第60話 竜王オーリヴェール 1
「オーリ、夜明けだ」
ここは正殿の裏で北西にある泉なのに、既に少し明るい。水も風も、光すら透明だ。すぐ近くの東の荒野には墓地があるはずなのに。
一部だけ建屋と木々が切れており、そこから光を吸い込むのか、泉の底を見ることができる。
「ああ……綺麗ですね」
オーリは、その日初めての陽を横顔に受けるユカリノから視線が外せない。
「そんなに見るな。何かついているか?」
二人はさっきまで厨房で食材を漁り、オーリがユカリノのために食事を作って食べさせていたのだ。
そして、食べ終えたら夜が開けていて、二人は裏手の泉までやってきた。本来はここが正式な禊の場、セルヴァの沐浴場である。
屋内の泉は人口のものだが、ここは地下水が湧き出す天然の水場だ。ここから正殿を走る水路へと水が引かれている。
「ついてません」
「なら見るな。だいたいなんでお前まで禊をするんだ?」
「だって、あの女に触れられたから。それに変なお茶を飲まされた。もう一度きれいにしたいんです」
「ひどい男だな。同族の女性に」
「ユカリノ様の方がひどい。きっとまた、何かよからぬことを考えていたでしょ?」
「……」
ユカリノはバツが悪そうに、オーリから視線を逸らす。
「ほら図星」
「そんなに見るな。恥ずかしいじゃないか」
「見てしまいますよ……だって……あっ!」
オーリの腕からするりと逃れ、ユカリノは泉に飛び込んだ。水飛沫が垂直に上がる。まるで猫だ。猫は水に飛び込まないが。
ああ、美しい。
深い泉に水平に落ちていきながら、ユカリノは空を見上げた。水を通して見上げる空は、青水晶のように光っている。
ユカリノの脳裏に、先ほど暗い廊下で見たオーリの裸体がぼんやりと映った。
あいつはもう子どもじゃない。大人の体をもつ竜族の男だ。そして、ソリティアだけじゃない、同じ竜族の女がこの大陸のどこかにいる。
もし、オーリに好きな竜族の女ができたとして、自分の子を残したいと思ったら、どうすることもできない。私ではオーリの子を産んであげられないから、お嫁さんにはなれない。
多分、あの陵墓の霊を祓ったら、ケガレもギマも消滅する……そんな気がする。でも、そうなったら、私の価値はなくなるのかな?
ユカリノは目を閉じた。途端、体が揺れる衝撃があった。
「え?」
水を掻いて潜るオーリだ。何か叫ぶように口を開けている。
馬鹿だなぁ。そんなに口を開けたら水が入り込むじゃないか。やっぱり可愛い。ずっと一緒に……。
ユカリノは淡く微笑んだ。
体が上昇する。オーリが腕を伸ばし、ユカリノを掴んだのだ。
そのまま彼は水の中で体を反転させ、二人は水中で向かい合った。
朝陽を受けたオーリが笑う。伸びた髪が銀色にまとわりつく中で、白い歯が見える。
オーリの顔が近づいて、口づける。水と一緒に舌が侵入し、ユカリノとオーリは互いを求め合った。オーリが水を蹴って二人は浮上した。
口づけたまま、水面にぽっかりと浮かぶ。
「ん、オーリ……オーリ、もっと」
ユカリノは恥ずかしげもなくせがんだ。
「いくらでも……好きです、大好きです。ユカリノ様、俺の命だってあげますからね」
オーリは裸だ。衣が側に浮いている。ユカリノを巻き込むように抱いている。
「ごめん」
「え? なんでごめん、ですか?」
「実は……さっきまで、お前を私から解放しようと思ってた」
「えっ! なんで!? どうして?」
腕に力がこもる。
「種の存続は、やっぱり大事だろうと思ったから」
「嫌だ! 嫌です! お嫁さんになってくれるって言ったじゃないですか! 俺は絶対に嫌ですから!」
オーリは水飛沫を撥ねかしながら怒っている。
「俺、絶対ユカリノ様を離しません! 生きてても、そうじゃなくても!」
言霊を知ったオーリの言葉は慎重だ。
「ああ。そうだな。私もたった今そう思った。お前を手放すなんて嫌だ」
再びユカリノはオーリの唇を啄んだ。
「本気で手放す気でいたんですか?」
「ああ」
ユカリノは正直に告白した。
「私のようなヤマトでも、子孫を残すのは大切なことだとわかっている……だけどやっぱり嫌だった、オーリを他人にやってしまうのは。お前が命をくれるというなら、私の命もお前にやる」
「嬉しい。俺、ユカリノ様がもう要らないって言っても、愛し続けますから。俺の気持ちであなたが溢れて壊れるほど」
それは致死量の愛だ。
「はは……まぁ、それも楽しそうだけど、まずはこれから」
「ええ」
オーリは大きく頷いた。
「一緒に、奴……竜王を祓いに行こう。ほら! これが奴への餞だ!」
ユカリノ指先が水面を弾く。
飛沫が風に舞ってきらきらと二人を包んだ。




