第23話 想いの名前 3
「ユカリノ、お前、あの子をどうするつもりだ?」
ヤマトの女二人は、泉で禊をしている。真夜中だ。
「オーリはもう子どもじゃない」
ユカリノは濡れた髪を括り上げながら言った。この髪もだいぶ伸びた。豊かすぎて濡れると少し重いから、そろそろ切るべきだろうか?
「だったら余計、問題じゃないか。あの子はお前に特別な感情を抱いている」
「それは私も同じだ、トモエ。私は、オーリが可愛くてならない。家族とはこんなものか」
「ヤマトは家族なんて持たない」
トモエは早々に泉から上がっていく。
後頭部で黒髪をきりきりと結えたトモエは美しい。その体はどう見ても二十歳過ぎの娘だが、彼女はもう四十歳目前のはずだ。
成長を抑えられているヤマトとて衰えはくる。トモエは痩せた。なめらかな肌の下の、筋肉の張りが以前のようではない。
ヤマトとして戦えるのは、あと数年というところだろうか? その後はセルヴァンテに要請され、ヤマトの男とつがいにさせられるのだろうか?
「ユカリノ。お前ももう上がれ。かなり冷たい。これ以上は毒だ」
トモエの言葉にユカリノは黙って従い、髪と体を拭いた。泉は湧水で真冬でも凍ることはないが、秋冬はさすがに長くは浸れない。
「お前は美しいな」
トモエは、合わせを身につけているユカリノを眺めた。
「トモエに言われるとはね」
「いや、お前は特別に美しい。そして強い。霊刀フツを使いこなすだけのことはある」
「……」
二人で守屋に向かう。オーリが火を焚いてくれているはずだ。
「だから、あの子どもに誤解させるな。後が辛いぞ」
「誤解?」
「そうだ。古いヤマトの言葉で愛しくさせるな、ということだ。ただの従者だと、割り切るべきだ」
「愛しい……」
ユカリノは噛み締めるように古い言葉をつぶやいた。
「一番いいいのは離れることだと思う。あの子が離れられないなら、お前が守屋を変わればいい。なんなら、私がここに来たっていいんだ」
「いや、それは……」
インゲルの森は、大陸でもケガレの出現率が高い。衰えはじめたトモエには無理な仕事だろう。
「まぁ、ソドンへの仕事の道すがらよく考えるがいい。私たちには明日が……未来がないということを」
「未来か。そうだな」
かつての戦で死んだ人々の悪霊であるケガレが、この大陸から一掃されることはあるのだろうか? それより前にヤマトの力が尽きてしまわないか?
誰にもわからないことだった。
だが、私はオーリと離れられるのか?
いつの間にか、お互い傍にいることが当然となってしまっている。これは依存なのだろうか?
「ユカリノ様、トモエ様、お湯を使われますか?」
二人の気配を察して、オーリが守屋から飛び出してくる。
「ああ。トモエ、オーリの湯加減はいいぞ。先につかえ。私とオーリは奥で待っている」
「え? ああ。そうさせてもらう」
トモエが合わせを着たまま、湯桶に浸かるのを見て、ユカリノはオーリと寝間に入った。ここには火がなく、オーリが用意したランプだけが暖かい光を放っている。
「オーリ、今日は助かった。お前のおかげであんなに大きなケガレを祓えた。ありがとう」
「いいえ。でも俺……」
「なに?」
「俺はもっと、その……ユカリノ様を守りたい」
オーリは背中から布をかけると、その上からユカリノを抱きしめた。少しでも早く温めてやりたいという優しい気持ちからだろうと、ユカリノは思う。
ただ、心地いい。彼の広い胸が、太い腕が。
「濡れるぞ」
「かまいません。指が氷のようです」
組んだ足にユカリノを乗せたまま、オーリが両手でユカリノの掌を握りしめる。
「……」
ユカリノはオーリの指先を見つめていた。夕方ナイフで切った傷がもうない。血を吸ってやった自分はまだ、彼の味を覚えているのに。
「オーリ……お前」
「実は……言ってなかったことがあるんです」
「今日のこと? 町で?」
「ええ。ミラから尋ねられたんです。俺が、その……ユカリノ様のこと好きかって」
「……オーリ?」
「俺……答えられなかった」
「私が嫌いなのか?」
答えなど知っていながらユカリノは問うた。
巻きつくオーリの腕が一層強くなる。
「いいえ! でもだって、好きって、なんというか……すごくありふれてるじゃないですか。友だちが好き、ご飯が好き、仕事が好き、俺には好きなことが多いから」
「いいことだ」
「でもね、違うんです。俺がユカリノ様に感じる思いは、そんな普通のものじゃない」
そこでオーリは、くるりとユカリノを自分に向き合わせた。
「ユカリノ様のためならなんだってする。独り占めしたい。いつもまでもこうしていたい。そういう気持ちをなんていうんですか? 俺はわからないんです。もし……」
もしこの気持ちが汚れていると言われたなら、俺はどうすれば?
「……愛しい」
ユカリノは、さっきのトモエの言葉を思い出した。
「ええ? 悲しい? 哀しいのかな? 俺、こうしていて、すごく幸せだけど」
「違う」
ユカリノの冷たい指先がオーリの頬を包み込む。
「愛しいとは、ヤマトの古い言葉だ。相手を思うと胸がいっぱいになって、苦しくなって、なのに幸せで……愛しい、全部の意味を持つ言葉だ」
「それ! 今の俺にぴったりの言葉だ。俺はユカリノ様のこと、すごく愛しい」
「オーリ……」
「愛しすぎて、愛しすぎて、おかしくなりそう……」
そしてオーリは、ユカリノの唇を自分のそれで覆った。
伝わるでしょうか?
オーリの思い、ユカリノの愛。




