第43話 セルヴァンテの思惑 5
「あっ!」
ユカリノは、ずさりと転んだ。
足首に地面から湧いたケガレが巻き付いている。ガキだけでなく、ケガレも混ざっていたのだ。
くそ! 甘かった!
かなり力の弱ったフツで触手を斬り落とす。
「まだだ。まだ戦える」
ユカリノはなんとか立ち上がった。
「……っ!?」
その背中から、高速で近づくものがある。矢だ!
それは粘っこい大気を裂いて、ユカリノに迫っていたガキの体に突き立った。途端に体が崩れていく。
「なんだ!?」
近づく人の気配。聖都セルヴァの守備兵たちだ。
「ヤマト様! 助太刀致す!」
兵士は十人いた。いずれも弓矢を構えている。
彼らは五人ずつ二列に並ぶと、のろのろとしかし確実に近づくガキ、そしてケガレに向かって次々に矢を放った。
前列のものが放ち終えると素早く後に移り、待ち構えていた後列の五人が素早く次の矢を放つ。
矢は途切れることなく、ガキとケガレの上に降り注いだ。
ユカリノは呆然としていた。
確かにガキは物理的な武器で倒すことができる。しかし、首を飛ばすか、よほど深く切り込まない限り、なかなか動きを止めることは難しいのだ。痛みを感じないガキは、足を片方切っても、体をひん曲げて歩いてくるくらいなのだから。
けれど、彼らの放つ矢は掠っただけでも、ガキを斃すことができている。滅ぼせたかどうかはわからないが。
「どういうことだ……?」
「ユカリノ様、お待ちしておりました!」
守備兵の一人が丁寧に頭を下げる。
「私は聖都セルヴァの守備隊、小隊長のカルロと申します。ユカリノ様のことは、アルブレロ神官長より聞き及んでおります。ここは我々に任せて、早く御身を清められてください。もう少し先に古い守屋があります。左の森の中です」
「わかった。ありがとう」
本当はわかりたくなかったが、とりあえずカルロには悪意はなさそうだったので、ユカリノは礼を言い、疲れた体を引きずって守屋まで歩いた。水音が聞こえてきたのでそれとわかったのだ。
「私が来ることを想定していたな、アルブレロ」
ユカリノは服のまま、守屋のそばに湧いている泉にさぶざぶと入っていった。水は冬ほどではなくても、それなりに冷たい。
だが、その冷たさが瘴気を洗い流してくれるのだ。ガキの油で曇っていた霊刀フツも輝きを取り戻している。
「至れり尽くせりか」
そばの守屋は古いがきちんと手入れされていて、戸棚の中には着替えも、簡易の食料である干し米もあった。火打ち石と火種もあったので、真ん中の炉で火を起こす。
禊の後はいつも空腹になるのが常だ。
オーリがいたら、美味しい夕食を作ってくれたのに。
ユカリノはまたしても、いつも自分を甘やかしてくれる青年を思い浮かべる。
だが、あいつの中を流れる竜の血を、セルヴァンテ……アルブレロは欲しているのだろう。
ガキを無に返した兵士の矢も、以前彼から取った血を使ったものか、それとも……。
腹が満ち、体が温まると眠くなる。この守屋に寝間はなかったが、戸棚に毛布があったので、炉の前で体を丸めた。
すぐに眠りが満ちてくる。懸念があっても体が休息を欲しているのだろう。
明日はいよいよセルヴァに入り、神官長アルブレロに対し、ケガレに起きている異常事態、そしてセルヴァンテの思惑を追求しないといけないのだ。
「オーリ。お前がいなくてよかった……でも、すごく頼りない気がするんだ」
毛布にくるまってユカリノはつぶやく。自分の声がひどく弱いことが情けなかった。
今ここには、力強く体に回される腕も、首筋に熱く押し当てられる唇もない。
最後に髪に刺してくれた花は、とっくに枯れて散ってしまった。
「オーリ……お前が恋しい。お前に会いたい。口を吸ってほしい」
それはヤマトにあるまじき、軟弱な感情だ。しかし、まごうことなき、ユカリノの本心だった。
寒い……けど、お前に抱かれて眠ることは、もうないのかもしれない。私は約束を破ってしまうのか?
オーリは怒るだろうか? きっと怒るだろうな。
文句を垂れる彼の顔が暗闇に浮かぶようで、ユカリノは薄く笑った。
だが今は、眠らなければと目を閉じる。
一筋の涙が頬を伝って落ちたことを、眠るユカリノは気がつかなかった。




