第39話 セルヴァンテの思惑 1
オーリは森の東へと駆けた。
サキモリに会って、何が起きたのか確かめないといけない。
ユカリノが話してくれないものを、サキモリが話してくれるかどうかはわからないが、どうしても尋ねなくてはならなかった。
森の旅は普通なら二日かかる。オーリは時折休息をとりながら、一日で駆け通した。道中、携帯用の干し肉と水以外は取らず、ほとんど眠りもしなかったが、体は平気だった。
ケガレも出ない。たまに小さな染みが浮き出す気配はあったが、襲ってくることはなく、むしろ地中深くに潜む様子だ。
この辺りのケガレは、ユカリノ様が一掃したからな。
駆けながらオーリは思う。オーリの知る限り、ユカリノは最強のヤマトなのだ。
サキモリが隠れる古い守屋が見えてきたのは、翌日の午後だった。
合図のフクロウの鳴き真似で男が扉を開ける。
「……オーリか?」
「はい。ユカリノ様からの書状をお届けに」
「入れ」
古い守屋には明かりも、炉の火も入っていなかったが、隻腕のサキモリは難なく書面を広げると、さらさらと目を通した。
「サキモリさん、この一件の経緯を教えていただきたいです。全て」
オーリはサキモリに向き合った。
「あなたはユカリノ様とセルヴァンテとの連絡役でしょう? そのあなたがこんなところに隠れるってことは、何か重大なことがあったんですよね? トモエさんはどうして亡くなったんです」
「……」
サキモリは答えず、食事の支度を始めた。
大きな火は起こしたくないのか、炭を使って沸かした湯で米を煮る。お粥だ。そこに味付けの粉を入れると腕に盛り、オーリに差し出した。
「まず、食え」
「……」
食事などより話を聞きたい気持が逸るが、サキモリの態度を見るに、容易に口を開きそうもない。オーリは諦めて粥をかっこんだ。
「食った後で申し訳ないが、胸糞が悪くなる話だよ」
「覚悟してます」
食事を終えたオーリが答えると、サキモリはさらに考え込むように目を閉じていたが、やがて話し出した。
「そうだな。お前には聞く権利があるかもしれない」
大昔、この大陸で人間を支配していたのは、竜族と呼ばれる強い人種だった。彼らは全身を銀色の強い皮膚に覆われ、寒さにも暑さにも強く、身体能力に優れる。しかも治癒能力が高い。
しかし体は強くても、不老でも不死でもない龍族の生殖能力は低く、生まれる子供は次第に少なくなっていった。一方、人間はどんどん増えていく。
次第に両者の均衡は崩れ、長い年月の末、ついに人間の方が強者になった。
しかも人間は竜族の強さと美しさに憧れ、竜族との交配、交接を積極的に進めたのだ。
世代に世代を重ね、竜族と人間の混血は進んだ。
結果、純血の竜族は滅んだ。それが三百年ほど前だ。しかし、竜族の強い遺伝子は、人間の奥底で眠りながら受け継がれ続けた。
が、稀に。
「お前のような人間が生まれる」
「あなたも聞かされたんですね」
ここまでは、オーリもアルブレロから聞いた話だった。
「私はセルヴァンテ側の人間だったからな。ご両親が、君を忌むべきものとして捨てたことは聞いた」
「……」
「だが、今はそうではない。竜族の末裔である君は、この大陸で大変貴重な存在となっているんだ」
「もしかして、俺みたいな奴が俺の他にもいるとか?」
「察しがいいな。現在確認されているのは、君を含めて三人だけだ。うち一人は壮年の男、もう一人は君と同じくらいの娘だよ。二人ともセルヴァに保護されている」
「保護?」
「ああ、確かに大切に保護されている。名目上はね。お前、以前アルブレロ師に血を抜かれただろう?」
「ええ。ユカリノ様の身の安全と引き換えに」
「君の血、つまり竜族の血に眠る情報は、ケガレに大いなる力を発揮する」
「……」
オーリにも、もうわかっていた。
なぜ自分が休まなくても疲れないのか、傷がすぐに治るのか。それが竜族の血だということを。だから、ケガレはオーリを威嚇はするが、積極的に襲ってこない。
子どもの頃はまだ、それほど力が強くなったのか、殺されそうになったことがあった。そこをユカリノに救われた。
だが、成長するにつれ、ケガレの動きが読めるようになり、自分の血を含ませた武器は確実に効果があった。
そして彼の血を飲んだユカリノも、戦闘能力が上がったのだ。
「俺の血。もしかしてセルヴァンテは……俺を殺して血を抜こうと?」
「いや、それ以上だな」
サキモリはそこで言葉を切った。
「これ以上悪いことが?」
オーリの顔が怒りで歪む。それはユカリノに見せたことがない表情。犬歯が尖りはじめ、灰色の瞳と髪が銀色の光を帯び、虹彩さえ鋭く縦に伸びているのだ。
サキモリの額に汗が浮かんだ。かつてケガレを相手に戦った彼にしては、非常に珍しいことである。
な、なんだ、この圧は。
これが竜族──なのか?
彼はまさに竜だった。
怒りを帯びたオーリの姿は美しくも不吉で、普段の気のいい青年からはかけ離れた圧がある。明らかに人ではない圧が。
サキモリの背中に冷たい汗が流れる。
「お、オーリ、落ち着け、頼むから落ち着いてくれ」
サキモリの言葉にオーリは、その銀の瞳を閉じた。途端に圧が半減する。
「……セルヴァンテは何をしようとしている? ユカリノ様は無事なんですか?」
たっぷり十呼吸を置いてから、オーリは尋ねた。
「おそらく。だが、今はオーリ、お前のことだ」
「俺?」
「セルヴァンテは、竜族の末裔同士を掛け合わせようとしている」
「掛け合わせだって?」
「そう。お前たち、竜族の復活だ」