第42話 セルヴァンテの思惑 4
村を出て一時間。暗い街道を進む。
馬は宿に置いてきた。ケガレの犠牲になっては可哀想だからだ。
すでに深夜を周り、街道筋には人の姿はどこにもない。両側からは木々が道に被さり、空を覆っている。
もはや初春ではないような、ぬるい風がユカリノの頬を撫でた。
梢が揺れる。風が生臭くなる。
来る!
右手から、左手から、おびただしい数のケガレが。
ユカリノはマントを脱ぎ捨てると、霊刀フツをひやりと抜いた。
ぬばっ!
両側の木立ちの隙間から、いく筋も伸びる赤黒い粘膜と触手。
ユカリノは軽く跳躍し、触手が伸び切る前に切断した。フツに触れられた触手は根元まで霧散していく。
完全には祓い切れないな。多分、両側に大きな個体がいるのだろう。そいつまで辿り着かないと!
猫のようにしなやかに舞いながら、ユカリノはまず、右の森に分け入った。
森の中での戦闘は得意だ。木々の間を掻い潜り、ケガレを次々に祓いながらユカリノは森の奥へと駆ける。
およそ五百メルトほど進んだところで足を止めた。
「これは!」
思わず見上げた先。
オーリの背丈の倍はあろうかと思える、大きな塊がそこにあった。こんな時でなければ、笑ってしまうほど滑稽な丸い形。大昔、ヤマトで好まれたモチという、米を蒸して丸めた食物に似ている。
ただ、阿呆のようにでかい。そこから無数の触手が伸びているのだ。
「きっとここらのケガレが全部合わさったんだろうな。なんでかは知らんが多分、無理くり餅のようにくっつけられた」
ところどころに赤いヒビが入った黒いモチ──ケガレは、笑うように身を震わせた。
「こんなにでかいと、フツでは祓いきれないかもしれない」
ユカリノは大きなため息をついた。
「まぁ、それでもやりようはあるだろ」
ユカリノとて、以前大型のケガレに苦戦した時から、何も対策をしていなかったわけではない。
「私の中にはオーリがいる」
そういうと、ユカリノは手甲を外すと、皮膚を薄く切ってフツに血を垂らした。等身は一瞬震えるように光り、刀身が血を吸う。
ユカリノは一番近くの枝まで跳び、更に高い枝へと飛び移った。それを何回か繰り返し、ようやく、巨大な塊よりも高い位置に立つ。
ケガレは一瞬ユカリノを見失ったように、触手を彷徨わせていたが、やがて気配を感じ取ったらしく、ユカリノが立っている太い木の根元から、捻り込むように這い上がってくる。
「……思った通りだ」
触手がギリギリまで伸びてくるのを待ってから、ユカリノはケガレの真ん中に向かって跳んだ。触手を伸ばし切った分、ケガレは幾分小さくなっている。
「やっ!」
反動をつけてユカリノは夜空に舞った。ケガレの中心部分へ向けて。
腕を伸ばしてフツを地面に垂直に握る。霊刀より前に自分の身がケガレに触れてしまっては、ユカリノにもダメージが大きくなるのだ。
「往ね! 穢らわしき死霊よ! 御身の嘆きはこのヤマト、ユカリノが晴らしてやろうほどに!」
そう叫びながらユカリノは真下へ、ケガレと中心へと落下し、自重を利用しながら抉るように、自分とオーリの血を吸ったフツをねじ込む。
「リン・トウ・ビョウ・シャ・カイ・ジン・レツ・ザイ・ゼン!」
左手で印を切る。手応えはあった。
ケガレを斬る時の、不快な感触が剣先から伝わる。触れた瞬間、その部分からケガレは黒い霧となって散っていくのだ。深い穴に落ちていくようにユカリノはケガレに吸い込まれる。
そして霧が晴れた時、森の中にはすっくりと立つ白い姿があった。
「……気色が悪い」
直接触れはしなかったものの、ケガレの中に突っ込んだのだ。当然瘴気に当てられている。ユカリノの唇は真っ青だった。
しかし、これで終わったわけではない。ユカリノが祓ったのは、街道の左側に潜んでいたケガレだけだ。感じた気配は両側からだった。
よろよろと街道に出る。
「……うわ」
そこには人の形をとったケガレ──ガキが、ひしめきあっていたのだ。古いものから新しいものまで五、六十体はいるだろうか。今までどこに潜んでいたものか。
「まぁ、そうだろうな」
ユカリノは息を切らせて言った。
普段なら泉か川で禊をして、浴びた瘴気を洗い流すのだが、今ここに水は見当たらない。
それにユカリノの愛刀フツは、ケガレには有効だが、物理的な肉体を持ったガキには普通の刀程度の効力しかない。
蹴散らしてから逃げるか。
ユカリノは一番手前のガキに向かってフツを八相に構えた。
「やああっ!」
気合いと共に、ゆらゆら蠢くガキの首を飛ばす。首はゴロゴロと転がり、真っ黒な口腔からなんとも言えない叫びを発してから崩れた。
そのまま数体を斬っていく。十体は倒したかと思うところで、ユカリノが膝をついた。
「くそっ!」
先ほどの瘴気が、浴びた死骸の血が、ユカリノの肉体を蝕むのだ。
ここまでか。
ユカリノは、額を伝う赤黒い血が目に入る前に、手甲で拭った。
逃げるための体力は残してある。
ユカリノはゆらりと腕を伸ばした若い男のガキの首を落とした。オーリと同じような背格好の青年だ。
「オーリ、ごめん」
どうして今、その名が口からこぼれたのか。
いつも、彼女を助け、盾になってくれる青年は今、ここにはいない。
自分が遠ざけてしまったから。
約束を破ってしまうかもしれない。
「お前を守りたかったから」
トモエが死に、サキモリの知らせが真実ならば、危険があるのは自分ではなく、オーリなのだから。
「オーリ!」
街道を北へと走りながら、ユカリノは限りなく慕わしい青年の名を読んだ。




