エピソード7「ヒロイン不在」
あれから5年が過ぎた。
12歳で刺客に襲われたあの日から、私の人生は大きく変わった。物理のパワーを信じて始めた剣術は、今では護身術として十分なレベルに達したと思う。それ以上に力を入れたのは、公爵令嬢としての、そして未来の王子妃()としての教養と品位磨きだ。
政治、経済、歴史、地理、文学、芸術……ありとあらゆる分野を徹底的に学び、議論を交わし、知識を吸収した。王族や貴族が絡む社交界での立ち振る舞い、テーブルマナー、会話術。全てにおいて、どこに出しても恥ずかしくないレベル……いや、並みの貴族令嬢には真似できないほどの知性と品格を身につけた(と思ってる)。うーん、これで元いた世界に戻ったら、私本物のプリンセスになれるんとちゃう?とか、現実逃避にも近いことを考えたりもする。
そして、アルフレッド王子との交流。あの一件以来、彼は私に以前のような無関心な態度は見せなくなった。定期的に王宮でのお茶会や、お庭の散歩、オペラ鑑賞などに招待されるようになった。
(マブダチ作戦、順調やで……!)
心の中でガッツポーズを決める。彼の『真実の愛』の相手は私ではない。だからこそ、変な恋愛感情に発展する前に、友情という安全な関係を築くのが私の戦略だ。王子が円満にヒロインと結ばれた時、私が穏やかに婚約破棄されるための、最も平和的な方法。
ただ、人間味の薄く、常に張り詰めた空気纏っていたはずの王子が、ルイーゼの一方的な(主に前世の知識を応用した)おしゃべりに微笑んで静かに耳を傾けてくれていたり、移動の際には必ず手を引いてくれたり、階段では必ず先に下りて手を差し伸べてくれたりと……非常に紳士的で、特別扱いをしてくれるのが、なんともいたたまれない。
(殿下、そない気を使わんといてください……あんたの真実の愛は、私とちゃいますねんて……)
王宮でのお茶会に招待されるたびに、アルフレッド王子は私にドレスを贈ってくれるようになった。最初は戸惑ったが、今はもう慣れた。どこでどう私のサイズを知ったのか知らないが(おそらく、うちの者が王宮の侍女に漏らしたのだろう)、ジャストサイズで作られているのがなんとも怖いというか、抜け目ないというか……。
贈られたドレスを着ないのは、確かに不敬にあたる。私は仕方なく袖を通し、エマにふさわしい髪型を作ってもらい、王宮へと向かう。今日のドレスは、彼好みのペールブルーのシルク製だ。
宮殿の敷地内に建てられたアルフレッドの館に到着すると、すぐにプライベートな居間に通される。そこは彼の私室に近く、他の貴族が招かれることはほとんどない場所だ。この特別扱いも、私の内心をざわつかせる要因の一つだった。
「お召しにより参りました。ご機嫌うるわしく、アルフレッド様」
一年前までは「殿下」だった呼び方も、「様」に変わった。丁寧に礼をすると、彼は優しい微笑を浮かべて応える。
「来てくれてありがとう、ルイーゼ。ドレス……よく似合っている」
彼の紺碧の瞳が、私の着ているドレス、そしておそらくは私自身を見つめている。瞳を細める彼に、ルイーゼは妙な居心地の悪さを覚えた。別に、お世辞を言われるような外見ではないと思うのだが。
王子に名前を呼び捨てにされるようになったのは、つい最近のことだ。お茶会の最中、彼は少し躊躇うように、そしてうっすらと頬を染めて尋ねてきたのだ。
「……ルイーゼと、呼んでもよいだろうか?」
その時の私は、「赤面するほど私に価値ないで? 何か裏でもあるんか?」と心で盛大にツッコミを入れながらも、外面は完璧な淑女として「お望みのままに」と微笑んで返した。
はたから見れば、これは紛れもなく初々しくも美しい婚約者たちのやりとりだろう。でも、ルイーゼは内心でマブダチに近づきつつあることを素直に喜んだ。彼の私への好感度は着々とあがりつつある。これは友情ポイントだ。
(この調子なら、婚約破棄されても嫌われることはないやろうし、私の老後も安泰や……!)
友情エンドは近い。あとは、物語のもう一人の主人公、例の『真実の愛』のヒロインの登場を待つばかりなのだが、彼女は一向にこの物語の舞台に登場しない。
原作の物語では、ヒロインはルイーゼが16歳の年に、田舎から出てきて、行儀見習いを兼ねて侍女として王宮に入るはずだった。それが、もう1年近くも彼女の登場が滞っているのだ。
空白期間が長いほど、ルイーゼはアルフレッドとの仲を深めつつある。お茶会、散歩、オペラ、そして時折贈られるプレゼント。会話は、私にとっては前世の知識を使った『友情ポイント稼ぎ』だが、彼にとっては初めて知る外の世界の話であり、感情の通じる交流なのだろう。これ以上友情を育んだら、何かが確実に拗れてしまいそうだ。
(あかん、あかん。これ以上近づいたら、後で傷が深なるだけや……)
ルフレッドとの関係が深まるのは、私の計画にとってはむしろマイナスになりつつある。彼が私に情を移す前に、早くヒロインと出会って、そちらに「真実の愛」を発動してもらわないと!
王宮から屋敷に戻ると、私は居ても立ってもいられなくなった。豪華なドレスを脱ぎ捨てるのももどかしく、自室で頭を抱える。
「どうなってるの?!どうしてヒロインちゃんは登場しないのよーー!」
思わず叫ぶ。
「待ってるのに!いつでもお迎えOKなのに!ちーーーーっとも、こないのどうして?!」
頭を掻きむしりたい衝動を抑える。このままじゃ、王子がヒロインじゃなくて、私に「真実の愛」とか言い出したらどうすんねん!それは一番困る展開や!
「お嬢様、お気を確かに!」
叫び声を聞きつけたエマが、慌てて部屋に飛び込んできた。心配そうな顔でこちらを見ている。
「エマ……」
我に返り、エマを見る。そうだ。待ってるだけではダメなんだ。物語は、私が動かしてやるんだ。
「エマ、お願いがあるの」
私は真剣な顔でエマに向き直った。
「は、はい。なんでございましょう」
エマは私のただならぬ雰囲気に、背筋を伸ばす。
「人を使って探ってもらいたいことがあるの」
私はヒロインの住んでいる場所、爵位(確か男爵家だったはず)、彼女の特徴や名前(確か、エリス……だったか?)をエマに伝えた。王宮に仕える侍女としては身分が低いこと、確か髪は柔らかな茶色で、瞳は緑だったこと……小説の断片的な情報を必死で思い出す。
「その方を見つけ出して、もし可能なら……王宮の侍女試験を受けるように、それとなく情報を流して欲しいの」
王宮の侍女になるには、推薦が必要だったはず。確か、ヒロインは有力貴族の縁故で王宮に入ったはずだ。その推薦ルートを、私が作ってやろうじゃないか。
「ま、まあ……!お嬢様、そのようなことを……!」
エマは私の大胆な提案に驚愕の顔をした。公爵令嬢が、わざわざ身分の低い娘を王宮に送り込もうというのだから、無理もない。
「いいの。これは、私の未来のために必要なことなの。一刻も早く王宮に現れないと困るのよ」
最後の部分は、少し自嘲気味に付け加えた。
「……お嬢様……」
エマは私の真意を測りかねているようだったが、私の固い決意を感じ取ったのだろう。
「かしこまりました。信頼できる者を選んで、必ずやお嬢様のお役に立てるよう、手配いたします」
エマは深く頭を下げた。
「ありがとう、エマ。頼りにしているわ」
これで、物語は再び動き出すはずだ。
待ちきれない。こっちは平和な老後がかかってるんですからね?! 早くヒロインちゃんに王子を見つけてもらって、私の計画通りに婚約破棄イベントへと進んでもらわねば!
私は心の中でそう叫びながら、今後の展開に思いを馳せた。
王子とのマブダチ関係が、ヒロイン登場でどう変化するのか。
そして、原作の『真実の愛』は、改変された世界でもちゃんと発動するのか。
私の物語は、ますます面白くなってきた。