第34話 二つの種族 2
「……さま! リノ様」
「んぁ?」
ユカリノの目の前に、オーリの大きな瞳があった。
「わ! 近い近い!」
「あ、ごめんなさい。でも、もう夕方ですし、お腹空かれたかなって思って」
オーリは前かけをぱたぱたさせて、ユカリノに粥の匂いを送っている。狭い寝間に具のたっぷり入った粥の香りが流れ込んでいた。
「空いてる……」
「でしょう? 絶対あのまま眠ってしまわれると思ったんです。さ! 食べましょう。俺も腹ペコです。今日は卵焼きも作ったんですよ」
「卵焼き……起きる」
「待ってまーす」
ユカリノが着替えて卓につく頃には、すっかり食事の用意が整っている。粥と卵焼き、そして串焼きの肉を野菜の上に並べた大皿があった。
「豪勢だな」
ユカリノは熱い粥の器を受け取りながら、視線は串焼きと卵焼きの両方をうろうろしている。
「いただきます」
二人はしばらく黙々と食べ続けた。
「よかった! ユカリノ様、食欲が戻られて。ソドラ以来あまり食べてなかったから」
「うん……オーリ」
「はい?」
「ミラと何を話したんだ?」
ユカリノは粥の腕を見つめながら尋ねた。
「ああそうそう! いいことでしたよ。ミラね、結婚するそうです」
「……結婚? オーリと!?」
はっとユカリノが顔を上げる。
「は? なんでそうなるんですか! 違いますって!」
「あ、そうなの?」
「そうですよ! 店のお得意さんに見染められたって! 俺たちが旅立ってすぐ話がまとまったそうです」
「へぇ、それはめでたい話だな。でもなんで、思い詰めた顔で オーリに話があるなんて言ったんだろう?」
「それは……」
オーリは気まずそうにユカリノから目を逸らした。
「俺に報告することで、区切りをつけたかったって言ってました。それで」
「それで?」
「最後に俺からキスして欲しいって」
オーリはユカリノに、隠ごとをしたくなかったので、馬鹿正直に告げた。
「……ごめんなさい。ちょっとだけミラとキスしました」
「なんで謝る? 私にだってわかるよ、ミラの気持ちが。ずっと好きだったオーリに最後のお願いをしたかったんだろう。やっぱりミラは私などより大人だ」
私なんて、オーリとミラが何をするのか気になって、悶々としながらフテ寝したのに……。
「でもオーリ、口づけとキスの違いはなんだ?」
「わかんないです。俺的には触れるだけの、ちょんとしたのがキスで、口づけは……」
「うんうん」
「ユカリノ様のいう、愛しいを確かめ合うものかと……」
頬を染めてオーリがもぐもぐ呟いている。
「オーリは結婚しないのか?」
「は? ケッコン?」
「そう、子ども作るやつ」
ユカリノの知識は単純だ。
「結婚? 子ども? しません! しませんから!」
「なんで?」
「いやむしろ俺が聞きたいです! なんでユカリノ様は、俺が結婚するって思ったんです?」
「だって、町の様子を見ていたら、大体オーリと同じくらいの年頃で、結婚ってやつをするんだろう?」
「平均値だと思いますが、俺はしません」
「なんで?」
「町に好きな子いないから!」
これは真実なので、オーリはユカリノの前で堂々と胸を張る。
「じゃあどこにいる?」
「なんでそうなるの? 目の前にいるんです! 俺はユカリノ様が好きだから、結婚するならユカリノ様としたいです!」
一息に言い切った。
「あー……」
ユカリノはゆっくりと目を逸らす。
「嬉しいけど、お腹すいた……もっとお粥食べたい」
「ちょっと! そのうっすい反応なんですか! 俺、今めちゃくちゃ勇気振り絞ったんですけど!」
「だって、オーリ」
「なんです! はい、お粥どうぞ!」
オーリはぷりぷりしながらお粥をよそった。
「私はここでは異分子だ。人は異分子と結婚できないんだろう?」
「異分子? ユカリノ様が?」
「うん、だって……私はケガレを祓うことしかできない、生産性も何もない。意志はあるけど、セルヴァンテに管理されて、成長も抑制されている」
「ゆっくりでも大きくなられてます!」
出会った頃のユカリノは十三、四歳の少女の姿だった。十年後の今は、その時から三年くらい成長している。薬の服用を減らしたためだ。
今は綺麗な曲線を形成し始めた、美しい娘である。
なのに着飾ることもしないで、剣を手に悪霊と戦っているのだ。オーリはそれが辛かった。
「うん。薬の多用で死なれちゃ困るんだろう。でも、あんなに小さかったオーリは、今や立派な青年で……あっという間に大人になる。でも私は……」
「薬なんでやめたらいいんです!」
「けど、歳をとったら戦えない。薬を飲んで成長を抑えても、ヤマトの力は有限だ。サキモリを知ってるだろ? 傷を負えば霊力は弱まる」
「だからって、この大陸の産物である悪霊を、ヤマトが祓ってやる義理はないんですよ!」
「でもだって、私はこれしか生きる手段がない」
「できます!」
「できないよ。大陸に渡ってきた先祖と違って、私はこの大陸で生まれたヤマトだから……故国も知らない」
「だったら、俺のお嫁さんになればいいでしょう!」
「だから、お嫁さんにはなれないんだって。それより私は、オーリのお嫁さんを見てみたい」
真っ赤になって固まってしまったオーリに、ユカリノはわざと明るくいった。
「……ひどい」
「え?」
俯いていたオーリは。ユカリノを見ないで立ち上がる。
「もう! ほら、お粥こぼしてます。ああ、自分でやらないで、俺が全部片付けます! ユカリノ様は黙ってそこに座ってて!」
自分の目が濡れていることを知られたくなくて、オーリは食器を下げながら背を向ける。
人の気も知らないで!
自分の感情を扱いかねた青年は、大きな水音を立てて食器を洗った。
ぱりん
「うわ! すみません!」
無意識に力をこめてしまったらしく、オーリの手の中で器が真二つに割れている。
「大丈夫か!」
ユカリノが飛んでくる。
「すみません。この器、お気に入りだったですよね?」
それは美しく彩色された、磁器と呼ばれるヤマトの持ち物である。ヤマトの持ち物は代々継承されるから、この皿も元はアキツクニから来たものかもしれない。
「ごめんなさ……」
「怪我はないか?」
「ないです。俺が馬鹿力で割っただけで……綺麗な器だったのに」
「ものは、いつかは壊れるものさ」
ユカリノはこともなげに言って、二つの欠片を並べた。
「聞くところによると、アキツクニでは金継ぎと言って、割れたり欠けたりした陶磁器を金で繋ぐやり方があったそうだ。でも私はそんなことできないから、これはもう捨てる」
「だめ。捨てません」
オーリは二つの欠片を丁寧に布で包んだ。
「捨てません。いつかユカリノ様とアキツクニへ行った時、その……金継ぎ、で直してもらうんだ。そしたら二つが一つになる。結婚みたいに」
オーリは真っ赤な顔で俯いた。
「オーリ。顔を上げて」
「……」
「上げて。さっきはすまなかった。オーリが言ったことを茶化してしまった」
「……そうですよ。ユカリノ様は意地悪だ」
おずおずと顔を上げたオーリの目の前に、真っ黒な瞳がある。
「すまない。今からもっと意地悪をする」
そしてユカリノは、オーリの唇に自分のそれを重ねた。




