには至らないのだろう。
だが普通の人間なら、ガキと化してしまう傷でも、さすがに竜族のソリティアにはあまり効かなかったようだ。だが、傷は深い。
「少し下がれ!」
「だけど! このままじゃ囲まれちまうわ!」
「くそ!」
怒り狂ったクエーサーが一番囲みの薄いところに向けて、剣を振り回しながら突っ込んだ。何人かのガキが吹っ飛ばされる。
そこへ──。
「推参!」
白い影の塊が乱入した。
「間に合ったか!?」
「サキモリ!」
白い影は十人余りのヤマトだった。
サキモリが急いで大陸北部のヤマトを集めたのだ。彼らは自分の配置領域を守ってきたヤマト達だが、ケガレがセルヴァ方面に移動しつつあるのを知り、追ってきたのだ。サキモリは彼らをまとめ、率いて戻ってきた。
「数人はケガレの方に行かせた。だが、ユカリノとオーリの攻撃のおかげで、あっちはなんとかなりそうだ。けど、すごい数だな」
「ああ。危なかった。礼をいう」
クエーサーは腕を噛まれたソリティアを一旦引かせ、サキモリに預けた。その間にもヤマト達はそれぞれの霊刀を手に、ギマを斃してゆく。
霊刀は肉体を持つガキにはケガレよりも効果が弱いが、それでもヤマト自身に霊力があるので、あんなに不利だった形勢が一気に逆転しようとしていた。
「あれがヤマト……すごい」
ソリティアは白く舞う影の動きに見とれた。
ユカリノもそうだが、彼らは皆若く、黒髪を重い思いに結い上げ、体格は小さめだ。
けれども、その動きは最小で最大の効果が上がるように訓練されているのか、的確にガキを屠っていく。
百体以上いたガキは、半数までに数を減らした。
「おいおい、ようやくのご登場だ」
背後の正殿から現れたのは弓兵である。
彼らはカルロの合図で餓鬼に向かって一斉に矢を放った。闇が深く、外れる矢もあるが、それでまたガキの数が減っていく。
「おおおおお!」
弓兵の後には有力な市民も控えているらしく、大きな歓声が上がった。
「俺たちの血で、手柄を勝てようってか」
高い塔から見下ろすのはアルブレロだ。彼は初めからこの戦いの趨勢を見極めていたのである。
「サキモリ!」
かけてきたのはユカリノだ。フツには曇りひとつない。
「ユカリノ! あっちのデカブツはどうだ?」
「それが……かなりの痛手を与えたはずだが、消滅する前に、地面に吸い込まれるように消えてしまった」
「なんだって!? オーリは?」
「気配を追って飛び出していった」
「追わなかったのか?」
「……追いつけなかった」
サキモリは黙り込んだ。
ユカリノが追いつけない? そんなことが?
「だが、行き先はわかる。それを伝えにきた」
「ああ。こちらも竜族の二人と、ヤマトと、言いたくはないが、アルブレロの兵達のおかげで、そろそろ決着が……え?」
「見ろ!」
ユカリノの指の先、赤く光っていた無数のガキの目が閉じられていく。
「……終わった、のか?」
「違う! 奴ら移動している。引き寄せられているんだ!」
「引き寄せ……ああ!」
わさわさと鈍く動くその先にあるのは──。
竜王の墳墓だ。
「あの先には竜王の墓が!」
「しかし、奴は死んで百年以上経つんだ。まさか、まだそんな力が……」
「あるんだ! とにかく数を減らせ!」
「承知!」
ユカリノが突っ込むのを見て、他のヤマト達、竜族の二人、壁上の弓兵が攻撃を更に強める。十何体かは倒せたが、先の方を行くガキが墳墓に取り憑き始めた。
「ケガレが!」
ヤマトの誰かが叫んだ。
陵墓の頂近くから、姿を消したケガレが湧き出てきたのだ。
「奴め! 力を取り戻している! そうだ! オーリ……オーリは?」
先ほど二人で弱体化させたケガレは突然逃げるように、地の底へと染み込んだ。オーリはその気配を、尋常でない速さで追って行ったのだ。
「オーリ! どこだ! どこにいる!」
ユカリノは声のかぎりに、愛しい男の名を呼んだ。だが、いつもなら「はぁい」とすぐに駆けてくる大きな姿が一向に現れない。
「オーリ!」
ユカリノの声が掠れる。恐怖で喉が絞られ、身体中の血が引いていくのがわかった。
「ユカリノ! いかん!」
サキモリの止める声を背中に聞きながら、ユカリノは墳墓に向かって駆け出した。墓の麓には倒し切れなかったガキが何十体も取り付いている。
オーリはケガレを追いかけて行った。そしてケガレはあの墓のどこかにいる!
「オーリ!」
叫びながらユカリノは地を蹴った。一番近くの木の枝は頼りないものだったが、それでもなんとかユカリノを受け止め、さらなる跳躍の足がかりとなった。
次の足場は、腐りかけた大柄な男のガキの体だ。ユカリノは躊躇わない。
ぐしゅ
嫌な音がしたが、なんとかなった。これでガキの群れを飛び越えて墳墓の斜面へと効果できる。
「オーリ!」
猫のように着地したユカリノは、愛しい青年の名を呼び続けた。
ケガレを追って行ったのなら、この辺りにいるはずなのに、古い墓の斜面には草一本生えていないのに何も見えない。すぐ後ろからはガキがよろよろと這い上ってくる。これ以上ここに留まるのは危険だ。
「ユカリノ戻れ! オーリはもう諦めろ! 俺にも気配が掴めない! ケガレに取り込まれたんだ!」
サキモリの声などユカリノには届かない。
「オーリ! 出てきてくれ! お前が愛しい。お前の姿が見たい!」
ユカリノの叫びが斜面を駆け上がった。風が澱み、墓の頂に立つ《《もの》》がある。
「なに?」
ユカリノが見つめる歪んだ墳墓の表層。
そこは朽ちた石板が埋まっている。刻まれた紋様からじわじわと石から滲み出るように、赤い光が漏れ出した。かすれかけていた紋様が鈍く輝く。
そこには人、男が描かれていた。男は右掌を大地にむけている。大地からは無数の腕が伸びていた。
瞬間、石が割れた──いや沈んだ。我ながら沈んでいくのだ。そしてその穴の中から黒いものが噴き出る。
「ユカリノーッ! 逃げろ! それは不吉だ!」
サキモリの叫びを遠くに聞きながら、ユカリノは魅せられたように、その影を見つめていた。
影は人の形をとり始める。それは男だった。
「お、オーリ? オーリなのか?」
ユカリノの見つめる前で、黒い粒子は薄らぎ、風に散った。
銀色の長い髪、銀色の肌。そして、整った瞼がゆっくりと開いていく。そこにあるのは銀色の瞳──もうユカリノにもわかる。
彼は竜王。
竜王、オーリヴェールなのだ。
後、2話で完結です!




