第二章 会議室に王が降りた日
第二章 会議室に王が降りた日
翌朝。王宮の東翼にある大理石張りの廊下は、朝日の差し込む大窓の縦格子が織りなす光と影で、まるで巨大な棋盤のようだった。そこを歩むのは、かつては裏手の書庫に閉じこもりがちだった小柄な青年――ではなく、ドルー王国の君主、ミハアントニス・テ・ハムショウ陛下である。
「――陛下、本日は王政評議会が九時から行われます」
侍従の声を背に、彼は静かに頷いた。
「わかっている。時間には遅れぬように」
自室を出たときには、まだ眠気の残る表情だった。だが、足取りはゆるぎない。大公府と評議員の控え室を経て、王政評議会の扉の前に至ったとき、ミハアントニスは深呼吸を一度だけした。そして――扉を開けた。
会議室にはすでに諸侯や高官たちがずらりと並び、その顔ぶれは絢爛と威厳を競う装束と重厚な鎧で埋め尽くされていた。部屋中央の長大なオーク材の机を囲み、議長席にはキエ・エッシェンバッハ大公が端正な姿勢で腰掛けている。
「――では始めよう。前回の議事録を承認のうえ、次の議題に移る」
大公の声が響く。いつものように進むはずの定例会議だ。だが今日は違う。王の席が空席ではない。
「陛下、どうぞこちらへ」
誰ともなく空いた王の椅子に、ミハアントニスは淡々と腰を下ろした。
瞬時に場内の空気が変わった。数百年の慣例として「王は象徴にして発言を慎むもの」とされてきた議場に、実際に王が“降臨”したのだ。
「……陛下、貴席におかれましては、議事の進行にはご静聴を賜りたく存じますが」
軍事卿が遠慮がちに切り出す。だがその声は、緊張でわずかに震えていた。
ミハアントニスは軽く手をかざし、制した。
「今日は、私も発言させていただく」
一瞬、ざわめきが走った。諸侯たちの目が揃って王へと注がれる。高慢な貴族の眉がピクリと動き、財務官の肩がぎこちなく揺れた。
「まずは、この予算案についてだ。前年度比で十二パーセントもの増額を見込む軍拡予算――その根拠が曖昧だ。どこの部門でリスク評価を行ったのか、財務官より説明を求める」
重厚な帳簿を広げ、ミハアントニスは静かに数字を指でなぞった。だが、その目つきはまるで、会社の不正会計を暴く監査人のように鋭い。
「陛下……その、財務局では昨年末に行った南東辺境の防衛強化に伴うシミュレーションをもとに、必要性を算出いたしましたが――」
財務官が口ごもる。彼の説明は用意されていたはずだった。だが王の一言で、準備不足が露わになる。
「南東辺境のシミュレーション、ね。具体的にどの戦域で、どの程度の兵力を想定し、装備は何を選定したのか。資料はここに示されていない。仮にその計算根拠が正当化できないなら、当該予算は一旦凍結とする」
ミハアントニスの声は柔らかい。しかし、その背後には「不明瞭なまま金を動かすな」という厳命があった。部屋の空気はさらに重くなる。隣に座る宗教代表の長老が、固唾を飲んで彼を見つめる。内務卿は慌てて帳簿をめくり、軍事卿は眉間に深い皺を寄せた。
「……王、まさか直接ご指摘されるとは」
大公が、ほんの少しだけ口元を緩ませた。普段は王の発言を受け、議論を仕切る立場の彼が、いまや王の“補佐”として引き立て役に回っている。
「私はこの国の頂点に立つ者として、責任を持つ。税を賦課し、戦を決断し、法を定める――それらすべての判断には、裏付けが必要だ。見せかけの伝統や、責任の所在なき権力は、我が国を滅ぼす最大の敵となる」
王の言葉は、諸侯たちの胸に突き刺さった。耳に痛い真実だが、誰も反論できない。貴族たちは長年、慣例と惰性に乗じて好き放題に振る舞ってきた。だが今、王が目の前で「その不透明さは許さない」と宣告したのだ。
「議題を続ける前に、本日の結論を申し述べる。財務官は二十四時間以内に詳細なリスク評価報告書を提出せよ。未提出の場合は、局長職を解くとともに、懲罰委員会への付託を行う。以上」
重い鉄槌が下されたかのように、部屋に静寂が訪れる。誰もが言葉を失い、ただ王の言葉を反芻するのみ。やがて大公が口を開く。
「陛下のお考え、誠にその通りでございます。速やかに対応を――」
評議会は王の発言を受け、新たな議事運営へと動き出した。慣例を覆したその日、ミハアントニスはただ一言、心の中で呟いた。
――変革は、ここから始まる。
彼が求めるのは、華々しい軍事行動でも、派手な儀式でもない。真の改革。それは、王政の根幹にある「説明責任」と「権力の正当性」を取り戻すことにほかならない。王が降り立った会議室は、その第一歩を刻む歴史の舞台となったのだった。