第32話 オーリに眠る血 3
「あなたさっき怪我をしたでしょう? ガキに喰いつかれて」
「……」
「傷を見せてください」
「大した傷じゃない」
オーリは右腕を差し出した。確かに、ユカリノを襲おうと飛んだ女の首を殴りつけ、その折りに歯が当たって傷を負った。
「もう血も止まっている」
そこには確かに、親指ほどの傷跡があった。オーリのいうように血は止まっているが、傷自体がもう開いてはいない。塞がりかけているのだ。
「治りが早い」
「昔からだ。俺の体は丈夫で、人よりすぐに治る」
「それでもあなた、さっきの私の話を聞いていたでしょう? ガキの体液を受けるとガキになってしまうんですよ」
「俺はそんなものじゃないぞ!」
初めてオーリは声を上げた。
「体液なんて受けてない!」
「歯が当たって、わずかでも体液をもらってない訳がないでしょ? でも、おっしゃる通り、あなたはガキではありません。少なくとも今のところ」
「今も、これからもだ! 話とはそれだけか!」
「いいえ。まだ序盤ですよ。さっき見ましたが、あなたの胸や首の後ろには、鱗のような硬い皮膚がありますね」
「……っ!」
オーリは黙った。
ユカリノのことばかりに気を取られ、普段隠している異形の皮膚を他人に晒してしまったのだ。
「それがどうした。これは生まれた時からだ」
「ええ、そうでしょう。それ、竜族の血を引く証ですから」
「……りゅうぞく?」
聞きなれない言葉だった。
「なんだそれは」
「知らないのですか?」
「知る訳ない。俺は親も、正確な誕生日も知らない捨て子だ。物心ついた時から、森の中で世話人に育てられた」
「そうですか。この大陸には、竜族を忌むべきものと考える風潮が、確かにありますから」
「だからその竜族とはなんだ?」
「お話ししましょう」
アルブレロは語り始めた。
竜族とは、大昔、人間がこの大陸に広がり満ちる以前に、大陸を支配した種族だ。
人の姿をしているが、皮膚は銀色の硬い皮膚に覆われ力が強く、致命傷を負わない限り死なない長命種。
不老ではないが滅多に病にも罹らない。軽傷なら半日もあれば治癒する。
しかし、繁殖力が非常に弱く、元々の数も多くはなかったため、三百年以上前から次第に数を減らしていく。
そして同時期、爆発的に人口を増やしてきた人間に殺されたり、混血したりして、純粋な種族としての竜族は、ゆっくりと滅んでいった。
けれども──その血は、薄まりつつも受け継がれていたのだ。
混血に混血を重ね、種族としての風貌も失いながらも、その遺伝子は細々と受け継がれていく。そして。特に神聖セルヴァンテの支配地域──主に貴族の家系に、鱗のような硬い皮膚を持つ赤子が生まれるのだ。
それは人間の急所である、首や胸に出現することが多かった。
ただし、長い淘汰の歴史の中で、その存在は忌むべきものとされてしまった。
家によっては、生まれてすぐに殺されることもある。
しかし、異形の子を殺してしまった家は、なぜか奇禍が続き、衰退したり血脈が絶えたりしてしまうのだ。
だから、一目を憚って閉じ込めて育てる家が多いという。もちろん、出生の届けなど出さない。
「イニチャ殿、セルペス殿から、あなたのことは報告を受けております」
「あいつらが……」
小さな頃から知ってい飄々としたイニチャ、出世に興味がない様子のセルペス。彼らはやはり、セルヴァンテの回し者だったのだ。
「ええ。あまり他民族と交わることを好まないヤマト種が心を許し、共にケガレと戦う少年。何度も危険な目に遭いながら、怪我もなく、病みもしないでユカリノに忠実に仕えている」
「……ユカリノ様は俺の命の恩人だ」
「知っています。あなたのことを調べたのです。あなたを生み出したお家のことですとか」
「俺の家?」
「ええ。あなたはセルヴァ郊外に屋敷を持つ貴族、アントレイ家の二男だそうです」
「知らない」
「そうでしょうね。アントレイ家は古い家系なので、古には、竜族の末裔と交わったこともあったのでしょう。その皮膚の出現は数世代ぶりだそうですが」
「それで、俺は捨てられたのか」
「そうなります。お母上は生まれたあなたを見た途端、気を失われ、あなたはそのまま、乳母と共に屋敷から出されました。殺すことも叶わず、広大な敷地内の離れ家でひっそりと育てられたのです」
「……」
『待って! パリス! 置いてかないで!』
『殺す必要はないよ! どうせ野垂れ死ぬさ! さぁ、行ってくれ!』
暗い森。幼い頃の自分と、世話人の叫び声が頭の中に蘇る。
「俺は何日も馬車に乗せられ、インゲルの森に置き去りにされた」
「ええ。あなたが八歳になった頃、妹君が産まれたそうで、そのお子が病弱なのは、あなたの恨みではないかという者が現れ、敷地内で殺すことも叶わず、遠くに運ばれたと言うことです」
「俺は誰も恨んだことはない。親など最初からいなかった、妹など知らない」
「ええ。アントレイ家はその後、不幸が続き途絶えました。しかし、パリス殿は生きておられます。すっかり老いておられますが」
アルブレロは、オーロの表情を伺いながら言った。
「……もう顔も忘れた。俺は要らない子どもで、ユカリノ様だけが俺を必要としてくれた。だから俺も家なんて要らない、親も興味がない」
「ええ」
「そして竜族なんてのも知らないし、知りたくない。俺は俺のできることをするだけだ。ユカリノ様を守る」
「はい」
「ユカリノ様が回復し次第、ここを出る」
「わかりました。ですが、一つお願いが」
「なんだよ。聞くとは限らないぞ。ユカリノ様に手出しはさせない」
オーリは、決してユカリノには見せない表情で腰を落とした。その構えから立ち昇る殺気が、アルブレロを怯ませる。
「ユカリノ殿ではありません」
「なら、なんだ」
「はい」
アルブレロは一瞬の間を置いてから言った。
「あなた様の血を、少しくださいませんか?」




