第33話 二つの種族 1
明くる朝早く、ユカリノは目を覚ました。
不思議と体が軽い。
昨夜の戦いで浴びたケガレの瘴気や、その後の禊のことを考えると、もっと体力を消耗していても不思議はないのに。
「オーリ? どこ?」
呼べばすぐに来てくれる慕わしい青年がいない。代わりに知らない女がやってきた。
「ユカリノ様、お目覚めですか?」
「あなたは?」
「この正殿に使えるホーリアと申します。昨夜お会いしております」
「……覚えていない」
「昨夜はかなりお疲れでしたから。どうぞなんでもお申し付けください」
「ありがとう。で、オーリは?」
起き上がったユカリノの目は、既にホーリアを見ていない。
「オーリ様は……隣の部屋で休まれています」
「そう」
「朝食を召し上がられますか? 準備はできております」
「朝食……?」
尋ねられて、ユカリノは自分がひどく空腹なことに気がついた。けれど、馴染みのない場所で、オーリがそばにいない食事は心もとなく思った。
「私はオーリと共に食べたい。呼べないのか?」
「……いいえ。お待ちください」
「ユカリノさまぁ!」
ホーリアが扉を開けた瞬間、廊下で待ち構えていたらしい青年が転がり込んできた。
「お身体は? どこかお辛いところはありませんか?」
オーリはユカリノの周りをぐるぐる回って、状態を確かめている。
「ないよ。オーリこそ怪我をしていたろう? 昨日は余裕がなくてすまなかった。大丈夫か? 傷を見せて」
「俺の怪我なんて、ほら! いつも通り! この通り!」
オーリは手首に薄く巻かれた包帯を解いて、傷跡を見せた。
「いつも通り? いや……いつもより治りが遅いように見える」
「ええ〜? 普通ですよぉ」
笑いながら、オーリはユカリノの観察眼に密かに驚いていた。
ガキの首に噛まれた手首の傷は、一旦塞がっていたが、そこを昨夜アルブレロが再び開いたのだ。血を取るために。二度開いた傷だから、それだけ治りも遅い。
『俺の血をやったら、ユカリノ様にこれ以上、無理をさせないと約束するか?』
これがオーリの出した条件だった。アルブレロは黙って頷いた。
「ユカリノ様に心配されてもらって俺、嬉しいです」
「あたりまえだろ? 本当に大丈夫か? ちょっと腫れているじゃないか」
「平気です。俺、本当に丈夫みたいですよ。それより、お腹減ってません? 朝ご飯食べました?」
「食べてない……お腹減った」
「はい。すぐにお持ちしますね! 一緒に食べましょう! あ、ホーリアさん、あなたもういいです。俺がお世話しますから!」
オーリはいつも機嫌がいいが、この朝はさらに晴れやかだ。ユカリノが少し不自然に思うほどに。
「……ああ、頼むよ」
だが、ユカリノはあえて尋ねなかった。ここはあまり話したくなるような場所ではなかったからだ。
「はい、どうぞ! あ、でも待ってください。念のため。昨日の今日ですし」
オーリはユカリノの皿から少し取って食べた。毒味である。ここに来てからからずっとそうだった。
「気にしすぎじゃないかな? 私にだって毒の有無くらいわかる」
「気にしすぎでいいんです」
「でも、お前が毒にあたったら……」
「だから大丈夫ですって。俺、丈夫で鈍感だから」
「丈夫かもしれないけど、鈍感ではないよ。オーリはとても繊細だ」
ユカリノは真っ赤になっている青年に淡く微笑んだ。その微笑みがオーリを魅了しているとも知らずに。
「さぁ」
オーリが毒味をしてくれた食事を終えると、ユカリノは立ち上がった。
「帰ろう。ここでの仕事は終わった」
二人がインゲルの街に戻ったのは、往路よりもゆっくりな五日目の朝である。
その間なぜか、ケガレが出なかったのは幸いだった。
オーリはユカリノを早く守屋で休ませてやりたいと思ったが、ユカリノは役所に報告をすると言って町に入ったのだ。
役所にはイニチャが待ち構えていた。
「よう、お疲れさん」
「今帰った。トモエは? 会わなかったが」
「ああ、彼女ならもう行ったぜ。次の依頼が来て、朝早く」
「トモエも盛りを過ぎているのに忙しいことだ」
ユカリノは思わしげに眉を寄せた。彼女の行く末は自分の未来なのだ。
「アルブレロに会ったんだな」
「ああ。どうせここにも彼から報告が来ているだろうが、私の見解も伝えておこうと思う、イニチャ」
「ああ、頼む。アルブレロさんはあの通り、心底の見えないお方だから」
「その点、あんたと似ているな。真面目なんだか不真面目なんだかわからない」
「褒められてるのか? それ」
「さぁね。ユカリノ様は疲れているんです。無駄口はよしてください。行きましょう、ユカリノ様」
オーリが二人の間に割って入った。オーリのイニチャへの心証は、アルブレロの言葉でにより著しく低下していた。
この人、俺のこと最初からセルヴァンテに報告していたんだ。
「ええ? 俺の目には、お前の方が疲れているように見えるんだがなぁ、オーリ?」
「俺は頑丈ですよ。知ってるでしょ?」
「そうかぁ? なんか目の下にうっすらクマが……寝不足かい?」
「違いますって!」
オーリがイニチャとやりとりしている間に、ユカリノは簡単な報告書を作成していた。
「ざっとこんな感じだ。ソドラでは人間を喰ったガキが仲間を増やしていた」
「噂は本当だったんだな」
「この前、こちらで戦った奴らも大型化していたし、どうも、ケガレに異変が起き始めているようだ。なんでだかわかるか? イニチャ」
「俺みたいな木端役人にわかるわけがない。けど、なんとなく察することはある」
「やっぱり、神聖セルヴァンテの上層部かな?」
「ユカリノもそう思うか? 俺はアルブレロさんのことは、あまりよく知らないんだが」
「まぁ、ケガレを一掃したいあまりに、何か禁忌に触れようとしている雰囲気は伺えた」
「……」
「ん? オーリ、どうした、珍しく考え込んで」
「珍しく……俺だってタマには頭使うんです!」
オーリは珍しく喧嘩腰だ。
「ああ、はいはい。もういい。私は守屋に帰って寝る。オーリは久しぶりに自分の部屋に戻れ」
「ええ〜。だってユカリノ様、何にも食糧がないでしょ? ご飯はどうするんです」
「夕方また来てくれたらいいさ」
二人が一緒に役所の別館を出たところで、ミラとばったり出会った。今日はエプロンをつけていない。
「オーリ! おかえりなさい。ユカリノ様も」
「ああ。ただいま。どうした? 顔が赤いぞ」
「ちょっと……相談したいことがあって。聞いてくれない?」
ミラが照れたように頬を染めている。恥ずかしいのか、嬉しいのか。
いずれにしても自分が関わることではないと、ユカリノは思った。
「久々に町でゆっくりしてこい。私なら一人で平気だから」
そうして、オーリの返事も聞かずにユカリノは門を出た。そのまま真っ直ぐに守屋へと帰る。
やはり疲れているのか、まだ体が本調子ではない。ユカリノは旅装を解いて、体を拭くとすぐに寝床に潜り込んだ。
おかしいな。夜はオーリが部屋の外で見張っててくれるから、よく眠ったはずなのに。どうしてこんなに気持ちが騒ぐ?
ミラはまた、綺麗になっていた。広がった可愛い服を服を着て、髪を編んで。
……オーリと、どんな話をするんだろう。
不毛な思考を重ねているうちに、ユカリノはいつしか眠っていた。




