第56話 剣と血 2
「それ、昨日の女の人が言ってた……」
「ソリティアだよ。お前なぁ、いくらユカリノ一筋だと言っても、同族の名前くらい覚えてやれ」
「顔は覚えました」
「綺麗な人だったよなぁ」
ユカリノが流し目を送る。
「ユカリノ様以上に綺麗な人はいません」
「あー、はいはい二人とも。それは一旦置いといてな、ソリティアの方は断然乗り気だった。お前とつがいになることに」
「俺は全然乗り気じゃない」
オーリは撫然としながら断言する。
「そうは言っても、お前……種の存続の問題なんだよ」
「嫌です。お断りします。種族とか意識したことないし」
「ご馳走様。体が温まった」
ユカリノはサキモリに茶のカップを返した。
「おお! 剣が血を吸い込んだぞ!」
カップを置いたサキモリは、剣を浸した器を見て声を上げた。
「見たい。見せて」
「これは……」
三振の剣は再び、元のように曇りひとつなくなっていた。
仄かに輝いてさえいる。鋼が血を吸ったのではなく、剣の持つ霊力が二人の血を栄養として吸い取った印象だ。
「いつもなら流水で剣は力を取り戻すのだが、今回はそれが二人の血だったと言うわけか。しかも、霊力が上がっている」
「カルロたちの矢よりも強力だといいな。早く試したい。ケガレは今この地方に集結しているのだろう?」
ユカリノはフツを鞘に収めながら言った。
「ああ。だが、今日はもう無理をするな。一日部屋で休んでおけ」
「ありがとう。もう、戻る。そろそろ監視が騒ぎそうだし」
「階段を上がると、裏口があるから、そっちから出ていけ。俺は入った扉から出る。ここを出てやるべきことがある。だから今はお別れだ」
「わかった。ちょっと……オーリ!」
当たり前のようにオーリはユカリノを抱き上げる。髪を隠すことも忘れない。
「私は歩ける!」
「まだ顔色が悪い。お部屋に行きましょう。そして役目を終えて、できるだけ早くインゲルに帰りましょう」
オーリはサキモリに頭を下げた。
「まぁ……しばらくは無理かもしれんけどもなぁ」
サキモリは難しい顔で呟くが、オーリには届かなかったらしい。
聖堂に戻ると、アルブレロが待っていた。
「お帰りなさい。おや、ユカリノ殿はどうされましたか?」
「市内の様子を見に行ったが、今までの疲れが出たようで、力が入らない。大したことはないが、今日は部屋で休ませてもらう」
ユカリノはことさら大儀そうに、オーリにしがみついて見せる。
「そうですか。確かに顔色が白い。後で滋養のある食べ物を届けさせますね」
アルブレロは慇懃に頭を下げて、奥に姿を消した。
「やっぱり、何かあるんだな」
「オーリ、私はいいから、少し探ってきてくれ。たぶん今夜も街の外には、ガキやケガレが押し寄せるだろう。多分、北東の墓地には出ないだろうが、街の人が心配だ」
「わかりました。お部屋の鍵は閉めていてくださいね。あと少し食べて」
オーリは、ユカリノが具合良く横になったのを確かめてから寝屋を出た。
寝台の横には街で買ってきた水や果物、オーリが吟味した菓子などが所狭しと置かれている。正殿から給される食物は信用できなくなっていた。
薄暮だ。
春と言っても、北の街では陽が落ちるのは早い。
正堂の上の物見台。
オーリはノワキを腰に刺し直して振り返ると、そこにはソリティアが立っていた。
「こんばんは。オーリヴェール」
「俺はそんな名前ではないと言ったはずだ」
「あらごめんなさい。じゃあオーリって呼んでもいい?」
「……」
オーリは答えず、ソリティアの脇をすり抜けようとしたが、その腕を取られた。珍しいことである。
「待ってよ。昨日のこと考えてくれた?」
「つがいがどうとかって話か? 断るよ。俺、あんたに興味がない」
「同族なのにつれないわね。普通はもっと発情とかするんじゃないの? あなたまだ十代でしょう?」
「俺はユカリノ様を守るんだ」
「あのちっぽけなのヤマトの女ね。彼女がいくつか知ってるの? ヤマトって成長を止める薬を飲み続けるんでしょう?」
「さぁ。俺はそんなことどうでもいい」
「好きなの?」
「そんな平凡な気持ちじゃない」
「入れ込んでるわねぇ」
「じゃあ、俺は行くから」
夕陽が沈もうとしている。ここからは逢魔時だ。
「待って。私も行くわ。一緒に戦いましょう」
「必要ない」
「ここに来るのは悪霊のケガレよりも、ガキが多いのよ。人数は多い方がいい。それに私も血を鎮めたいの。あなたは久しぶりに見た若い同族だから」
「……」
「中を通っていくのは面倒だわ。外から行きましょう!」
そう言って、ソリティアは物見台から飛び降りた。思わずオーリもその後を追う。確かにこちらのほうが手っ取り早い。
礼儀を重んじるユカリノと、インゲルの養護施設を管理するイニチャに育てられたオーリは、意外に育ちが良く、こんな発想を思いつけないのだ。
「ついてきて!」
ソルティアは着地すると、一気に大階段を駆け下りた。街を囲む壁の向こうに大きな陽が落ちていく。
すぐに夜になるだろう。
二人が門を駆け抜けるのを、誰も止めはしなかった。




