第58話 剣と血 4
「……ユカリノ様のところに戻らなくちゃ」
オーリは疲れを知らぬかのように、来た道を駆け出した。ソリティアとクエーサーもすぐに後を追う。
復路は何事もなく正殿までたどり着いた。オーリは階段を駆け上がり、ユカリノの部屋へと向かう。
「待ちなさい、オーリ君!」
待っていたかのようにアルブレロが現れた。
「なんだ、あんた! 邪魔をするな!」
「その姿で行かれるつもりかな?」
「え」
言われて初めてオーリは、自分の姿を見下ろした。
どこもかしこも血まみれで、滴り落ちた血が清潔な床を汚している。
「そんな姿で会われたら、余計に具合が悪くなられます」
「……」
「先日の泉で体を清めてくるがよろしい。本当はもっと設備のいい沐浴場が、屋内にあるのですが、あなたは汚れすぎている」
やっぱりこいつ、俺達のこと監視してたのか。
オーリの瞳が危険な光を増した。
「おお、恐ろしい顔つきだ。まさしくあなたは竜族。ですが、別に覗いていたわけではないですよ。私はこの神殿内で起きることを、おおよそ把握しているだけです。細部までは知りません」
「あんたは知ることが仕事なんだろうさ。だったらさっさと、ケガレを殲滅する方法を探れよ」
「そのつもりなんですが……ともかくそのままではなんですので、早く沐浴を」
「ふん」
それはその通りなので、オーリは昨日の泉へと出た。遠慮なく血まみれの服を脱ぎ捨てると、一気に頭まで浸かった。
よほど返り血を浴びたのだろう、澄み切った泉が赤く染まっていく。
流水だからいずれきれいになるだろうが、もし溜り水だったら、ユカリノが使えなくなってしまうだろう。ノワキの刀身も曇っていたので指先で丁寧に洗い流した。
早く、ユカリノ様の元へ行きたい……よくやったと言ってくださるかな?
オーリは下ろした髪をざぶざぶと洗う。
昨日のユカリノ様、すごく可愛かった。俺に甘えて、体を預けてくれて……でも今夜は休ませてあげないと……うう、寂しい。早く会いたい!
その時、揺れる水面に影が映る。
「誰だ?」
振り返るとソリティアだった。剣は置いてきたのだろうか、代わりに小さな細首の瓶とカップが乗った盆を持っていた。
「私も一緒に清めてもいい?」
「ああ。俺はもう出る」
「ちょっと待って!」
彼女の方を見ないで、泉から出ようとしたオーリをソリティアが止める。
「こっちを見て!」
「……?」
振り向いたオーリの前には、素裸の女が立っていた。
月明かりに、長い灰色の髪、たわわな胸の隆起、くびれた腰とその下の豊かな曲線を持つ女が照らされている。
「……どう?」
「どうって、沐浴するなら普通だろう。俺はもういく」
「オーリったら、私を見て何も思わないの?」
「なにを?」
「綺麗だとか、抱きたいとか」
「……さぁ? 綺麗かどうかと言うなら、綺麗なんじゃないか?」
オーリは自分の服を洗っている。
「ありがとう! あなたは私が綺麗だと思うのね」
「女の人は大抵きれいだと思う」
「ユカリノ様は?」
「なんであの方の名前が出る?」
「興味があるの。なんであなたがそんなに惹かれているのか」
「……あの人は、特別だ。全然普通じゃなくて……あ、でも普通なのかな? ないと死んでしまう空気とか、水みたいに」
洗った衣類を絞り上げ、オーリは泉から出てそれで体を拭いた。
「……でもあんたの体、反応してるわ。本当は私を抱きたいのではなくて?」
「……」
オーリは黙って自分の下腹を見下ろした。
「こんなに冷たい水に浸かっていて、そんな状態じゃよっぽど辛いのでしょう? 慰めてあげる」
「要らない。俺がこんなふうになるのは、ユカリノ様を想うときだけで、それは俺が汚れているからだ」
オーリは体をざっと拭き終わり、服を腰の周りに巻き付ける。
「あんただって健全な男じゃない! 女を抱きたいと思っても何の不思議もないわよ。別に悪いことでもない。私が鎮めてあげる。もちろんあの娘には黙っておくから」
「要らない。そんなことをしたらアルブレロの思うツボだ。掛け合わせるってそう言うことだろ? あいつの思惑に乗るなんてまっぴらだ。それにどうせ、どこからか見ている」
「確かに、彼の思惑に乗るのは癪だけど、私の純好な気持ちでもあるの! ねぇ、お願い、情けをかけてちょうだい」
「嫌だ」
オーリは構わずに行きかける。
「わかった! もう言わないわ。でもお願い、体を温めるお茶を持ってきたの。そのままユカリノ様のところに行ったら、びっくりされるわよ。ここでいいから飲んでいって! 毒じゃないわ。ほら、私も飲むから」
そう言って、ソリティアは盆から瓶を取ると、カップに少し注いで口に含んだ。
そしてもう一度カップを満たすと、オーリにカップを持たせた。湯気の立つカップから良い香りが漂っている。
「じゃあいただく。ありがとう」
これ以上断るのはさすがに悪い気がしたオーリは、無造作にカップを受け取ると、一気に飲み下した。




