第36話 北東からの風 1
「ユカリノ様! 右の三体、縫いつけました!」
オーリの放った矢が深々と地面に刺さり、滲み出ようとしたケガレの動きを封じていた。矢尻にはオーリの血が塗ってある。少量なので効果は一時的だが、ユカリノの支援には十分だ。
「たぁ!」
ぶよぶよともがくケガレに、霊刀フツが閃き、浄化する。
「やった! 気配はもうありません!」
二人で血を交わしあった夜の後、ユカリノとオーリの戦闘能力は増し、インゲルの森に湧く、ほとんどのケガレを払い尽くしたように見えた。
大きな城壁のある都市とは違い、壁の低いインゲルの町。
以前、ユカリノが伏せった時にケガレの侵入を許し混乱が起きたが、それ以降、ケガレが侵入することもなく、人を喰らうガキも出さずにすんでいる。
たまに訪ねてくるサキモリやイニチャが言うには、この現象は、ケガレが消滅したわけではなく、何らかの理由で移動しているのではないかという意見だった。
ユカリノも同意見だ。
ケガレのほとんどは北……それも、北東へと流れてるのではないか?
ただ、インゲルの町が平穏なことは良いことだと思っている。
町の人たちがユカリノを見る目も随分変わった。オーリが率先して、ユカリノが命をかけてこの町を守っていると声を上げるようになったこともある。
オーリは、今ではユカリノの守屋のそばに自分で小屋を立て、そこで暮らしていた。
もちろん、昼間はインゲルの街で働いている。器用な彼は鍛冶場や大工の組合、牧畜農家からも引っ張りだこだ。彼は労働の対価として賃金を得、セルヴァンテからの物資の中にはない、髪飾りや食品、菓子などを買ってユカリノに捧げる。
ユカリノに物欲はないが、オーリのくれるものはどれも嬉しそうに受け取り、生活の糧にしていた。
ある日の朝、オーリは大きな箱を持ってきた。
ここ数日ケガレの出る気配がなく、ユカリノは久しぶりの休息を味わっている。
「オーリ、それは何? 随分大きいな」
「ミラの結婚式に招待されたんです。実は今日の午後、広場でお祝いだそうで」
「そうか、ミラがいよいよお嫁さんか。式にはオーリも出るんだろ?」
「ええ。で、ミラがユカリノ様にも出席してほしいって」
「え? 私が?」
「そうです。だからこれ、服を持ってきました。その……俺からの贈り物ってことで……」
「え、いや……私は、そんな晴れの日にふさわしくないから……」
ユカリノはふいと顔を背けた。
「そうですか? じゃあ俺も行きません」
「いや、オーリは祝ってあげなさい。ミラはオーリを慕っていたのだから」
「だったら、ユカリノ様もご一緒に」
「……ずるいぞ」
ユカリノは恨めしそうにオーリを睨んだ。
「俺だって、策略くらい巡らせるんです。さぁユカリノ様、観念して着替えましょう! いつもの服も素敵だけど、たまにはこういうのもいいじゃないですか?」
そう言って、オーリは大きな箱を開いた。
そこには町の娘の晴れ着が入っていた。ふんわりしたクリーム色の下ワンピース、その上に着る刺繍入りの紺色の上ワンピースは、翻りやすいように脇にスリットが入っている。髪飾りに、靴に、靴下まで揃っていた。
「どうですか?」
「こんな可愛らしい服……やだ。恥ずかしい」
オーリが広げた服を眺めていたユカリノは、やはり顔を背けてしまった。さっきと違うのは、ほんのり頬が染まっていることだ。
「絶対似合いますって! 何しろ俺が選んだんですから」
「オーリが?」
「はいそうです! 俺が稼いだ金で買いました!」
「高かったんじゃ……」
「ユカリノ様、そういうのを野暮って言うんですよ。さぁ、当ててみてください」
オーリはそう言って、ユカリノを流しの横にある鏡の前まで連れて行った。この鏡も、オーリが骨董屋から手に入れて取り付けたものである。
「ほらね、とても似合う」
背後から腕を回して晴れ着をユカリノに当てたオーリは、細い首に唇を添わしながら微笑んだ。
「すごくすごく可愛いです。俺ユカリノ様が着たところ見たい。着てください」
「……っ!」
耳元で囁かれ、真っ赤になったのはユカリノの方だった。いつもはオーリが真っ赤になるのに。
「ねぇ俺、着付けられますよ?」
「じっ、自分で着る!」
ユカリノは足を踏み鳴らして寝室へと入ると、しばらくして、出てきた。意外にちゃんと着こなせているが、帯が胸の下で縦結びになっている。
「ちょっと失礼〜」
オーリは器用に、裏表で二色の帯を器用にリボンの形に結んでいく。そしていつものように腰をかけさせると、今度は髪を結い出した。
「せっかく買ったんですから、髪飾りもつけましょう。黒髪に映えるように、銀色なんです」
ユカリノのいつもの髪型は、二つに分けた髪を耳の横で輪にするものだ。
しかし今日は脇髪を掬い上げて編み込んでいくと、頭の後ろで髪飾りで止めつけた。残りは念入りに梳って背中に流す。
「じ・つ・は、紅も買ってきたんですよ〜」
小さな蓋つきの容器に入っていたものは、淡い桃色の口紅だった。
「ね? 可愛い色でしょう? つけましょうよ」
「やだ! そんなものつけたことない! 第一どうやって塗るんだ? 筆か?」
「やだな、ユカリノ様。ほら、こうするんです」
そういうと、オーリはユカリノの返事も待たず、自分の無骨な小指で紅を少し掬い取ると、呆気に取られているユカリノの唇に触れた。
「そうそう、じっとしててくださいよ。すぐ終わりますからね〜」
「……」
ユカリノは真剣な顔をしているオーリを見れらたくなくて、頬を染めながら目を閉じた。その途端、オーリが息を小さく引き、体が少しこわばらせた。
「オーリ?」
「ごめんなさい。後で塗り直しますから」
口づけは、触れるだけだとユカリノは思っていた。
しかし、オーリの唇はなかなか離れてくれない。角度を変えながらせっかく塗った紅を拭いとるように、執拗にユカリノを貪る。やがて熱い塊が情けを乞うようにユカリノを突いた。
私もどうしようもないな。こいつが愛しくてたまらない。
オーリに簡単に侵入を許したユカリノもまた、彼にしがみついて口づけをねだる。
「ああ……こんな日が来るなんて……」
オーリはユカリノに息をつかせるため、唇を浮かせた合間にため息をついた。
「俺一生、我慢を貫く覚悟してたから」
「オーリ、オーリ、重いよ。それにちょっと変だ」
「あ……すみません。嬉し過ぎて興奮しすぎました。紅つけ直しますね」
指は丁寧に小さな唇の上を滑っていく。見つめ合ったまま、ユカリノの唇が染まっていく。
「はい、できた! 見てください」
オーリは明るく言ってユカリノを鏡の前に向かせた。園子しが幾分引けているが、ユカリノにはわからない。ただ鏡を見ていた。
そこには髪を半分結って背中に流し、桃色の唇をした娘が目を見張っている。
「ああもう! なんでこんなに綺麗なの?」
「さっきは可愛いとか言わなかったか?」
「綺麗で可愛いんですぅ! さ、行きましょ!」
オーリはなおも躊躇っているユカリノの手を取った。
そして、冬の最後のよく晴れた日。
ミラの結婚式が行われた。




