第30話 オーリに眠る血 1
信頼していた世話役から森に捨てられ、死んでしまうと絶望した夜。
森の中で化け物に襲われ、白い姿に助けられた。
あの時から、俺はユカリノ様に恋を覚えた。恐ろしいケガレから、幼い俺を助けてくれた、月光のような人。
異国の衣、異国の剣、異国の技、そして異国の顔立ち。異民族だと畏怖されながら、人々のために終わりのない戦いの日々を送る美しい人。
それがユカリノだった。
『この人から離れない』幼心に刻んだ誓いを忘れたことはない。
幼い恋心は、いつしか「愛しい」という、狂おしい感情となって、オーリ中から溢れ出そうと暴れている。
それは、インゲルの町の恋人たちが放つ、甘ったるいものではない。
まるで獣のように、血生臭くのたうつ激しい思いだった。
いつ頃からか──そう、こんなふうに体を寄せ合う瞬間、俺の中の獣は鎌首をもたげ、ユカリノ様を喰らおうとする。
ああ、もしかしたら。
俺が、俺こそがケガレなのかもしれない。
それはここ数年、オーリを苛む密かな怖れだ。
生まれた時からあると聞かされた、胸と首の後ろの異形の皮膚。
広がりはしないが消えもしない、呪いの刻印。
もしかしたら、俺はいつか化け物になって、ユカリノ様を滅茶苦茶にしてしまうのかも……!
ユカリノの眠りが深いのを見届け、オーリはそっと寝床を抜ける。
「ううっ!」
冷たい床に転がって湧き出る熱を冷ましながら、オーリはうめいた。
これで終わってくれ、どうかこれで!
「……っ!」
ユカリノが寝返りを打つ気配。オーリは床の上で息を殺し、様子を伺う。
寝台から、小さな手がはみ出していた。
「ユカリノ様……」
オーリは部屋の隅の水差しで、汚れた自分の手を丁寧に洗い流し、水滴ひとつ残さずに拭き取ると、布団からはみ出たユカリノの腕を布団に戻してやる。
その頬は、さっきよりは赤みが戻っていて暖かい。黒髪が乱れ、その一筋が唇にかかっている。それさえ、オーリの目には美しかった。
「おやすみなさい、ユカリノ様。誰にも──あなたの休息を邪魔させない」
オーリは流れる髪を整えてやると、深い眠りに沈んだ薄い瞼に唇を落とした。
青年が部屋を出たのは、それからすぐ後のこと。
予想した通り、部屋の前には灯火を持ったホーリアとアルブレロが、彼を待ち構えている。
「お眠りになった」
「……そうですか」
オーリは既に乾いた自分の衣服を身につけている。廊下の寒さは気にならなかった。
「あんた、ユカリノ様を危険な目に合わせた説明をするんだったな」
「ええ。今夜のこともそうですが、あなたにもお話が」
「俺?」
オーリは意外そうにアルブレロを見やった。
「ええ。ですが、ここは廊下です。隣の部屋に参りましょう」
「だが、ユカリノ様が」
「私がお守りします。一晩中」
ホーリアが前傾した。
「お前……信用していいんだな」
「もちろんでございます。片時も離れずお傍についておりますから」
「そうか。だけど、もう一度言うが、俺はあんたらを信用してない。万が一、ユカリノ様に妙な真似をしたら、あんたら二人とも」
オーリはそこで言葉を切った。
「殺してやる」




