第35話 二つの種族 3
頭がぼうっとしている。
ユカリノ様から俺にく……口づけを?
自分からしたことはあった、その時はユカリノが辛そうだったので、必死で自分を抑えた。
けれど今は。
こっ、これはいわゆる、プロポーズってやつを、受け入れてくれたってことになるのか!?
オーリは、背伸びwpしているユカリノを抱き込むように腰を折った。
「ああ……好きです! ユカリノ様、大好き!」
「うん。だからちょっとだけ我慢してくれ」
「え?」
戦慄く唇を割るようにして、小さな熱い肉がオーリの口の中に侵入してきた。
「ん……ん……」
目を閉じたユカリノは、眉を顰めて少し難しい顔をしている。
「むぅ……やっぱり舌は難しいな。オーリ、すまないけど膝をついて」
「は、はいぃ!」
期待に胸を高鳴らせてオーリが床に沈み込む。
「ちょっと噛む」
オーリの唇をユカリノが覆い、小さな犬歯が食い込んだ。瞬間、鋭く甘美な痛みがオーリの喉を震わせる。
「んっ! んんっ……」
うわぁ……なんて甘い……ユカリノ様が俺の血を飲んでる! そして傷を癒そうとしてくださってる。
血を舐めとるユカリノの熱い部分を感じ、オーリは恍惚となった。体の奥に火が灯る。
「んん……これでいいかな。オーリ大丈夫か?」
ユカリノは唇を話して、自分の唇の周りを拭っている。
「だいじょうぶれす……」
オーリの頬は、これ以上ないくらい緩んでいる。いわゆるだらしのない顔だ。
「変な顔をしているな。いきなり悪かった」
「いいえ〜。でもどうして?」
「以前、私はオーリの指の血を飲んだことあったろう?」
「ええと、あれはソドラに行く前でしたっけ。俺がナイフで指を切って……」
「そうだ。あの後の戦闘で、私はよく体が動き、触手の動きも予見できた。大きなケガレをお前と一緒に祓ったな」
「えっと……はぁ」
さっきまでの甘い雰囲気は、なんだったの?
オーリが拍子抜けするほど、ユカリノの顔は真面目だ。
「その時は深く考えなかった。でも、オーリはケガレに傷つけられても、ガキにはならなかった。あれからずっと考え続けて、もしかして、オーリには……オーリの血には、特別な力があるんじゃないかと、思い当たった」
「……アルブレロさんと何か話しました?」
オーリは、アルブレロに乞われ、血を与えている。
しかし、その事をユカリノは知らないはずだった。だから、ユカリノは自分で、アルブレロと同じ考えに至ったとしか思えない。
「ふぅん……つまり、アルブレロもお前に、血を強請ったのか」
「い、いえ……あの、そうです。血を取られました」
ユカリノの洞察は鋭い。オーリはすぐに降参した。
ユカリノにこれ以上負担をかけないという条件で、オーリはアルブレロにかなりの量の血を与えた。大きめのカップ一杯分の量だ。
「セルヴァンテは、ヤマトに一体一体祓わせるよりも効率良く、ケガレを一掃しようと考えている」
「それってどういう?」
「オーリも知っているだろう? 普通の武器では祓えない悪霊であるケガレが、人を喰ってしまえば、肉体のあるガキとなって、普通の人間にも殺すことができる」
「だっ! だけどそれは、ガキに喰われて、犠牲になる人がいるって前提で!」
オーリは思わず震えた。ガキの虚な目を思い出したのだ。底知れない虚無を秘めた闇を。
「だから、犠牲を作るつもりなんだよ。今回は病んだ娼婦だった」
「でも、ガキは自ら仲間を増やしていた! そのやり方ではガキを増やすだけです」
「うん。その辺は想定外だったんだろうな。奴らの中の腐った脳が鈍く機能していて、仲間を増やしたいという欲望のみで人間を襲う。私たちがそれを証明した」
「……」
「そしてオーリ、お前がいたから奴らを斃せた」
「そんな。俺は……」
「オーリ」
ユカリノは自分を見下ろす、逞しい青年の肩に手を置く。
「お前はかつて、大陸に君臨した竜族の末裔なのだろう?」
「アルブレロに聞いたんですか?」
「初めて会った時、お前に肌を見せられた。その時は生まれつきなんだろう、かわいそうに、と思っただけだが、傷の治りが早いこと、町と森で働きづめなのに疲れないこと、そして何よりケガレがお前を警戒している様子を見て、私なりに仮定を立てるようになった」
「仮説……?」
「ああ。大きな街に行った時、セルヴァンテの書庫で調べもした。特に秘密でもなく、竜族に関する本はいくつもあったよ」
「……そんなこと一言も俺には」
「お前が嫌がるかもしれないと思ったからだ。傷つくかもしれないとも」
「……」
「竜族というのは、人間より上位の存在だったのだろう」
「でも滅んでしまったと」
「滅んでない。オーリの中に血を繋いでいる」
「俺はずっとこの皮膚のおかげで、忌むべき子でした。竜族なんて知りませんし、今更そんなこと言われても……」
「そうだな。オーリも私も、この大陸では異分子なんだ。勝手に利用され、忌み嫌われる。だから助け合えるだろう? 婚姻はできなくても」
「……」
「たとえお前が何者でも、私にはオーリはオーリだ。優しくて強くて可愛い、私の小さなオーリだ」
「ユ……ユカリノ様より、だいぶん大きくなりました」
オーリは深く俯いた。広い肩が震えている。
「泣いているのか? オーリ」
「べっ、別に……」
「何も心配いらないよ、オーリ。私たちは今までのまま何も変わらない。一緒にケガレと戦おう。セルヴァンテの思惑に乗るのは業腹だが、お前を育てた町の人たちを守ると思えば、この戦いにも意味はある」
「俺を育ててくれたのはユカリノ様です」
「私はお前に戦いしか教えなかった。お前がこんなにいい男になったのは、インゲルの町の人のおかげだ」
「……だから俺に口づけをしたのですか? 感謝……的な意味で?」
「違う。オーリだから」
「俺だから?」
「口づけしたいと思った……オーリ、好きだよ。私はオーリの体と心が好きだ。愛しい」
「ユカリノ様……」
男にしては大きめの、オーリの目から溢れるものがある。
「なんで泣いてる」
「だって、嬉しくて……俺、もうずっと、俺だけがユカリノ様のこと、愛しく思ってるって……」
「オーリってば、苦しいよ」
オーリの腕は、ユカリノの体に回り込んでもまだ余る。その全身全霊で、青年は愛する娘を抱きしめていた。
「ユカリノ様、好きです! そんで好きよりもずっと愛しいです。俺だけのものだってみんなに言いたい!」
「でも、お嫁さんにはなれないぞ」
「そんなのいいんです。俺、ずっとユカリノ様のそばにいられたら、それで……あの。お願いが」
「なに?」
「俺にもユカリノ様の血をくださいませんか?」
「ん……いいぞ」
「え? いいんですか?」
「ああ。好きなだけ、取るがいい。アスカを」
ユカリノはオーリに与えた刀子アスカを受け取ると、自分の指先を突いた。
真っ赤な血が細い指を伝って流れた。
オーリの目が銀色に輝く。
「以前、私がやったようにして」
「……つ!」
ユカリノの言葉が終わる前に、オーリは白い指を深く口に含む。
「……あ」
その刺激に、ユカリノの体が反った。竜族の末裔の青年は、その腰を逃さない。夢中で血を啜っている。
「甘い……甘いです。ユカリノ様……」
オーリはようやく指を解放すると、ぺろりと唇を舐めた。
「愛してます。ユカリノ様」
唇が重なり、ヤマトと竜族、両方の種族の体液が舌を介して混じり合う。それは滅びゆく者同士の血の口づけだった。
甘美で危険な味。二人は体を絡めせあい、何度もお互いの血と唇を求め続けた。
それは運命の夜だった。




