第18話 ミラ 2
「人が多いな」
「そりゃ市場ですから」
ユカリノは珍しく落ち着かない様子で、オーリの影からそっと顔を出し、市場の様子を伺った。
インゲルの南の市場は大きくはないが、庶民的な食品や衣料品、小物などを商う店が多い。人々は気楽に店を冷やかしたり、ベンチでおしゃべりに花を咲かせている。
オーリはまず、焼き締めたパンに干し肉、固形のスープなどの保存食品を買った。次は温かい衣料品だ。ソドラの町は北にあるため、この季節の朝夕は冷える。
「これなんか似合いますよ!」
ユカリノの服は大和独特のものだ。それらはセルヴァンテから支給されるので、買うのはもっぱら上に着る外套や手袋、肩がけである。
オーリはなかなか趣味がよく、ユカリノの白い肌と黒髪に合いそうな、明るい青い衣料を中心に見繕っていった。
「こんなに要らないよ。荷物になる」
「だって似合うんですもん。いつか役に立ちますって!」
オーリは上機嫌である。ユカリノと連れ立って歩くのが楽しくて仕方ないのだ。
「そうかなぁ?」
ユカリノはオーリの背中に隠れて、新しい外套を試してみた。
「うん。軽くて温かい。こんな布地があるんだな」
「でしょう? 最近、こう言う布地が入ってくるんですって! その青、すごく髪に映えます。次はええと……」
「オーリ!」
向こうから駆けてきたのは、オーリと同じ施設で育った二つ年下のミラだ。
彼女も、もう立派な娘になっていて、店の手伝いをしている。去年施設を出て、昔から知っている花屋の老夫婦の家の養女になったのだ。
「やぁミラ。おばさん。お久しぶりです」
オーリは愛想良く花屋の店主に頭を下げた。
「オーリ、最近はずっと仕事か森だもの。顔が見られなくて寂しいよ」
「ごめんなさい。忙しくて」
「たまにはミラとも話してやっとくれ。今日はゆっくりしていきな。ミラ、休憩に行っといで」
「ありがとう、おばさん。ねぇオーリ、近くに甘味の屋台ができたの、一緒に行こう。」
ミラは嬉しそうに言ってから、オーリの後ろに立つユカリノに気がついた。
「あ……」
「ああ、ミラ。この方はユカリノ様。知っているだろ? ヤマトのお方で、森の悪霊をやっつけてくれている」
「え、ええ。存じてます。こ、こんにちは」
「……」
フードを下ろしたままのユカリノは、緊張している様子のミラに少し頭を下げた。
ミラは、赤みがかった金髪が顔をふちどる可愛らしい少女だ。流行なのか、袖とスカートが膨らんだ服に、縞模様のエプロンをつけている。
花屋の仕事で指先は荒れているが、爪は綺麗に手入れされていた。
「オーリ、私は少し向こうを見てくる」
オーリが何も言えずにいる間に、ユカリノは身を翻し、青年の視界から消えた。
「あっ! ユカリノ様! って、もう見えない。大丈夫かな……ミラ、ごめんやっぱり俺」
「オーリ!」
「な、なに?」
「なに? じゃないわよ。久しぶりにだってのに、もっと話してくれてもいいじゃない」
「そんなに久しぶりかなぁ。いつも会ってる気がするけど」
灰色の瞳は、ユカリノが消えた辺りをさまよっている。
「挨拶するだけでしょ! あなたはいつも急いでいるし!」
「ご、ごめんね。ミラ。俺、感じ悪かった?」
オーリは初めて少女を見つめ、素直に謝った。そして、ミラが今のユカリノより背が高く、大人っぽく見えることに気がついた。
「そうじゃないわ。でもいつも、あなたは町からいなくなる。そんなに森が……あの方が大事なの? 危険がいっぱいでしょうに」
ミラは口調まで、大人びたものになっている。以前はオーリのことを「兄さん」と呼んでいたのに。
「でもミラ、あの方がいなかったら、悪霊が町まで来るかもしれないんだぞ」
町の人たちはケガレを悪霊と呼ぶ。ケガレはヤマトの言葉なのだ。
「それはそうだけど……やっぱり、少し怖い感じがする。雰囲気が私たちとは違うもの」
「怖い? ユカリノ様が?」
オーリは訳がわからない、というような顔でミラを見た。
「だって、私と同じくらいの歳に見えるのに、本当はもっとずっと歳上なのでしょう? もしかしたら、お婆さんかもしれないわ」
「俺は例え、ユカリノ様がお婆さんでも気にしないよ」
「どうして!? 気持ち悪いじゃない!」
ミラは思わず叫んだ。叫んでから後悔した。
「ごめんなさい。あの人が悪霊を鎮めてくれるのは、皆知ってるし、感謝してるのよ」
「そうだ。今のは謝るところだ。でも、俺にじゃない、ユカリノ様にだ」
オーリの声は珍しく厳しかった。
「……ごめんなさい。ちゃんと謝るわ」
「それでこそ、ミラだ。素直でいい子だ!」
オーリはミラの頭に、こんと手を置いた。
「ユカリノ様はとてもお優しい方だ。ご自分がどう見られているかもわかってて、滅多に街にはおいでにならない。今日は俺が無理に連れ出したんだよ。今だって、ミラに気をつかって下さったんだと思う」
「ええ……」
「それに皆誤解してる。ユカリノ様ほど可愛い人はいないと、俺は思ってる」
「可愛い!?」
あの謎めいたユカリノを表す形容詞として「可愛い」は、言葉知らずなミラにさえ違和感を与えた。
「ユカリノ様が?」
「そう。あの方はすごく可愛らしい。俺、もう行くよ。ユカリノ様を探さなくちゃ」
行きかける腕をミラはつかむ。
「ねぇ、待って。オーリはあの方が好きなの?」
「好き?」
オーリは驚いて立ち止まった。
「好き……好きって?」
「違うの? だって、いつも森に行くのは、ユカリノ様に会うためなのでしょう?」
ミラが詰め寄る。
「でもそれは、悪霊と戦うためで」
「普通なら、男の子が女の人に毎日会いに行くっていうのは、好きだからって思われるのよ」
そうなのか? 俺がユカリノ様に抱いている感情は「好き」なんていう、ありふれたものなのか?
「オーリってば!」
「いや、ごめん。ちょっとびっくりして」
「じゃあ好きじゃないの? 命を助けられたから義務感で行くの?」
ミラはオーリがこの街に来たきっかけのことを知っている。ミラだけではない、オーリを知る人は皆、そのことを知っているのだ。
「義務感? もちろん違う」
「じゃあなに?」
「……」
オーリは本気で困惑していた。自分の感情に名前をつけることから、ずっと逃げていたような気がする。
しかし、ミラはそんなオーリの弱い部分に鋭く切り込んできたのだ。
オーリの心臓は大きく鼓動を打った。