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第10話 14歳の日常 1

 オーリは十四歳になった。

 八歳でユカリノに拾われ、インゲルの養護施設に入ってから、六年が過ぎていている。

 この間、たくさんの施設の子どもたちが引き取られ、出ていった。

 体格と容姿が良く、頭もいいオーリにも養子の引き合いが何組もきたが、オーリはイニチャに頼んで全て断った。

 ここの施設長でもあるイニチャは、ユカリノから聞かされてオーリの事情を知っている数少ない人間だ。

 彼はオーリに文字や計算を教えてくれ、今では役所の手伝いもできるようになっている。自分が人の役に立てば、人は自分を必要としてくれることを、オーリはこの六年で学んだ。

 最初の三年間は、町の人との交流に慣れる時間だった。

 もといた屋敷の片隅では、次々変わる世話役、たまに見かける衛士やその子どもとしか喋ったことがなかった彼は、世の中にこんなに大勢の人間がいることを知らなかった。

 オーリは生活を覚え、仕事を習い、本も読んだ。そこでわかったことは、自分は物覚えが早く、かなりいろいろな能力があるということだった。

 ヤマトであるユカリノは、時々役所にやってくる。

 それは生活に必要な物資を受け取ったり、祓ったケガレの報告をイニチャに伝えるためだったりしたが、そのたび彼女はオーリにも会いに来てくれた。

「オーリ、元気でいたか?」

「ユカリノ様!」

 それは半時間に満たないわずかな間であったが、オーリはユカリノが町にいる間、片時も離れずにまとわりついた。

 三年間でわかったことは、町の人たちは、ユカリノを敬ってはいるが、積極的に関わらないということだ。

 ユカリノは美しいが、自分達と様子が違うし、雰囲気が異質だ。

 人々はケガレを払う、ヤマトという仕事のこともよく知らない。知らないものは怖いのだ。自分達の祖先の悪霊であるケガレも恐ろしいが、それと戦うヤマトも怖い。それが地方に住む人たちの当たり前だ。

 ただ、それはオーリにとって密かな喜びだった。人々がユカリノを恐れるのなら、自分だけがユカリノを独り占めできる。

 ユカリノがオーリに何かを持ってくることはないが、オーリはいつもユカリノのために贈り物をした。

 それは自分が摘んだ花だったり、綺麗な鳥の羽だったりするが、ユカリノはいつも礼を言って大切そうに身につけてくれたのだ。


 早く大人になりたい。


 ユカリノと出会ってからずっと、オーリはそのことばかり考えている。

 今のオーリは、子ども時代を脱ぎ捨てつつある、すらりとした十四歳の少年だ。

「オーリや! 風呂の水を汲んできておくれ」

「オーリ! 夕食の鍋の材料の仕込みを頼めるかい?」

「すまないが、手紙の代筆を頼めるかねぇ」

「オーリ兄ちゃん、遊んで! 木登りの仕方教えてよ!」

「僕は剣の稽古をしたい!」

 オーリの一日は忙しい。

 元来頑健で器用な彼は、十歳を過ぎた頃から町中で、たくさんの仕事を覚えた。料理屋、鋳物屋、鍛冶屋、床屋に、大工に、陶工。

 生育歴のせいで孤立しがちだった彼は今や、なんでもこなせる町の便利屋だ。人々や衛士たちともすっかり馴染んで、友人といえる者もいる。

 ただ、人前で服を脱いだり髪を上げることは決してしなかった。胸と首にある異形の皮膚は、決してなくならなかったからだ。


 夕食の支度を終えたら、それからがオーリの自由時間である。オーリは寝ても覚めてもこの時間を楽しみにしていた。

「オーリ兄さん、今日もいくの?」

 声をかけたのは二つ年下の、ミラという少女である。同じ施設で育った仲だ。

「ああ」

 オーリはいつもの荷袋をたたいた。ぱんぱんに膨らんでいる。

 中にはユカリノに持っていく、パンやチーズなどの食品などが入っている。今日はオーリが作った果実のジュースもある。

「たまにはみんなとゆっくり過ごしたらいいのに」

「ごめん、ミラ。次にユカリノ様が遠くに仕事に行くときはそうするよ」

「わかった。その時は兄さんの十五歳の誕生日でしょう? みんなでお祝いしたいわ」

「ありがとう。楽しみにしているよ」

 幼い頃から離れ家に隔離され、森に捨てられたオーリは、自分の正確な誕生日を知らない。年齢を知っているのは、世話人のパルマが教えてくれたからだ。

 だからユカリノに初めて会った日を誕生日だと、オーリは決めた。

「髪が乱れているわ。私、直してあげようか?」

「いいんだ、ミラ。ありがとう。じゃあ俺、行くよ。明日の朝には戻る」

「わかった……気をつけてね」

 ミラは寂しそうにオーリの背中を見送った。

 東の門から森のほとりのユカリノの守屋まで、オーリの足なら一時間はかからない。しかし、冬ならその間にとっぷりと日が暮れる。

 森はいつも危険だ。

 常に飢えている肉食動物の脅威だけでなく、昔この地で戦があった頃に死し、悪霊と化したケガレが出現するからだ。

 ケガレはユカリノにしか祓えない。ぶよぶよと膨らんだ悪意の塊は、通常の剣や弓では倒せないのだ。

 ユカリノたちヤマトが持つ、霊刀でしか浄化できないのが悪霊たるケガレだ。その上、ケガレが出るのはインゲルの森だけではない。

 かつて大陸中で争いが絶えなかった。増えすぎた人類が、食糧や土地を奪い合った闇の歴史がある。その時たくさんの人間が恨みを飲んで死んだ。

 そこに()()()()がかけられ、恨みは悪霊へと変化へんげする。悪霊は森や古戦場の荒野だけでなく、最近では街中の闇に湧くことさえ起こりはじめた。

 その度ユカリノたち、ヤマトにセルヴァンテから命令が下る。その度、ユカリノは数日家を空けるのだ。そしてオーリはそこへ連れて行ってもらえない。

 そんな年月が三年続いて、オーリは決心したのだ。

 いつか必ずケガレと戦うユカリノを守ると。


「ユカリノ様、こんばんは」

「ああ。オーリ、来たか」

「はい!」

 この年月、ほとんど毎晩繰り返されてきた挨拶だ。

 今夜もユカリノは美しい。

 まだ肌寒い初夏の夜だというのに、軽やかな白い衣を身につけ、黒髪を垂らしている。

「今日はこの花です!」

 オーリは森で摘んだ花をユカリノに見せた。春夏の良いところは、ユカリノの髪に飾る花に不自由しないところだ。

 以前はただ紐で結えるだけだったユカリノの髪。それに花を飾りたいと言い出したのは八歳のオーリだった。

 不要だと突っぱねるユカリノを辛抱強く説得し、初めてその髪に櫛を入れた時は天にも登る気持ちだった。

 それは初めてオーリが、ユカリノにしてあげられたことだった。

「さぁ、髪を梳かしましょう」

 オーリは高床の階段を上がり、露台に佇んでいたユカリノを中に入れた。


 俺を待っていてくれたんなら嬉しいんだけどな。


 丁寧に櫛の目を通しながらオーリは思う。

 簡素な室内には、昔よりも物が増えている。

 髪を結うことを覚えたオーリは、少しずつ自分にできることを増やしていった。

 ほとんど家具がなかったユカリノの守屋を、少しでも住みやすくしようと、色々なものを作ったり、据え付けたりした。

 椅子に、食器に、敷物。

 その中の一つが鏡である。

 オーリを養子にしようとした商人夫婦がくれたものだ。

 壁に取り付けた丸い鏡の前にユカリノを座らせ、オーリは梳く必要のないほど艶やかな黒髪を梳いていく。

 頭の真ん中で髪を二つに分け、耳の横で輪にして結わえる。最後に紐と髪の間に、森で摘んだ白い花を挿すと出来上がりだ。

「できました」

 オーリは自分の歯でぷつりと髪紐を噛み切った。その瞬間、ユカリノのまとう香りを鼻腔いっぱいに吸い込む。

 最近はその白い耳に唇を寄せる誘惑を退けるのに、密かな苦労を要するようになった。

「ありがとう。うん……香るな」

「ミスミ草っていうんですって。この時期の、決まった木の根元にしか生えないそうです」

「ふぅん、清々しい香りだ。いい」

 あなたの方がよほど香ります、その言葉を飲み込んでオーリはわざと明るく言った。滑らかな髪は櫛の目に引っかかることはないが、それでも新しい髪が生えるように抜ける髪もある。オーリはそれを大事にとっておくのだ。

「櫛を。狼くん」

 自分の髪を結ってもらうと、ユカリノはお返しにオーリの髪も梳かしてやる。

 オーリがわざと髪を切らず、ぼさぼさにしているのは、ユカリノに触れてもらう時間を少しでも長くするためでもある。

 オーリの髪はまだらな灰色で、少し癖があり、量が多い。ユカリノは、髪の半分をすくい上げて後頭部で括る。

 肩より少し長いオーリの髪は、確かに少し狼に似ていた。

オーリ、思春期です。

これから悶々です!

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― 新着の感想 ―
いや、確かにこれは、悶々としますな!
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