第2話 オーリ 2
「誰か……誰かいないの? 助けて! 助けてぇ!」
声を限りに叫んでも、周囲の巨木が枝葉を震わせるばかりだ。
「ちくしょう! 嘘つきパリス! 裏切り者! 大嫌いだ!」
いくら幼くても、自分が捨てられたということを、オーリは知っている。
これまでも要らない子どもだったが、今では生きていてはいけない子どもになったらしい。
「なんで、なんで、なんでだよ!」
オーリは暗闇に叫ぶ。
「なんで僕は一人なの? なんで生きてちゃだめなの? 誰が僕を捨てたの?」
オーリの悲痛な叫びを夜の森が嗤った。
ざわざわざわ
彼を取り囲む樹木は、まるで生きているように揺らいでいる。夏の初めだというのに、空気は湿り気を帯び、肌に絡みつく。
風が澱み始めていた。
「……こわい」
少年の絶望と怒りは、次第に恐怖へと変わっていく。
「あ……あれは?」
真っ暗な中に、それよりも濃い色の気配が蠢いた。
禍々しく形のないそれは、地面からねばりねばりと立ち上がっていく。いく筋もいく筋も。
「な、なに? なんなの?」
形の一定しない、ねばつく赤黒い煤の塊のようなものは、目もないのに、ねっとりとオーリを《《見》》た。明らかな悪意を孕んで。
「う……うわぁ!」
本能でわかる。
これは《《よくないもの》》だ。
意地悪な衛兵の子どもや、裏切り者の世話役パリスとは全く違う。
逃げないと!
馬車には追いつけないが、足の速さには自信がある。恐怖に竦みながらも、オーリはよろよろと駆け出した。
しかし、見知らぬ夜の森は、彼の味方ではない。
次々に地面から滲み出るそれは、地を這いながら少年の足首に絡みつこうと触手を伸ばした。
「わぁっ!」
またしても盛大に転ぶ。
振り向いたオーリのすぐ近くに、ねばねばを集めて影法師のようになったそれが、ぐにゃりと曲がって少年を覗き込んでいた。
「ひっ! た、たすけ……」
誰も来ないだろうと知りつつも、ひゅうひゅうとしか音の出ない喉でオーリは助けを求める。
目も口もない黒い塊は、頭のように見える丸い部分をラッパのように、ぱかりと開いた。オーリを呑み込むつもりなのだ。
誰か!
オーリは声もなく叫ぶ。
瞬き数回分に迫った死。その瞬間を見たくなくて、オーリは背にした大木の根元にうずくまった。
ここで自分は死ぬのだ。けど死にたくない──死にたくない!
死にたくない!
その一瞬──なぜか間が空いた。
まるで化物が躊躇ったかのように。
「わあああああ! 助けて!」
その隙にオーリは再び立ち上がった。
しかし、今度は走れない。今まで考えたこともなかった恐怖が、彼の足を地面に縫いつけている。
――え?
どのくらいの時間が過ぎたのか、オーリは自分の身がまだ無事だということに気づいた。
口の中はからからだったが、手や足の感覚もある。負傷した膝小僧以外はどこも痛くない。そもそも痛いということは、生きている証である。
禍々しい気配は、いつの間にか消えていた。
「……な、なに?」
恐る恐る目を開けると、さっきよりも周囲が明るい。
暗い夜空の雲が切れて、梢の上に月が覗いていた。時刻は真夜中前というところか。
そして――。
「ああ……あれは」
今の今まで悪意の塊がいたところ、そこに。
濡れたように月光を受けながら、白く儚い姿があった。