第22話 想いの名前 2
そして、今夜もユカリノは森へ向かう。
「オーリ、お前は来なくていい。トモエがいるから」
「嫌です! 絶対に行きます!」
「やれやれ。ユカリノ、お前厄介なものを背負い込んだな。まぁ、飯が美味かったから許してやるが」
トモエはオーリの作った夕食を、人一倍平らげたのである、
「それはそうと、最近のケガレはどうだ?」
トモエが尋ねた。どんどん森の奥へと分け入っている。今夜は北東の方角だ。
ケガレは巨大化傾向にあり、北の大きな街では、城壁内に出現することもあるという。それをヤマトたちが必死に食い止めている。
「奴らはこっちでも成長しているか?」
「ああ。数は減ったような気がするが、その分厚みが増している。かなり深く剣を食い込ませないと祓えない時もある」
「どこも同じか」
トモエは守屋を持たないヤマトだ。その土地のヤマトの都合に合わせて留守を守り、他のヤマトと力を合わせてケガレを祓う。
「だがセルヴァンテから、ケガレを焼くという油を渡された。これだ」
「お前もか、私も持っている。彼らは聖油と言っているが、私にはどうも胡散臭いもののように思えるな」
「確かにセルヴァンテの作ったものだから、怪しいこと請け合いだ。まぁ物は試しだ。一度使ってみるか」
トモエは歩きながら瓶を振った。粘性のある赤い液体がとぷんと揺れる。
「そんなものなくたって、俺がいます!」
オーリが無理くり話に割り込む。
「ユカリノ、さっきからこいつはなんなんだ。お前の飯番じゃないのか? 下男、それとも従僕か? おい坊主、こっから先は危険だぞ」
「知ってます。あと俺は、ユカリノ様の従者です」
「従者ぁ?」
呆れた途端、トモエの顔つきが変わった。
「来るぞ! 気配がでかい!」
「よし!」
ユカリノとトモエは、素早く二手に分かれた。
闇の奥からじわじわと赤黒いものが立ち上がる。そいつは一旦平たくなってから、ぐんと伸び上がり、上部が女の髪のように変化した。
「厄介そうだぞ! ユカリノ!」
「ああ」
本体の動きはそう早くないが、分かれた触手の攻撃範囲が広い。触れた樹や枝は、たちまち腐って崩れ果てた。
「早い! 一度に全部祓えない!」
トモエが、頭上に伸びた触手を薙ぎ払いながら叫んだ。
「この長いのは私が引き受ける! ユカリノ、本体を頼む!」
トモエの霊刀ノワキは、ユカリノのフツよりも太いが短い。自分の剣では肥大したケガレを祓いきれないと判断したのだろう。
「承知!」
言うなりユカリノは、ケガレの中心部へと突進していく。
疾走するユカリノの脇にミミズのような触手が、いく筋も地面に突き刺さって飛び散るが、ユカリノはその全てを躱して走る。
不思議だ。今日はいつもよりケガレの動きが良く見える。調子がいいのか? 体もよく動く!
「ユカリノ! これを使うぞ!」
トモエがセルヴァンテから支給された赤い液体を、ケガレに向かって浴びせかけた。
じゅわっという音がして触手が消え、大地から嫌な匂いが立ち上った。量は少ないが、効果はあるらしい。
その隙を縫ってユカリノは、ひたすら闇の中を疾走した。
「ユカリノ様!」
樹上からオーリが放った矢が唸りを上げて飛ぶ。
的が大きい分、狙いやすいのか、既に何本も突き刺さっていたが、大きなケガレにはそれほど効果はないようだった。
やはりフツか!
しかし、袈裟斬りに刃を奮っても、この分厚い塊を完全に祓い切れるかわからない。
狙うはやはり──。
中心だ!
剣をケガレの奥深くに突き立てるのだ。
「俺も!」
いつの間にか横にオーリが並んでいる。
「馬鹿! 下がっていろ!」
「もう遅いです」
オーリは自分の刀子でユカリノを援護していた。刃は小さくても弓矢よりも効力があるのか、触れるなり、触手がざあっと霧散していく。
「今です! 俺を踏んで!」
「せあ!」
ユカリノはオーリの背中を足場に空中高く跳ぶと、膨れ上がった悪意の中心へ深々と剣を突き刺した。特殊な沓を履いているので、しばらくならケガレの上にも立っていられる。
「よし!」
フツは細くて長い刀身を持つ霊刀だ。その刃が柄の根元まで埋没した。
普段よりも強い霊力が流れ込むのがわかる。これで祓えないケガレなどない。
しかしケガレは中央部分が大きく凹んだだけで、まだ崩れ去っていなかった。
なら引き抜いてもう一度!
しかし、澱みが重く、フツを抜こうにも剣が動かないのだ。
「くそ!」
ユカリノは思い切り柄をねじり上げた。
「え?」
いつの間にかオーリが前に立って、柄を握るユカリノの手を包み込んでいる。その口には刀子が加えられていて、両手でユカリノの手を握り込んでいる。
刀子で唇を切ったのだろう。血がユカリノの手甲に落ちてフツを伝い、流れ落ちた。二人の目が合い、フツが引き抜かれる。
もう一度深く!
オーリの心の叫びを、ユカリノは確かに聞いた。
「よし! オーリ! いくぞ!」
ユカリノは深く息を吸うと、一気に握力を込める。オーリがユカリノの両手を包み込んだ。
「せああああああ!」
二人の声が重なり、深々とフツがケガレを貫く。途端、空間がびりびりと振動し、巨大なケガレは霧となって消えた。
ユカリノは音もなく着地する。
「大丈夫ですか?」
「こっちのセリフだ。足を見せてみろ! ケガレの上に立っただろう!」
「なんともありません。これ俺の作った靴だから頑丈なんで」
オーリはひょいと足を上げて見せた。
「そう言う問題か?」
普通の人間がケガレに触れられたら、靴や外套を身につけていようが飲み込まれ、喰われるか、ガキになる。
オーリ、お前はいったいなんなんだ……。
二人はしばし言葉もなく見つめ合う。
「おーい! 二人とも無事か?」
向こうからトモエの声がした。




