第24話 ソルドの悪霊 1
翌朝早く、二人はトモエに見送られ、ソルドへと旅立った。
オーリは上機嫌で大きな荷物を背負っている。
――昨夜。
二人は「口づけ」を交わした。
オーリは町で夫を出迎える奥さんや、恋人同士の逢瀬を見たことがあるから、その行為を知っている。
きっとみんなは、相手のことを「愛しい」と思って口づけをしているんだろう。
だけど……。
何か違う、ともオーリは思っていた。
初めて触れたユカリノの唇は、小さくて柔らかくて、春に食べる赤いベリイよりも甘く感じた。
本当はもっと触れていたかった。もっと長く強く……深く。
知らなかった。
口づけって、されるよりする方が苦しいなんて。ミラも……ミラもこんな感じだったのかな。だったら俺は、すごく悪いことしたのかもしれない。
しかし、目の前のユカリノが辛そうな顔をしていると気づいたオーリは、慌てて体を離した。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「いや、怒ってるわけではない。でも意味がわからない。今のは口づけだろう? あれはこの大陸の風習で、恋人とか夫婦とかがするものじゃなかったか?」
「忘れてください! お嫌でしたら!」
やっぱり俺が変なんだ! 愛しすぎて、変になるなんて。
「いや……驚きはしたが、嫌じゃない」
「え?」
「……心地がよかった。でもこれ、私達がしてもいいものか?」
「いいです! 魂が慕わしいなら、してもいいものだって思います!」
「魂が慕わしい……なるほど」
ユカリノはよくわからなそうな顔で言った。
「私は今まで、誰ともしたことがない。オーリはあるのか?」
「ないない! 俺だってユカリノ様が初めてです。その……自分からするのは……でも」
「でも?」
「またしたいです。させてくださいませんか?」
オーリが子犬のように体を擦り付けるのを、ユカリノは拒まなかった。
「ああ、オーリに触れてもらうと、体と心がほんの少し楽になる気がする。けれど、オーリ」
「はい?」
オーリは嬉しさで舞い上がっている。
「お前、唇の傷がもう塞がっている」
「え?」
「さっきアスカを咥えていたときに、口角を切ったろう?」
アスカとはオーリがもらった小さな刀子である。
ユカリノに手を貸してフツに力を込めるとき、思わず切ってしまったのだ。今、そこには小さな傷跡が残っているだけだった。
「前から思っていたが、お前の傷の治りは異常に早い」
「そうですか? 人と比べたことがないからわからないけど」
「もしかしたら、このせいかも……」
ユカリノはオーリの首に手を回す。そこには硬い鱗状の皮膚が張り付いている。そしてそれは胸の、心臓の上にもあるのだ。
まるで、急所を守るように。
「お前はケガレを恐れない。ケガレもお前を積極的に攻撃してこない。この皮膚に何か秘密があるのかもしれない」
「だけど、こいつのおかげで、俺は捨てられて殺されそうになったんです。俺は嫌いだ、こんな醜いもの」
オーリは胸をはだけて、皮膚をむしろ取ろうと爪を立てた。
「だめだ。オーリ、これには何か意味がある。私はお前のこの肌が好きだ」
そう言って、ユカリノはオーリの胸に指先を滑らせた。青年の体がびくりと震える。
ああ……もっと触れて。
オーリが恍惚となった時「おいユカリノ! お前の番だ! 風呂に浸かれ!」
遠慮のないトモエの呼び声が、二人を現実に戻した。
そして今、二人は旅の空だ。
「ユカリノ様。もうすぐ大きな街道に出ますから、そっからは辻馬車で行きましょう! その方が疲れないですし!」
オーリ自身はほとんど疲れを感じないし、ユカリノと二人でもっと長く一緒にいたいのだが、その気持ちは封印する。
この旅は遊びではないのだ。
運よくすぐに辻馬車が拾えて、二人は乗り込んだ。
黒髪が目立つユカリノは、大きな外套のフードを下ろしていたが、季節柄別におかしくはない。だが、宿ではユカリノは個室、オーリは部屋の前に陣取る。ユカリノに一緒に寝るように言われても断固として断った。
「俺が守るんです。ユカリノ様、ケガレには強いけど人には優しいから」
「そうかなぁ」
三日かかって、ようやくゾルドの街に入った。インゲルよりも華やかで目立つ建物が多い都会だ。
「この向こうにセルヴァンテの小殿があるから、とりあえずそこに」
馬車を降りたユカリノは迷うことなく通りを進んだ。
「来たことがあるんですか?」
「ああ、何度か。最近ここでは街中にケガレが出る。私は市街地での戦闘は得意ではないから、今までは別のヤマトが祓っていたが、今回のケガレは様子が違う」
「だから、ユカリノ様なんですか?」
ユカリノはヤマトの中でも強いのだという。だから危険な任務が回ってくるのだ。オーリはそれを腹立たしいと感じている。
ユカリノは人々が行き交う大通りを、するすると器用に抜けて脇道に入った。
石が敷かれた通りの奥に、神聖セルヴァンテの小殿がある。セルヴァンテの象徴色である、青色が多く使われた綺麗な建物だった。
どこからか水の気配がする。各地に置かれた神聖セルヴァンテの施設には、必ず流水が引かれているのだ。
もちろん、聖都と呼ばれるセルヴァンテの本拠地、セルヴァの正殿には建屋の内外に泉や流れがあるという。
二人はすぐに、小殿の長の部屋へと通された。
そこには金髪を肩で切り揃えた男が立っていた。右目には眼帯が巻かれている。
「お久しぶりです。ユカリノ殿」
「あなたがソルドに来ているとはな、アルブレロ。セルヴァはいいのか?」
「セルヴァには、優秀な人材がたくさんいますから」
アルブレロと呼ばれた男の歩き方が変だと、オーリは気づく。ユカリノはついと首を振った。
「あらましを」
「しかし、今日はもう遅いです」
「夜だからいいのだろう? 今日も出るぞ」
「わかりますか?」
「わかる。西の外れだろう?」
「やはりあなたは特別だ、ユカリノ」
「今夜は曇って月が見えない。月光がない夜は、新月の次にケガレが湧く」
「わかりました。で、そちらは?」
アルブレロはオーリに視線を流した。
「ああ。これはオーリ。私の手助けをしてもらっている」
「手助け? ヤマトに?」
「ああ。彼は優秀だ」
「……っ!」
ユカリノに褒められてオーリは思わず胸を張った。にやけそうになる頬は気合いで引き締める。
「聞こう。話せ、アルブレロ」
ユカリノは再び促した。




