第55話 剣と血 1
セルヴァの町の一角に、サキモリの隠れ家がある。
聖都セルヴァは、セルヴァンテに管理された街だが、古い街にはどこにでもあるような、雑多な一角がある。普段から隠密行動をとることが多いサキモリが、怪しまれることなく出入りする場所だ。
何気ない建物の地下が彼の隠れ家だった。仮に監視があっても、壁が厚いから中で起きることまでは感知されない。
「灯台下暗しさ」
サキモリはそう言いながら、隻腕で器用に器具の操作をしていた。
「オーリ、大丈夫か?」
オーリは簡素な寝台に横になっていて、その腕には固定された注射針が刺さっている。血を抜いているのだ。
「気分は? 辛くはないか?」
「平気です」
覗き込むユカリノを見上げながら、オーリは微笑む。
「ユカリノ様の顔色の方が悪いですよ」
「わ……私だって大丈夫だ」
「よし、こんなものでいいだろう。オーリはこれを貼ってしばらく座ってろ」
サキモリは膏薬を塗った布を、きつくオーリの腕に巻きつけた。
「いてっ! こっちの方が痛い」
「次はユカリノだ。横になれ」
ユカリノは体を横たえ、サキモリは腕を丹念に洗ってから、太めの針を突き刺す。
「ユカリノ様ぁ……」
オーリの方が泣きそうである。
「心配するな、太い血管は避けている……お前は筒を動かないように持って……って、おい」
サキモリは、ユカリノより青くなっているオーリの腕を見つめた。膏薬が気持ち悪くて剥がしたらしい。
「なんてこった……太い針を使ったのにもう血が止まってる……竜族っていうのはすごいな」
ユカリノに刺している針はそれよりも細い。
ヤマトの民はもともと血が薄いので、サキモリはオーリの時よりもよほど慎重に、筒の先に嵌められた押し子を引っ張っていた。筒の中にゆっくりと血が溜まっていく。
「ああ、こんなに……ちょっとサキモリさん、取りすぎじゃないですか?」
オーリは硝子の筒を、注意深く固定しながら文句を言った。
「お前の三分の一しか抜いてない! ちょっと黙ってろ。動かすなよ。お前とは体の作りが違うんだ」
「オーリ。私は大丈夫だから」
ユカリノは目を閉じたたまオーリを諭す。まつ毛が伏せられた頬は真っ白だ。
「は、はい」
「はい、終わった。ユカリノは少し横になっていろ。あとで熱い茶を入れてやる」
サキモリはユカリノたちに背を向けて、何やら器具を操作している。
「冷たい……温めます」
オーリはユカリノの手を取って、自分の胸に押し当てた。
「血は放っておくと、固まっちまうからな……よし、これでいい。今から二人の剣を浸すぞ」
そう言うとサキモリは、平らな容器の上に寝かせた三振りの霊刀──フツとノワキ、ヤワタを寝かせると、二人の血を混ぜ合わせた容器を傾け、刀身に注いでいく。
曇りひとつないヤマトの霊刀は、しばし真っ赤に染まった。
「このまましばらくおく。湯を沸かそう」
「別に茶はいらないんだが」
ユカリノは寝たまま言った。こちらはオーリと違って、まだ血は止まらない。止血された腕を軽く押さえて曲げている。
「そういうな。こいつは特別だぞ。この部屋の元の持ち主が、ヤマトから持ってきた茶の木を、代々セルヴァ郊外で栽培したものだ。発酵させる技術も口伝で伝わってるんだぞ。ほら、飲んでみろ」
「……美味しい。お前が時々持ってきてくれたのはこれか。よく気候や土壌が合ったな」
オーリに支えられ、ユカリノは熱い茶を啜った。
「まぁ、それなりに苦労はしたんだろうな。アキツクニからきた、一代目のヤマトたちは須く、苦労しただろう。俺たちで三、四代目くらいかな?」
「皆若くして死んだからな」
「嫌です! やだ! ユカリノ様、そんな恐ろしいこと言わないで! 言霊、言霊!」
オーリがユカリノの上に突っ伏して喚いた。
「お茶だって、俺が受け継ぎます! サキモリさん、俺に作り方教えて! ユカリノ様に飲ませてあげるんだ!」
「わかった、わかったからオーリ、重い……重いって」
「だが、考えられないことじゃない。ユカリノだって知っているだろう」
「……ああ」
「ちょっと! 二人ともなに怖いこと言ってるんですか! なにを知ってるって言うんです!」
「今まで、俺たちの持つ霊刀だけがケガレを祓うことができた。ヤマトは成長を抑える薬を飲まされ、最大限まで戦わされたが、そのあとどうなるか」
「どうなるんです?」
オーリは恐る恐る尋ねた。
「つがわせられる」
ユカリノは平坦に言った。
「待ってください! 昨日も竜族だという人がそんな事言ってて、ユカリノ様は夫婦だって説明したけど、本当はいけない言葉じゃないんですか?」
「そうだな、オーリ。この大陸でつがうとは、無理矢理子を成す行為をさせられるってことだ」
「……子を成す行為」
それはオーリにもユカリノにも、未知の領域だ。
「俺は今までに何人かのヤマトの女と交合した。子が生まれたかどうかは知らない。すぐに離されたから。そして最後にはトモエとつがうことになっていた。トモエもそれを受け入れた……だが」
「……」
「霊刀はヤマト同士から生まれた子でないと、力を発揮できない。だから、セルヴァンテはヤマトを管理して、ケガレを祓わせようとしていたんだ。逃げてもヤマトの民は黒髪黒瞳。一目でこの大陸の人間ではないとわかる。昔は偏見と差別が強くて、流れ着いたこの大陸では、生きることさえ難しかった。だから、保護してくれたセルヴァンテの管理下に入った」
「保護? セルヴァンテから無理矢理に連れてこられたのじゃなくて?」
歴史に詳しくないオーリは、ヤマトのこともあまり知らない。ユカリノが語らないせいだ。
「ヤマトは海洋民族だった。アキツクニは島だからな。人間のことだからアキツクニでも当然争いはあった。負けた部族が船で逃げて、この大陸に辿り着いた」
「そうだな、そんな話も聞いたな」
ユカリノはつぶやいた。まだ唇が青い。
「そしてセルヴァンテは今、ヤマトよりも希少な竜族の末裔を見つけ出し、同じことをさせようとしてるんだ」




