第26話 ソルドの悪霊 3
「ユカリノ様、これは!?」
「ガキだ。人がケガレに喰われたんだ……」
目の前の化け物はドロリとした視線を投げてよこした。一体は元娼婦だったようで伸びた髪、痩せた体に派手な服を着ていた。もう一体は大きな男だ。よく太った厚い肉の体を持っている。
人がケガレに喰われると、大抵一体化するが、元の肉体に侵入されることもある。それがガキ──餓鬼である。
「……くそ」
「ユカリノ様?」
「私はガキを祓ったことがないんだ。人でなくなっても、人間の肉を持っている。フツでは祓いきれないかもしれない」
「じゃあ俺が!」
オーリが上着の内側から短剣を取り出した。これは霊刀ではなく、旅人が携帯する護身用のものである。
「ダメだ! まずは私が!」
言うなりユカリノが地を蹴る。まずは女の方からだ。ユカリノに膂力はないが、細い女の首なら落とせると、霊刀フツを両手で握る。
「やぁ!」
狙い過たず、首が飛んだ。
通常のケガレならフツで斬られると、霧状になって散ってしまうのだが、一旦人間の体に入り込んだケガレは霧散しない。
鈍い音を立てて落ちた首も、首を失った手足も、血を噴きながらじたばたと動いている。ユカリノはそれへ目もくれずに、男の方に向き合った。
その時!
「危ない!」
「え?」
首を切られた女が自分の頭を拾って、ユカリノに投げつけたのだ。投げた途端、体は力を失ってどうと斃れたが、首は歯を剥き出してユカリノに迫った。
「この!」
割って入ったオーリが握り拳で、女の頭部を殴りつける。長い髪の尾を引いて首は再び地に塗れた。
「オーリ!」
「大丈夫です!」
殴りつけた時、歯が当たったのか、オーリの右手首は出血している。
オーリは転がった首を追いかけて、開きっぱなしの口の中に短剣を突き刺すと、体に駆け寄り、ひくつく体に止めを刺す。二つとも赤黒い泥と化した。
「ユカリノ様! 来ます!」
素早くユカリノがフツを構える。フツには今斬ったばかりの女の血が、べったりと張り付いていた。
『ふがあぁ〜〜』
たっぷり脂肪をつけた男の餓鬼は大きく口を開け、膨らんだ肺臓から穢れた呼気を噴き出した。
「あっ……!」
腐った気をまともに受けて、ユカリノが顔を歪める。夜目が効かなくなったのだ。
男は虚なままの顔で、それでもユカリノを狙って近づき、オーリが追いつく前に太い足で蹴り上げた。
「あうっ!」
小さな体は吹っ飛び、廃棄物にぶつかって倒れる。
「ユカリノ様!」
絶叫を上げたオーリは、体を低くして突進すると、短剣を男の胸に突き刺し深く抉った。
「〜〜〜っ!」
声にならない叫びが、ガバリと開いた口から虚空へと放たれる。だが、やはりすぐには斃れなかった。太い両手がオーリの首に食い込む。
「ううっ!」
ものすごい締め付けにオーリは耐えた。それはほんの二秒くらいのことだったろうが、人の首をへし折るには十分な時間だ。
しかし、オーリは喉に食い込もうとする男の親指に自分の指をかけ、引き剥がそうと踏ん張った。男の親指が砕ける音がした途端。
「オーリを放せ!」
立ち上がったユカリノが、気配を探って、男に赤い液体の入った小瓶を投げつけた。例の油だ。それは男の額で割れて滴り落ち、顔が溶けだした。
「この!」
オーリは男の腕を掴むと、そこを支点に両足で男の胸を蹴る。突き立っていた短剣が、さらに深く体にめりこみ、ケガレに喰われた男はようやく仰向けに斃れた。
オーリが素早く短剣を抜きさると、とどめとばかりに喉笛を掻き切る。胸と首から大量の血が噴き出した。どす黒い色だった。
「ユカリノ様!」
オーリは地面に臥したユカリノに駆け寄る。ユカリノの目はまだ開かない。
「お怪我を!?」
オーリの顔は、恐怖に塗りつぶされているが、声だけは震えないように堪えた。
「だ……いじょうぶ……大したことは、ない。オーリは?」
「俺はなんともないです。すぐにここから離れましょう。もうケガレの気配はないでしょう」
オーリはユカリノを抱き上げると、この忌まわしい場所を後にした。
歓楽街を駆け抜ける。
流石に真夜中を過ぎて、先ほどよりも人通りが減っていたが、それでも客にあぶれた女や客引きがいる。
彼らが驚く中、オーリはユカリノを抱えて小殿へと飛ぶように走った。
早く、できるだけ早く、ユカリノ様に禊を!
通常のケガレを祓っただけでなく、人間を喰ったガキを斬り、腐った呼気まで浴びたのだ。その身は相当なダメージを受けたに違いない。
セルヴァンテの小殿には流水がある。
「もう少しです! ユカリノ様!」
オーリは階段を駆け上がり、水の気配のする場所へと走った。




