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第15話 予兆 2

 ユカリノはケガレを祓った後、必ず禊を行う。

 霊力を持つものは、穢れたものの放つ瘴気にも当てられやすい。だから、ヤマトの守屋は常に川や泉のほとりに建てられている。流れ水には、体にまとわりつく瘴気を洗い流す力があるからだ。

 ただ、季節によってはかなり辛いことである。今は秋で、夜明けの泉水は快適な温度とは言えない。

「大丈夫。このまま下ろして」

 ユカリノは気遣うオーリに頼んだ。

「お前も傷を負ったろう? 手首をしばらく水に浸けておいた方がいい」

「はい。お気をつけくださいね」

 オーリはそっとユカリノを泉の近くに下ろして、くつを脱がせた。タビと言う。足を包む白い布も取り去る。ユカリノはふらふらと立ち上がり、水に足先を浸した。

「本当にお支えしなくても大丈夫ですか? 水が冷たいです」

「ああ。慣れたものだから。冷たさが却って心地いい」

 そのままユカリノは深みに入って行く。その背中から目を逸らさないようにして、オーリも傷ついた手首を水に浸けた。

 ユカリノは水中で髪をき、きつく巻いた帯をほどき、ふわりと体を横たえ、水に潜る。

 この泉はそれほど深くはないが、それでもオーリの胸まではあるから、ユカリノが体を沈めるには十分だ。


 がれ落ちていく……。


 清らかな水に、まとわりついていた瘴気が溶けゆく。

 ケガレと戦い続けるのは、霊力を持つヤマトの民であっても、相当な負担をもたらすものなのだ。

 あぶくと共に、長い髪が水面に差す月光へと昇っていく。月にも水にも染まあらない黒髪が、海藻のように揺らめいた。

 ごぼ?

 月光を遮って青年の顔が映り込み、ユカリノは思わず笑った。


 心配性な奴だ。

 

 水中で体を反転させ、ざっと立ち上がると、泣きそうな顔のオーリが屈みこんでいた。

「大丈夫ですか? いつもより長く浸かっておられました!」

「平気だよ」

 身体中から水を滴らせてユカリノは、オーリの手を取った。濡れた体を月光が青く染め上げていく。

 ユカリノの体は、以前より少し成長していた。

 かつて、毎年飲んでいたセルヴァンテの薬だったが、三年くらい前から、飲んだ直後から高熱が出て身体中が痛むようになった。

 それが一週間くらいも続くのだ。その間ユカリノは戦えず、セルヴァンテから代わりのヤマトが派遣される。しかし、霊力はユカリノよりも劣る上に、到着が遅れたりと空白の期間ができてしまう。

 もちろんその間にも容赦なくケガレは湧き、人々の苦しみや悲しみの気配を拾って町に迫る。

 オーリは懸命に看護をしたが、ついにユカリノは伏せっている間に、肥大したケガレが城壁を乗り越えて、町を襲うという事件が起きてしまった。

 何人かはケガレに飲み込まれ、人格を失って他の人間を襲うガキとなってしまった。不幸中の幸い──幸と言えるかは疑問だが、ケガレが人間に取り付くと、ヤマトでなくても物理的な方法で殺せるということだ。

 ケガレは滅せられても、死んだ人間が生き返ることはない。人々はかつての身内や隣人だった姿のまま襲いかかるガキと戦わなくてはならなった。

 そして、ガキと化した人たちは、衛士たちの手で葬られた。

 このことで、インゲルの町には緊張が走り、ヤマトに対する不信感が噴出する事態にまで発展した。

 曰く

「役に立たないヤマトなら追放しろ!」

「結局は我らの同胞ではなく、信用できない異民族だ!」

 この騒ぎで激怒したのは、オーリである。

 人々が寝静まった夜の森で、ケガレと戦うユカリノが、どんなに誠実に役目を果たしているか、自己犠牲を強いられているかを、町の有力者達に喧嘩腰で訴えて回ったのだ。

「こんなに町に尽くしてきたユカリノ様を責めるんなら、俺はあの方を連れて町を出る! ヤマトがいなくなった町で、悪霊と仲良くすることだ! 恩知らずどもめ!」

 普段、明るく勤勉で、娘たちに人気のある優しい青年の、激しい怒りを見た町の人々は動揺し、混乱はさらに深まった。

 見かねたイニチャとサキモリが、神聖セルヴァンテの下級神官、セルペスに上奏した。セルヴァンテ本部でも、薬の副作用は問題視されていたことのようで、結果、薬を飲むのは三年に一度となった。

 薬を飲む回数が少なくなったことで、当然ユカリノの体は少しずつ成長しはじめる。

 この三年間で、ユカリノの姿は、十代前半の少女から十代半ばに見える娘へと変貌した。肌や髪は一層艶やかになって、娘らしい曲線が簡素な服装から窺えるようになる。

 稀に町に出向いた時は、マントで隠していても伝わる、しなやかな姿が男達の視線を集めてしまうのだ。

 オーリには、それが大いに不満であった。


 今、ユカリノは、体に絡みつく黒髪を絞っている。濡れた衣は体に張り付き、薄いながらも表れ始めた曲線を浮き上がらせていた。

 それは青年にとって、残酷なまでに刺激的な姿だった。

 オーリは慌てて、用意していた衣をユカリノに被せる。

「オーリ」

 ユカリノは白い顔を上げた。

「は……はい!」

「傷を見せてみろ」

「あ……はい」

「む」

 ユカリノは無骨な手を取り、裏返したり、元に戻したりして眉を顰めている。

 傷を負ったのは、ついさっきだ。しかし、手首にくっきりとついていた火傷のような痕はすでに血が止まり、既にうっすらと皮膚組織を形成し始めている。


 いくらなんでも傷の回復が早すぎる。

 初めて会った時から感じていたことだが、ケガレはどう言う訳か、オーリを警戒している様子がある。これは、オーリの持つ異形に関係するのだろうか?


「ほら、大丈夫でしょ? そんなに痛くないし」

「しかし、傷は傷だ。ケガレにつけられた傷をなめちゃだめだ。ガキになってしまうこともあるからな。綺麗に洗っておくんだぞ」

「はぁい」

 オーリはわざと明るく請け合った。そして、ユカリノの姿が見えないように、先に立って守屋へと手を引いていく。

「俺、ものすごく腹減りました。温かいものでも食べましょう、ユカリノ様をあっためなくちゃ! 用意はできてるんです」

「ああ。楽しみだ」

 ユカリノは、すっかり背が高くなった青年の背中に答えた。


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