エピソード6「改変成功!目指せ、マブダチ!」
宮廷医師に手際よく怪我の手当てを施され、公爵家に戻った。左腕はしっかりと包帯で巻かれ、痛み止めのおかげで今は鈍い痛みだけだ。身を挺して王子を守ったルイーゼだが、『英雄の帰還』のような高揚感は微塵もない。豪華な寝室のベッドに横たわり、私は一人、ガクブルと震え上がっていた。
怖かった……本当に怖かったよ、あんの野郎!
刺客が向けた剥き出しの殺意、鈍く光る刃、耳をつんざく金属音と悲鳴。あの瞬間の張り詰めた空気、今思い出しても心臓が鷲掴みにされるようだ。訓練のおかげで体は動いたけれど、あれはもう、二度と経験したくない。
「……だけど、物語は改変できた……!」
震える声で、それでも誇らしく呟く。原作のルイーゼは逃げ出した。でも私は逃げなかった。王子を庇い、時間を稼いだ。木製の槍で刺客と対峙した時は、正直『何やってんねん私!』と思ったけど、結果的に近衛騎士が間に合ったのだ。
無事にやり遂げたのだ。逃げ出さず、王子を守った。……えらい!! 自分で自分を褒めてやりたい。
先の展開がわかっていても、自分自身がその渦中に放り込まれ、殺意を持った刺客と相対するのはまた話が別だ。物理のパワーを信じて鍛錬を積んだとはいえ、あれは本当にヤバかった。前世がアラサーでも、傭兵だったとかヤクザだったとか、そういう経験は一切ない、ごく普通の一般OLだったのである。
「下手したら死んでたと思うと……か、勝手に体が震えちゃう……」
全身から力が抜け、ベッドの上で子猫のように丸くなる。知らなかった。恐怖って、ピークを過ぎて、安全な場所に逃げ帰ってから、じわじわと、後から来るものなのね……。
落ち着いたら、きっと父上や兄上には無鉄砲だとお叱りをうけるだろう。公爵令嬢が、自分の身の安全も顧みずに王子の盾になるなど、本来あってはならないことなのだから。でも、殿下に怪我がなかったのは本当に幸いだった。私の怪我も、『名誉の負傷』として受け入れられるだろう。とはいえ、母上は「傷物になった」と嘆かれるかもしれない。妃教育を施してきた娘が、傷を負うなんてと。
でも、まあいいのよ。逆に好都合。婚約破棄になった後でも、この傷を理由に誰も婚姻を申し込んできまい。私はお気楽なエンジョイライフを送るんだ……! 誰かの妻にならず、自分のペースで、自由に。公爵令嬢という身分があれば、それなりに贅沢だってできるだろう。うん、そう考えれば、左腕の傷なんて安いもんだ……うん。
などと、前向き(?)な逃亡計画に思考を巡らせているうちに、体の芯から寒気がしてくるのを感じた。恐怖による精神的な疲労に加え、怪我の痛み、そしておそらく、緊張が解けたことによる反動だろう。中身はアラサーでも、この体はまだ12歳。体力の限界はすぐにやってきた。
ルイーゼはそれから3日ほど、高熱を出して寝込むことになった。
朦朧とした意識の中で、熱い手や冷たいタオルが額に触れるのを感じていた。時折、母上の啜り泣く声も聞こえてくる。ああ、やっぱり心配かけてるな……でも、これで私の婚約破棄後の自由な人生も約束されたようなものだし、許してね、ママン。
目が覚めたとき、最初に感じたのは、辺り一面に漂う甘く優しい花の香りだった。そして、目を開けて、私は言葉を失った。
そこは、私の寝室ではなかった。いや、私の寝室なのだけど、部屋全体が花で埋め尽くされていたのだ。色とりどりの薔薇、百合、フリージア、チューリップ……まるで、花園に迷い込んだかのようだった。壁際のチェストの上、窓辺、サイドテーブル、そしてベッドの周りにも、所狭しと花瓶が並べられ、生命力に溢れた花々が咲き乱れている。
「……こ、これは一体……?」
まだ寝起きの掠れた声で呟く。サイドテーブルには、品の良い包装紙とリボンに包まれた箱が置かれていた。その箱から、甘く香ばしい菓子の匂いが鼻をくすぐる。この香りは間違いない。王家御用達の菓子職人が、王族のためにだけに作る特別な焼き菓子のそれではないか……?
菓子箱に差し込まれた封筒を手に取り、中身をそっと引き出して確認する。羊皮紙に、癖のない、それでいてどこか力強い、美しい文字で、こう綴られていた。
『あなたの優しさと強さに感謝を』
差出人のサインは、紛れもなく、アルフレッド王子だ。
「……え?!……じゃあ、これ……殿下が……?!」
ぎょっとして手紙を取り落としそうになる私に、私の専属メイドであるエマが早足で近づいてきた。
「お目覚めですか、お嬢様!ああ、よかった!お顔色も随分とよくなりましたわ!」
「エマ……こ、これは……一体どういうことなの……?」
花園と化した部屋を指差す。
「まあ、お嬢様が寝込まれたと知って、アルフレッド殿下が毎日、それはもう毎日、お花を届けさせてくださったのですよ!王都の花屋さんから花が全て消えてしまいそうな勢いだ、と御者たちが話しておりましたわ!」
「……そ、そうなの……」
毎日のように? 王都の花が全て花屋から消えそう?
殿下、気遣いすぎやろ……! 確かに身を挺して守ったけど、それは自分の未来のためであって、殿下のために命を懸けたわけじゃないねんて! いや、結果的に殿下を守ったことにはなるけど、まさかこれほどまでに丁重にお礼をされるとは。そして、この直筆メッセージ!
『あなたの優しさと強さに感謝を』……いや、優しさはともかく、あの時の私は「アホらしい物語に抗ってやる!」という反骨心と恐怖心で動いてただけやねんけどな。
「お嬢様、おかげんはどうですか?まだ腕は痛みますか?」
エマが心配そうに腕を覗き込む。
「……腕はまだ痛いけど、熱も下がったし、気分は悪くないわ。……殿下にお礼の手紙をしたためないといけないわね」
彼を守ったのは確かに彼との関係を良好に保ち、婚約破棄された後の自分の立場を確保するためだった。純粋な「優しさ」だけで動いたわけではない。王子の真摯な気遣いに、私は何とも言えない後ろめたさを覚えた。
「それで、お嬢様」
エマが突然、声をひそめた。王宮から来た人間のように、周囲を気にする素振りを見せる。
「? どうしたの?」
「お嬢様が寝込まれた翌日に、王室から使者の方がやってきて、アルフレッド殿下とお嬢様の婚約が正式に決まったそうですわ。陛下と父上様の間で、滞りなく決定したと……」
「……そう」
そうよね。そうなると思ってた。私が刺客に襲われて怪我までしたんだ。殿下としては、他の令嬢を改めて婚約者にするわけにはいかないだろう。私の怪我が、この婚約を決定づけた。責任を取ってくれた……ということだろう。
(やっぱ、怪我したのが決定打か。まあ、予想通りやな。これで婚約者の地位は確定や。あとは破棄に向けてどう動くかやけど……)
物語の展開を変えてしまったと思ったけれど、私が殿下の婚約者……つまり、負けヒロインという役どころになるという道筋は、結局出来上がってしまったわけだ。
だけど、これでいい。私の目標は破滅回避と、自由なエンジョイライフだ。婚約破棄になるのはむしろ望むところ。問題は、婚約破棄された後、いかに円満に、そして私が不利益を被らない形で関係を終わらせるかだ。
そのためには、王子と敵対するのは悪手だ。かといって、原作のルイーゼのように彼に固執したり、ヒロインに嫉妬したりするのもアホらしい。目指すは、そう。
「……あとは上手く王子とマブダチになるだけよ」
小さな声で呟いた私の言葉は、エマには聞こえなかったようだ。彼女は私が順調に回復していることに安堵し、嬉しそうに微笑んでいる。
花園と化した部屋で、私は密かに決意を新たにした。
ここからが、私流ルイーゼ編のスタートよ! 「真実の愛」だか何だか知らんけど、勝手に盛り上がって破滅すんのはごめんだ。王子とマブダチになって、ヒロインちゃんと仲良くして、そして穏やかに婚約破棄を迎える。そして、誰にも邪魔されない自由な老後を勝ち取るんや!
物語は、まだ始まったばかりだ。そして、その結末は、私が決める。