第29話 あなたが愛しすぎて 3
「お疲れ様でした」
ユカリノに与えられた部屋の前に立っていたのは、アルブレロだった。背後に女を控えさせている。
暗い廊下に点々と灯るロウソクは、ちっとも役に立たない。アルブレロの表情が読めないのだ。
だが、オーリにはどうでもいいことだった。
「どいてください。これから、ユカリノ様を温めるので」
「承知しております。だから、彼女を連れてきました。女官のホーリアです。ユカリノの世話をします」
「断る。俺はあんた達を信用しない。あんなものが複数がいるとわかっていて、なぜ援護しなかった」
「お怒りは、十分理解します。説明もいたします。でもまずはユカリノを」
「俺がやる」
「ですがユカリノは女性でしょう? 不適切です」
「俺が不潔な男だってことは知ってる。けど、ユカリノ様は俺にとって絶対だ。この方を汚すような真似をするくらいなら、自分の手を斬り落としてやる。だからそこをどいてくれ」
「ならば、ご一緒に」
ホーリアという女官は、部屋の扉を開け放ち、暗い廊下にどっと光が漏れた。オーリが部屋に入ると、部屋は明るく暖められている。
帷の向こうには、湯の支度もできているのだろう。湯気の中にぴりりとした針葉樹の香りがした。高価な香木だ。
「私は隣の部屋でお待ちしております。ではホーリア、頼みましたよ」
アルブレロはオーリの返事も聞かずに退散する。これ以上は有無を言わさない背中だった。
「ではオーリ様、ユカリノ様をこちらの浴槽に、ゆっくりと降ろして差し上げてください」
「……」
まだ納得していないオーリは、ユカリノを包んだ絹ごと湯船にそっと下ろした。インゲルの守屋とは比べ物にならないほど、大きな浴槽だった。湯はぬるめで、冷え切った体に負担にならないように配慮されている。
ユカリノはまだ眠っているようだ。浴槽には頭を乗せられるように凹みがあり、布が敷かれていた。
そこへ頭を乗せたユカリノは、安心したようにゆったりと体を伸ばしていた。
「さぁ、オーリ様。あちらをお向きください」
「わかっている。だが怪しい薬など使うなら……」
「そんなことは致しません。オーリ様も、こちらの布で、体をお拭きください」
言われて初めて、オーリは腰に服を巻きつけただけの、びしょ濡れの自分に気づいた。こんなオーリを見て、女官はなんと思っただろうか?
しかし、それもオーリにはどうでもいいことだった。温まった布は肌に心地よく、オーリは体を拭ってから、用意された服を着て床に直接腰を下ろした。
その服は頭から被るもので、胸元は紐を結ぶだけの簡単な、つまり寝巻きだった。
背後で温かな湯が揺れる気配だ。その中でくしゃくしゃと音がするのは、髪を洗っているのだろう。
嗅いだことのない清々しい匂いがオーリの耳に流れ込んだ。
悪いことはされていないようだな。
ユカリノのこととなると感覚が研ぎ澄まされるオーリは、自分が世話をできないことを悔しく思った。
「……あ、お目覚めになられましたか?」
「え!?」
ホーリアの声にオーリが、思わず振り向く。ユカリノは浴槽に沈んだまま、こちらに顔を向けた。
「オーリ?」
「ユカリノ様!? ご気分は?」
「悪くない。でも眠い……」
「すぐにお体をお拭き致します。夜着もご用意しております。お立ちになられますか?」
「うん……」
ユカリノは初めて会うだろう、ホーリアを警戒する様子はない。オーリが背を向けてやきもきしている間に、寝支度ができたようだ。
「……オーリ」
ふわりと小さな体が胸に倒れ込み、まだ湿った髪がぱらぱらと流れる。
「わ! ユカリノ様?」
オーリはユカリノを支えた。その姿勢のまま、ホーリアが髪の水気を念入りに取っていく。
「これでいいですわ。お風邪などお召しになりませぬよう」
上質な夜着を着て髪をゆるく編んでもらったユカリノは、オーリに支えられてやっと立っている有様だ。消耗が激しいのだろう。
「寝床を」
「こちらです」
オーリは温まった体をさっと抱き上げると、神妙な顔つきのホーリアが用意した立派な寝台へとユカリノを運んだ。
消失なしきふに横たえ、柔らかい布団をかけてやる。その袖口をユカリノが掴んだ。
「一緒に」
「い、いや……俺はまだ」
掴まれた袖を振り解くこともできず、オーリは狼狽える。
「……オーリ?」
ユカリノが薄く目を開ける。
「今日は疲れた。すぐに体が冷えてしまう。だから一緒がいい。お前……ありがとう。大丈夫、オーリなら安心だ。明かりを消して」
最後の一言は、ホーリアに向けたものだ。
「は、はい。おやすみなさいませ」
困った顔のホーリアは、寝間の帷を下ろし、暖炉の前に衝立を立てると、お辞儀をして出ていった。
「……あ、あの」
仕方なく、オーリはユカリノの横に滑り込む。ユカリノは寝ぼけたまま、オーリの体の厚みが作る空間に、猫のように潜り込んだ。
よほど疲れていたのだろう、すぐに寝息がオーリの胸をくすぐる。
「あ……」
オーリの中の埋み火が熱を持つ。それは決して放ってはいけない熱だということをオーリは肝に銘じている。
それでも、抱きしめることだけは許して欲しかった。オーリは胸の紐を解いて、肌を晒した。
「ユカリノ様……俺、あなたのことがとても愛しい」
自分の異形の肌に唇を寄せて眠るユカリノを、オーリは足で抱き込み、体全部で抱きしめた。
「愛してます。あなただけを……俺の、俺だけのユカリノ様」
今だけ。今だけだ。
いつかあなたを守って、俺は死にたい。




