5 平民の僕にお嬢様暮らしは難しい。
エンデバー家の屋敷に着いて、僕は足がすくんだ。
孤児院とは比べ物にならないほど立派な門。
広すぎる庭園には花が咲き乱れ、いくらするのか想像するのも怖い天使の彫刻なんかも飾られている。
玄関をくぐれば、天井から煌びやかなシャンデリアが下がっている。
花瓶には花がいけられている。
住む世界が違いすぎる。今すぐ孤児院に帰りたい。
でも今フィーネさんになっているから、それは叶わない。
「お帰りなさいませ、フィーネお嬢様。学園から連絡を受けてお待ちしておりました」
メイドや執事がずらりと並び、一斉にお辞儀をする。
ひえぇ……!
思わず後ずさりそうになるが、ここで怪しまれたら終わりだ。
「た、ただいま……」
ぎこちなく返事をすると、すぐにメイドたちが僕を取り囲んできた。
「お嬢様、お疲れ様です。鞄をお預かりします」
「お嬢様、お風呂の準備ができております」
「えっ、お風呂?」
「はい。本日は隣国から取り寄せたローズオイルで髪を整えますね」
白髪を結い上げたメイドに先導されて、僕の勉強部屋の三倍はある広い浴室についた。
「さあ、お召し物を脱いでくださいませ」
ここにきてようやく僕は思い至った。
脱ぐってことは、裸になるってことで………………。
フィーネさん、ごめん、本当にごめん。
不可抗力? とはいえ妙齢の女の子の裸を見ることになってしまって申し訳無さすぎる。
服と下着で隠れていたけれど、スタイルは十八歳と思えないくらい凹凸がある。全体的に緩やか曲線を描いていて、男の僕と全然違う。
年頃の女の子ってこんなに柔らかいのか。
メイドは慣れた様子で脱いだ服を回収すると、柔らかそうなタオルを持ってバスタブへと促す。
湯船に薔薇の花びらが浮かんでいて、いい香りだ。
自分の体を見ないようにしながら、湯に浸かった。
すかさずメイドさんが石けんの準備を始める。
何から何までお世話されるなんて、耐えられない。
「あ、あの、ひとりで大丈夫だから!」
「何をおっしゃいます、お嬢様! いつも通りお背中を流しますよ」
「ええええっ!?」
孤児院暮らしの僕にとって、誰かに体を洗われるなんて未知の体験すぎる。
恥ずかしすぎる!
「じ、自分でします」
必死で抵抗する僕を見て、メイドたちは驚いたように顔を見合わせた。
「お嬢様が……お一人で?」
「……やはり、学園で頭を打った影響でしょうか」
そんな憐れむような目で見ないで……!
結局、どうにか一人で入浴させてもらったけれど、バスルームは広すぎるし、シャンプーの種類も多すぎて、何をどう使えばいいのかわからない。四苦八苦してどうにかお風呂を済ませた。
お風呂の次は夕食。
ナイフとフォークの種類が多すぎる。どれをどの順番で使えばいいの!?
食事の作法が全然わからなくて、とにかく手近なスプーンでスープをすくい、口に含む。
「お、お嬢様……、カトラリーを使う順番が違っております」
使用人たちが息を飲んだ。
しまった……! この大量のスプーンとフォークは決められた順番があるのか。
「え、えっと……あの……」
慌てて誤魔化そうとしたけれど、どう考えても不審すぎる。
このままでは、フィーネさんの評判が地に落ちてしまう!
——そうだ。
僕は咄嗟に思いついた言い訳を口にした。
「実は……頭を打った影響で、記憶が少し曖昧で……」
すると、執事が驚いたように目を見開いた。
「なんと……お嬢様、それは本当ですか?」
「う、うん。だから……もう一度、一からマナーを教えて」
必死で訴えると、老執事は目を潤ませ、震える声で言った。
「お嬢様が……自ら勉強を望まれるとは……! クリストファーめは、この日を長く待ち望んでおりましたぞ!」
「……え?」
「お嬢様は、いつもマナーのお勉強を嫌がっておられました。それなのに、こんなにも真剣に……! 本当に頭を打たれたのですね……!」
執事は感極まったように涙ぐみ、メイドたちも目を潤ませながら頷いている。
「お嬢様……ご安心ください! 私どもが責任を持って、完璧なレディになれるようお教えいたします!」
フィーネさん、使用人にこんなふうに思われてたの?
勉強したいと言ったら使用人一同から泣かれるなんて。
「いつも成績は、下から数えたほうが早かったですから、ついに勉強が必要だと気付き目覚めてくださったのですね」とかなんとかクリストファーさんが泣きながら話しているんだけど。
……こうして僕は、レディとして貴族のマナーを学ぶことになった。