第53話 致死量の愛の夢 2
「ん」
体を包みこむ温もりに、ユカリノは目を開けた。
自分が今いるところは湯桶だ。服を着たまま浸っている。頭が沈んでしまわないように、桶の外から体を支えてくれているのはオーリだった。
「お、オーリ!?」
「はい。ユカリノ様」
オーリは努めて平静な声で返事をする。
「なんで私はここに?」
「禊の途中で眠ってしまわれたんです。ここはサキモリさんが言ってた部屋ですよ。お湯はホーリアさんにもらいました」
「不覚だ……ごめん」
ユカリノは湯の中で顔を覆った。
「大丈夫です。瘴気を浴びた理、知らない人と会ったりでお疲れだったんですよ。ほら、ユカリノ様って、人見知りだから」
「確かに知らない人だけど、オーリにとっては同族だろ?」
「そんな感慨、全然ありませんけどね」
オーリが平坦に応える。彼はユカリノの髪を梳くので忙しいのだ。
「オーリ。お前、怒っているな?」
返事の代わりにオーリは、黒く小さな頭を抱きしめた。
「窮屈ですか? 小さい桶しかなくて」
「問題ない」
オーリは柔らかい布で髪の水気を拭った。
「オーリ? やっぱり怒ってる?」
「え? 怒ってませんよ」
「いーや、なんとなく怒っているだろう。手つきでわかる」
「だから怒っていませんて。ほら」
オーリは真後ろから髪を結えると、桃色に赤らんだ頬に布をかぶせた。自分で拭けというのだろう。
「オーリ?」
ユカリノはざばりと身を起こした。
「わー! だめですって! 見えちゃう見えちゃう!」
オーリは慌てて後ろを向いた。濡れた白い服が肌に張り付いて、いろいろ危険なのである。
「別にいいぞ。何度も見てるだろう?」
「だめ! そこに服があるんで、早く着ちゃってください!」
「わかった」
ユカリノは素直に身繕いをした。布が肌を滑る音にさえ、オーリの頬はひりつく。せっかく収めた熱が、またしても首をもたげそうになるのだ。
「いいぞ」
「はい……わぁ!」
思ったよりユカリノの顔が近い。オーリは慌てて背中を向けた。
「怒っている訳を話せ」
ユカリノは背中からオーリを抱きしめた。オーリがこれにめっぽう弱いと知った上での狼藉である。
「ううう……わかりました。でも、怒ってないです本当に、ちょっと……いや、かなり悲しかっただけです」
「え? やっぱりお前を置いて行ったことか? でも、こうして今二人でいる。これ以上のことはないだろう」
「さっきのこと、ちょっと後悔してます」
「後悔?」
青年の心の中を覗きたくて、ユカリノは広い背中に耳を押し当てた。
「さっき俺たち、死ぬとか殺すとか、よくない言葉をいっぱい使いました」
「……」
「それって、やっぱりだめです。一番いいのは、二人でずっと一緒に生きることだから」
「言霊……というわけか」
「え? なんですか? コトダマ?」
「古いヤマトの言葉だ。強い言葉には命が宿って、同じことが起きてしまうって考え方だ」
「うわぁ! じゃあ。なおさら不吉じゃないですか! やっぱりあんなこと言うんじゃなかった!」
「そうだな、オーリ。お前の言う通りだ。まずは」
ユカリノは、こてんとオーリの背中に額をつけた。
「生き抜くことだ。私たちにはまだすることがある」
「そうですよ!」
オーリは大きくうなずき、ユカリノの体を反転させた。
「ちょっ……」
背中から抱いていたつもりが、強く両肩を掴まれ、銀の瞳に覗き込まれている。その光が眩しくてユカリノは目を逸らせた。
「ユカリノ様、インゲルの守屋を出る時、約束守る気なかったでしょう? というか、死ぬ気満々だったんじゃないですか?」
「そ、そんなことはない!」
「でも、俺を巻き込まないように遠ざけたのでしょう? そのことに俺はやっぱり怒ってるのかもしれません」
「わかった。悪かった」
「じゃあ……じゃあちゃんと、俺の目を見ていってください。もう死ぬなんて言わないって!」
「死なない。オーリとともに生きる。好きだぞ」
とん、とくっつく唇。
「……っ! ユカリノ様ずるい!」
「ずるいのか?」
「ずるいです。俺が逆らえないこと知ってて! 俺はね、ユカリノ様に自分を大事にしてほしいんです。禁欲的に生きられるのも、果てのない戦いに挑み続ける姿を見るのも、めちゃくちゃ悲しい」
「私も、オーリが悲しんでいるのを見るのは悲しい。いつも笑っていてほしい」
「でしょう? もっと言って」
「ずっと一緒にご飯食べたい。抱っこしてほしい」
「よくできました!」
ユカリノの望み通りに、ふんわりと抱き込まれる。オーリの温もりに包まれて、ユカリノは目を閉じた。
「あともう一つだけ行ってもいい? これは夢だけど……」
「なんですか? 言って」
オーリは真正面からユカリノを見つめた。瞳の光がどんどん増している。
「お前の言葉をなぞって、言ってみるだけだけど」
「わーん! 焦らさないでぇ」
「もしも、万が一にでも……」
ユカリノは言葉を切った。頬が染まっているのは、湯上がりというだけではなさそうだ。
「いつか全ての憂いがなくなったら……私は、オーリのお嫁さんになりたい」
「っ!」
一瞬怯んだオーリだが、次の瞬間、がばりとユカリノを抱きしめた。逞しい肩が少し震えている。
「オーリ? また泣いているのか? 泣き虫だなぁ」
子どもをあやすように、ユカリノは腕を伸ばして青年の灰色の頭を撫でた。少し湿った髪が少し輝いている。
「なっ、こんなの泣きますよ。今泣かなくて、いつ泣くんですか! ぐす」
「ぐすって、おい。せっかく湯に入ったんだから、鼻水をつけてくれるなよ」
「づげまぜん!」
オーリはますます深くユカリノを抱き込む。彼は耳まで真っ赤に染まっていた。
「オーリ。やることはまだある。でもな、私達は生きるのも、それからこれは言ってしまうが……死ぬのも一緒だから」
「ええ。ユカリノ様、俺は!」
オーリは拳で涙と鼻水を拭った。
「俺は、全部やり遂げて、ユカリノ様を絶対お嫁さんにします! これは言霊ですよね! 上書きしたから!」
「ああ。そうだな。言霊だ。楽しみにしてる」




